メタとメタをつなぐ対話 加藤文元×川上量生×東浩紀「数とはなにか──IUT理論と数学の立ち位置」イベントレポート

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webゲンロン 2023年9月19日配信
 2023年8月27日に、ZEN大学(仮称)(設置構想中)とゲンロンが共同で運営する公開講座の第2弾「数とはなにか──IUT理論と数学の立ち位置」が行われた。登壇者は、加藤文元氏、川上量生氏、東浩紀の三氏である。
 ZEN大学には、宇宙際タイヒミュラー理論(Inter-Universal Teichmüller Theory)、通称「IUT理論」の研究施設である宇宙際幾何学センター(IUGC)が開学に先立って創設された。IUGC所長は加藤が務める。ZEN大学において、数学界において、あるいは哲学をはじめとした異分野との関係のなかでIUT理論はどのように位置づけられるのか。加藤文元、ZEN大学の仕掛け人である川上量生、ゲンロン創業者で哲学者の東浩紀による対話は5時間半にわたった。
 
加藤文元×川上量生×東浩紀「数とはなにか──IUT理論と数学の立ち位置」
URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230827
 イベントは、加藤文元と川上量生が出会ったきっかけの話題から始まった。川上と加藤をつないだのは、加藤の元教え子の中澤俊彦という人物だったという。中澤氏は川上の数学家庭教師として働き、成り行きでドワンゴに就職。現在はZEN大学の事業にも関わっている。

 川上によると、当時無職で数学ばかりしていた中澤氏は、ドワンゴが2016年から数回にわたって開催している数学の祭典「MATH POWER」の運営を手伝っていた。そうした縁もあって、加藤も「MATH POWER」に幾度か出演してきた。「MATH POWER 2017」で発表された講演は、後にIUT理論の一般向け解説書である『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』(角川ソフィア文庫、2023年、もとの単行本は2019年)として出版された。

 IUT理論は、非常に難解な理論として知られる。その難解さから、数学者たちのあいだで賛否両論を巻き起こし、世界でも本当に理解している人は10数人ほどだという。普通であれば、IUT理論は一般人には到底理解できないものだろう。それにもかかわらず、本イベントの前半は、専門性を切り捨てることなくIUT理論の根本的発想を垣間見ることのできる貴重な機会となった。そして後半では、数とはなにかをめぐる数学者と哲学者の対話が繰り広げられた。数学者、経営者、哲学者の三氏によって交わされた異分野対話の一部をお届けしたい。

 

ABC予想とIUT理論


 IUT理論は、京都大学の望月新一教授が提唱した数学理論で、歴史的な難問「ABC予想」を解くものとして衝撃とともに世界中に知れ渡った。その発表からはすでに10年以上が経っている。

 さらに、IUT理論はABC予想を解くだけに限らない、まったく新しい数学的発想と珍しい技法が用いられたものでもある。しかし、その難解さと珍しさから、数学界で理論の正当性が認められたとはいえない状況が続いている。加藤と川上は、こうした状況のなかでIUT理論をめぐる議論を活発化するためにZEN大学のIUGCを創設したと説明する。

 では、ABC予想とIUT理論がなぜ衝撃的だったのか。その背景をイベントに沿ってごく簡単に紹介したい。

 加藤によれば、数学という学問の特徴は、十数個の独立した学問がゆるくつながってできていることにある。それらのなかでも、ABC予想は整数論に関わる議論だ。なお、数学において「予想」とは、正しいとは考えられているものの未証明のままになっている命題を指し、「命題」とは真偽判断の対象となる文や式のことをいう。

 では、ABC予想とはどのような未解決の命題か。この予想が解けると、たし算とかけ算のある種の「関係」が明らかになるという。ABC予想は次の図に整理できる。

図1 ABC予想(イベントのスライドより筆者作成)
 ABC予想自体はたし算とかけ算を組み合わせたものであり、その構造自体は意外とシンプルだ。すこし細かい説明は文末の注を見ていただくとして、大雑把にまとめると次のような予想となっている。互いに素な自然数a, bにおいて、左のたし算領域ではc=a+b、右のかけ算領域ではd=rad(abc)とし、dよりcのほうが大きいことが有限個の例外を除いて成立する★1。これがABC予想だ。

