軍事オタクは平和にどう貢献するか?──小泉悠×辻󠄀田真佐憲「軍事オタクの存在意義は」イベントレポート
ともに80年代前半生まれのふたりは、同じ時代を歩んできた軍事オタクとして、どのような問題意識と責任感をもっているのだろうか? 4時間半に及んだイベントの一部をレポートする。
小泉悠×辻田真佐憲「軍事オタクの存在意義は──OSINT時代の国防と戦争」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230526
戦争が始まってしまったらハッピーエンドはない
「小泉さんにとって日本とは何か、日本はどうあるべきなのか、最初にお伺いしたいです」
──イベント冒頭、辻田が投げかけた問いである。小泉の答えは、安全保障について執拗に気にしなくてもいい「ゆるくて豊かな日本」が理想であり、そうしたはっきりしない日本を守りたい、というものだった。辻田はこれに賛同しつつも、いまの日本では政治や人権など、あらゆる問題において中間に立った「ゆるい」議論が許容されにくくなっていると指摘し、さらにこのような現状についてどう思うかと問いかけた。小泉の応答を皮切りに日本の世論、ウクライナ戦争、国際政治と次々に議論が展開された。
中でも興味深かったのは、ウクライナ戦争をめぐる国際社会の「選択」という話題だ。小泉によれば、国際政治における「選択」とはリアリズムと理想論のバランスによって決まるという。具体例を挙げると、ロシアの暴力に対してNATO軍を派遣して止めに行くという選択はウクライナを支援する側にとっては理想的かもしれないが、現実にはロシアから報復されるリスクがある。よって、NATOの選択はそれらのリスクとのバランスをとった「軍事支援」となる。
その一方で、世界には「勝つためなら何をしてもよい」という徹底的なリアリズムもあるという。小泉はその例として、アメリカ陸軍の元将校で、国防大学教授のショーン・マクフェイトによる「アメリカは慈悲深すぎるから戦争に負けるのであり、ロシアのように傭兵を雇い偽情報をガンガン流すべきだ」という議論を挙げる。その論理は勝つことだけを考える場合には間違っていない。だが、アメリカは国として、そんな選択をすることはできない。だから、それぞれの国が、辻田が問うたような、「国としてどうあるべきか」という方針を持つことこそが大事なのだと小泉は指摘した。
小泉の軍事オタクならぬ専門家としての矜持が感じられる一幕もあった。小泉はウクライナ戦争が始まったときにNHKの番組に出演した際、「戦争が始まってしまったらハッピーエンドはない」という言葉がふと出たという。ほんとうに戦争が始まってしまったら、「最善」の結末はもうない。いくつかのバッドエンドのなかから、比較的マシなもの選ぶことしかできなくなる。だからこそ、予防外交や抑止力について真面目に考えなくてはならない──それが国際関係論や安全保障を専門にしている自分たちの責任だと改めて痛感したそうだ。
戦闘領域の多様化
「ロシア・ウクライナ戦争──ナラティブと暴力」と題された小泉のプレゼンでは、今回の戦争では、戦場での戦闘だけでなく、その外側にある言論空間も戦争の行く末に大きな影響力を持っていることが示された。
小泉は、ウクライナがなぜ抵抗できているのか、戦争理論の変遷に触れながら解説する。まず紹介したのが、19 世紀に書かれたカール・フォン・クラウゼヴィッツによる『戦争論』だ。これは戦争を理論的に体系化しようとした古典的名著とされる。
しかし、同書が分析の対象としているのはあくまで近代戦争に限られる。そのため、冷戦終結の前後には、非クラウゼヴィッツ的な新たな戦争理論があらわれたという。そのうちのひとつがハイブリッド戦争だ。ハイブリッド戦争と聞くと、サイバー攻撃や民兵のような「道具」の話になりがちだが、実際は「戦場における勝敗が我々の知ってるようなかたちでは決まらない」という議論だと小泉は述べた。