 ABC予想においては、たし算とかけ算の関係が複雑に入り組んでいる。この予想を簡単にまとめれば、たし算の代表をcとしたうえで、それとかけ算の代表であるdとの関係を比べるものだといえる。なぜこの関係が難しいのだろうか。たし算的な性質とは「1, 2, 3, 4, 5, …」と自然数が順次増えることである一方、この見方からは、例えば、素数(2,3,5,7,11,…)の分布といったかけ算的側面が見えにくい。また、かけ算的な性質を表現する素因数分解は「気まぐれ」にも思える変化をする。つまり、たし算とかけ算の異なる性質が混じることで、途端に数学的な証明が難しくなるのだという。

 加藤は、この予想が問題提起するたし算とかけ算の関係を次のような比喩で説明する。2や3のべき乗は、ひとつの素数がかけ算的に積み重なった数である。しかし、それらをたし算すると、かけ算の摩天楼が崩れてしまう。言い換えれば、かけ算の見え方をたし算が破壊してしまうのだ。しかし、ABC予想はその破壊の中にも、ある種のパターンを予想するので、逆に言えば、それが解ければそのほかの未解決の予想を解くなどの新しい数学の世界が切り開ける。ABC予想は、重大かつ数学の基本中の基本をゆさぶる難解な予想というわけだ。

 イベントでは、ABC予想をごく単純な数字と条件にあてはめた実験が加藤によって実演された。その実験によると、1割ほどの例外を除いて確かにABC予想に現れる不等式は成立する。しかし、果たして1割という数字は「少ない例外」に該当するのだろうか。川上からは「数学だけども、適当なところもある」というツッコミが入り、東からは「ABC予想の内容はわかったけど、数学者がなぜこんな予想をつくったかのほうが不思議です」とコメントが寄せられた。

 ただ、じつはこの「あやふやさ」にもある種の正当性がないわけではない。数学において重要なのは、計算と直観のバランスである。ここでいう「直観」とは、数学の全体に深い洞察を与える構造を読み解くことを意味する。IUT理論もまさにその直観性によって導かれたものだと加藤は紹介する。

 本イベントでは、ABC予想を解き、さらにそれ以上の展開も考えられるIUT理論についての専門的な解説がなされた。議論の内容は非常に難解でありつつ、その解説は一般向けにも数学愛好家向けにも開かれたものとなった。会場からの質疑応答にも熱が入る。東からは「発想の根本が伝わってくる」、川上からは「いますぐに理解はできないけど人類にも理解可能なもの」と感想があがった。ここでは詳細な説明はできない。代わりに以下に加藤のスライドからの抜粋を一枚だけ掲載しておこう。ぜひそこで交わされた「熱」の全体は、イベントのアーカイブ動画にて確かめてほしい。

図2 異なる宇宙と宇宙をつなぐ比喩図(加藤氏によるスライドより)★2

数学と哲学による「実在」への問い


 イベントの前半で高まった熱は、後半では数学と哲学の対話へと引き継がれた。加藤は、その著作活動にも現れているように、数学を哲学的な面からも考えてきた人物である。加藤の『リーマンの数学と思想』(共立出版、2017年)を読んだ東は、加藤の関心は「数学的対象の実在性とはなにか」、つまりこのイベントの主題である「数とはなにか」にあると考えたという。

『リーマンの数学と思想』は、19世紀に発見された数学的対象はどのような実在性を持っているかを論じた書籍である。東によれば、加藤はこの著作で、リーマンの数学思想を、経験的世界における量の計算としてではなく、またカント的な超越論的な認識構造としてでもなく、どちらとも異なるかたちで考えようとした試みとして紹介している。そんな加藤の指摘は、現代思想の分野に照らすと、カンタン・メイヤスーらのよる「思弁的実在論」の発想に近いようにみえる。しかし、残念ながら、思弁的実在論のなかでリーマンはあまり話題になっていない。そこに加藤の独創性があるのではないかと東は指摘する。

 加藤によれば、リーマンの数学もまた、IUT理論と似て発表されてすぐには数学界で受け入れられなかった。1840年代ごろに提示されたリーマン面と呼ばれる「多様体」のアイデアは、現代数学へとつながる重要なものだったが、広く承認されたのは1910年代ごろだったという。