それはどういうことか。具体例として、小泉はベトナム戦争におけるアメリカ軍の苦戦を挙げた。アメリカ軍は戦闘では勝っているにもかかわらず、一向にゲリラ勢力を壊滅できなかった。なぜならゲリラ勢力は、真正面から戦闘するのではないからだ。彼らにとって、「悪いアメリカ」に対して雄々しく戦っているイメージや、アメリカの残虐なイメージを作ることこそが重要だった。つまり、ゲリラ勢力は実際の戦闘とは別に、認知の領域でも戦っていて、アメリカはそこで負けていたのだという。このように、戦闘の領域の多様化こそがハイブリッド戦争論なのである。
これを受けて辻田は、ウクライナ戦争はハイブリッド戦争だとよく言われるが、実は極めて近代戦争的なのではないかと問うた。たしかに日本で報道されるロシア兵による虐殺や、戦車で蹂躙される街の光景は、100年前の戦争と大きく変わっていないように思われる。
小泉は、どちらの側面もあると答えた。実際に戦場で起こっていることは極めて近代戦争的である一方で、ウクライナの戦略にはハイブリッド戦争的なものがあるという。祖国防衛戦争であると世論に訴えて国民動員を行い、ロシアの暴力を国際社会に訴えて支援を得るという情報戦略がそうだ。しかし小泉は、これらはハイブリッド戦争論の限界を露呈しているとも指摘する。どこが限界なのかは、番組を見て確認して欲しい。
軍事オタクとはどういう人々なのか
「軍事オタクの存在意義」と題された辻田のプレゼンでは、国家観の必要性についての議論がなされた。辻田は、「ゆるい国家である日本がよい」という小泉の意見には同意するが、極端な思想を食い止めるためには、ある程度の国家観が必要なのではないかと語る。
辻田によれば、近年の保守雑誌で示される国家観は、戦前の国体論のたんなる焼き増しであるという。ファクトチェックでその間違いを指摘することは簡単にできるが、同時に代わりとなる国家像をあてがわなければ、戦前の軍国主義の中で作られた物語は無限によみがえってきてしまう。そうならないように、戦後の日本ならではの国家像を明確な形で示す必要があるのではないのかと辻田は提起する。対して小泉は、日本の国家観の明確な宣言は日本国憲法なのではないかと答えた。
もうひとつの辻田の論点は、軍事オタクの歴史的変遷である。辻田は「軍事系書き手の世代」というリストを準備していた。小泉が「荒巻義雄が入ってるのが渋いね」と指摘すると、辻田は、日本の軍事においてフィクションの影響力が大きかったことに触れて、リストに含めるべきだった人物として『沈黙の戦艦』のかわぐちかいじの名を挙げる。小泉はさらに佐藤大輔も含めて欲しいと要望を述べた。
佐藤大輔は『レッドサン ブラッククロス』などの架空戦記で知られる1964年生まれの小説家である。小泉によれば、彼はそれ以前の世代の軍事オタク、たとえば宮崎駿とは決定的に異なる。宮崎は思想的には平和主義の左派だが、一方で戦闘機や戦車に惹かれているといった大きな葛藤を抱えていた。しかし佐藤にはそうした鬱屈は見られないという。
話題はさらに掘り下げられ、軍事オタクの存在意義が直接的・間接的に議論され、ふたりの豊富な知識によってさまざまな形で証明されていった。
究極の質問は・・・
質疑応答の最後に、辻田が「あと一問、究極の質問を」と会場に呼びかけると、多くの手が挙がる。その中から指名された幸運な観客は言った。「私は最近軍事に興味を持ち始めたのですが、そういったライトなオタクに向けてアドバイスをお願いします!」
それまで現実に起こっている戦争の「重い」テーマが続いていたところに、ほっと一息、会場には明るい空気が流れた。小泉も「ディープなオタクからのアドバイス......これは確かに究極の質問ですね」と笑みを浮かべる。さて、ディープなオタクからライトなオタクへのアドバイスとはなんだったのか?
4時間30分にもおよんだ本イベント。軍事オタクなら思わずニヤリとしてしまうマニアックなやり取りから、このレポートには書ききれなかったディープな内容まで盛りだくさんだった。ぜひ本イベントのアーカイブ動画をご覧いただきたい。(竹林蒼一郎)