 なぜリーマン面のアイデアは数学界で受け入れられなかったのか。加藤の考えでは、その理由は数学界に認識論と存在論に関するコンセンサスがなかったからだ。リーマン面はふつうの知覚では認識できない。しかし数学的には存在する。そのような発想がうさんくさいものだと受け取られてしまった。

 東はここには重要な哲学的な問題があるのだと指摘する。数学は一般には「だれの目でみてもわかるもの」の基礎のうえにつくられていると考えられている。たとえば三角形の内角の和が180度であることは、補助線をひけば一瞬で「自明」となる。

 けれども、現代数学の対象はふつうの感覚では捉えられない。だから自明性もそう簡単には示せない。そういう難しさがある。

 その点を踏まえて考え直すと、IUT理論をめぐる騒動には、まさに数学の困難が凝縮して示されているように思われる。IUT理論は、もしかしたら、私たちの「正しさ」の定義そのものを変えてしまうものなのかもしれない。

 後半ではこのように、哲学と数学をめぐる議論が次から次へと展開された。上では取り上げられなかった論点も数多くある。前半のABC予想とIUT理論の解説とあわせて、哲学と数学が共にメタ的な思考を突き詰めることの意義が浮き彫りになったイベントだったといえるだろう。質疑応答の時間には、専門的な質問だけでなく、長年加藤と東の書籍を読み込んできた読者からの熱いメッセージが寄せられる場面もあった。ゲンロンカフェのなかでも屈指の「対話的」なイベントだったといえるだろう。

 

おわりに


 IUT理論が「正しい」のかどうか。筆者にはわからない。けれど、学問の歴史では「本当に」新しい先端的な理論にはしばしば懐疑の目が向けられる。IUT理論を考えることは、数学とはなにか、数とはなにか、学問とはなにかを考えることにつながる。本イベントでは、メタ科学とメタ思考を突き詰める数学と哲学ならではの対話の実践としても貴重な機会であった。

 最後に、本イベントの冒頭で語られたエピソードにもう一度触れたい。加藤がIUT理論について講演した「MATH POWER 2017」は、川上が加藤を何度も説得することで実現されたものだったという。じつは当初、加藤はその依頼を即座に断りすらしたのだそうだ。だが、いま振り返ると、IUT理論の一般書としてその講演が書籍化され、ZEN大学のIUGC研究所の設立にもつながるなど、数学者人生の転機になったと加藤は振り返った。

 加藤と川上が出会うきっかけとなり、ZEN大学事業に関わる中澤氏は、日本の数学界のキーマンかもしれない。イベントの終わりに加藤と川上はそう語った。こうした人と人との縁が、ZEN大学とゲンロンの共同講座にもつながった。出会いはいつも不意にやってくる。観客のみなさんにも、また学問の未来を担う人々にも、ZEN大学とゲンロンがこれから繰り広げる思わぬ出会いを楽しんでいただけたら幸いだ。(青山俊之)

 


★1 自然数aとbの前提に挙げられている「互いに素」とは、共通の素因数をもたない関係をいう。その上で、一方ではたし算で示されるa+b=cに対し、他方ではかけ算で示されるd=rad(abc)の関係を考える。radとは、自然数n(ここでは積abc)を素因数分解し、そこに現れた各素数をその次数にかかわらず1度ずつかけ合わせたものをいう。たとえば、rad(8)の8は2を3回かけたものだから、2をひとつだけ抽出し、rad(8)=2と表せる。ここの説明ではεは省略するが、このとき、1+εべき乗したdよりcのほうが大きいことが有限個の例外を除いて成立する。これがABC予想である。
★2 IUT理論を無理やり比喩的に表現すると次のようになる。自然数という世界で分かち難く結びついているたし算とかけ算を分離し、互いに独立したものとして扱う。分離した異なる数学的世界をつなぐ複数の舞台を設定し、その舞台間の通信を対称性という性質に着目して行う。その対称性通信によって生じるひずみを近似計算する。これら複雑な操作において重要なのが遠アーベル幾何学である。異なる数学の宇宙と宇宙をつないだ結果、ABC予想が解ける、つまりたし算とかけ算の関係を考え直せるというわけだ。ABC予想を解くことだけがIUT理論ではなく、その射程はこうした複雑な操作の応用可能性にも及ぶ。
加藤文元×川上量生×東浩紀「数とはなにか──IUT理論と数学の立ち位置」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230827
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