悪口・小説・世代論──速水健朗×古市憲寿「1973年生まれと1985年生まれの対話」イベントレポート
webゲンロン 2023年7月31日配信
7月19日、ライター・速水健朗の新著『1973年に生まれて』(東京書籍)の刊行記念イベントがゲンロンカフェで開催された。対談相手は速水と同じ丑年でちょうど一回り下の世代でありながら、旧知の仲でもある社会学者の古市憲寿。『1973年に生まれて』はさっそく重版も決まったとのことだが、今回のイベントではこの本をきっかけに、ある時代や世代を書くことと、自分がどう生きてきたかを書くこと、似ているようで異なる2つの書き方をめぐって議論がかわされた。その速報レポートをお送りする。
速水健朗×古市憲寿「1973年生まれと1985年生まれの対話──あなたから、社会はどんなふうに見えていましたか?」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230719a
速水健朗×古市憲寿「1973年生まれと1985年生まれの対話──あなたから、社会はどんなふうに見えていましたか?」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230719a
イベントは序盤からハイペース。早速、古市が冗談交じりに「悪口言ってもいいですか?」としかけると、速水は苦笑しながら「3つまでなら」と答える。ひとまわり年齢のちがう速水と古市だが、『NEWS WEB』や『ホウドウキョク』といった番組を一緒につくりあげてきただけあって、息の合った軽妙なトークがくり広げられた。話題もショーン・Kから神宮外苑の再開発まで、とにかく自由で忖度なし。とはいえすべては愛のある言葉だったのでご安心を。
会場を笑いに包んだチャーミングな悪口は配信をチェックしてほしいが、そんな悪口は社会だけでなく速水にも向けられた。古市が「なんで速水さんって、いまいちブレイクしないんですかね?」と毒を吐いてみせたのだ。これには速水もふたたび苦笑してしまう。
会場を笑いに包んだチャーミングな悪口は配信をチェックしてほしいが、そんな悪口は社会だけでなく速水にも向けられた。古市が「なんで速水さんって、いまいちブレイクしないんですかね?」と毒を吐いてみせたのだ。これには速水もふたたび苦笑してしまう。
とはいえ、古市のこの言葉は応援でもあり、同業者としてのアドバイスでもあった。古市は、売れるということはじつは馬鹿にされることでもあるという。なぜなら、読者の層が広くなればなるほど、反発するひとも増えるからだ。逆にいえば、売れることを念頭に置くならば、悪口をいわれる覚悟をして書くことが重要だということだ。
たほうで、悪口は創作のカギにもなりうる。テーマやジャンルがばらばらの本を書いてきた速水だが、じつはほぼすべての本に共通していることがあるという。どの本でも、ある2人の人物の悪口を書いているというのだ。たんなる自分語りの本にならないようにいつも気をつけているという速水だが、そんなところに隠しきれないこだわりが顔を出す。相手がそれだけ時代を象徴する人物ということでもある。そんな手強い仮想敵をみつけることが、逆説的に、毎回題材をガラリと変えて書くことを可能にしているのかもしれない。
速水がいつも悪口を書いてしまう人物のうち1人については、イベントでもくりかえし話題になり、今回の対談を象徴するようなライトモチーフにもなっている。それがいったいだれなのかは、あまりにもネタバレになってしまうのでここでは秘密にしておこう。かわりに、古市の的確なツッコミだけを記しておくことにしたい──「速水さんは、そのひとを語るとき元カノみたいになる」。速水の悪口に隠れた愛情を言い当てたコメントだった。
さて、このように新著刊行記念イベントとしては異例といっていいような(愛のある)悪口の応酬もあったのだが、肝心の速水の『1973年に生まれて』を古市はどう読んだのだろうか。
古市は、この本で速水がやりたかったのは、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』(1980年、以下『なんクリ』)のようなことだったのではないかと指摘する。そして、速水もこれにはうなずく。
たほうで、悪口は創作のカギにもなりうる。テーマやジャンルがばらばらの本を書いてきた速水だが、じつはほぼすべての本に共通していることがあるという。どの本でも、ある2人の人物の悪口を書いているというのだ。たんなる自分語りの本にならないようにいつも気をつけているという速水だが、そんなところに隠しきれないこだわりが顔を出す。相手がそれだけ時代を象徴する人物ということでもある。そんな手強い仮想敵をみつけることが、逆説的に、毎回題材をガラリと変えて書くことを可能にしているのかもしれない。
速水がいつも悪口を書いてしまう人物のうち1人については、イベントでもくりかえし話題になり、今回の対談を象徴するようなライトモチーフにもなっている。それがいったいだれなのかは、あまりにもネタバレになってしまうのでここでは秘密にしておこう。かわりに、古市の的確なツッコミだけを記しておくことにしたい──「速水さんは、そのひとを語るとき元カノみたいになる」。速水の悪口に隠れた愛情を言い当てたコメントだった。
さて、このように新著刊行記念イベントとしては異例といっていいような(愛のある)悪口の応酬もあったのだが、肝心の速水の『1973年に生まれて』を古市はどう読んだのだろうか。
古市は、この本で速水がやりたかったのは、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』(1980年、以下『なんクリ』)のようなことだったのではないかと指摘する。そして、速水もこれにはうなずく。
速水によれば、『なんクリ』は注が本体の小説だ。すべての見開きで左ページを埋めつくす注には、ファッションブランドやおしゃれなレストラン、クラブといった当時の風俗情報が満載なのである。『なんクリ』自体がたくさんの悪口を言われてきた小説だが、注では著者のほうがなんとも魅力的な悪口を書きまくっている。速水の新著では『なんクリ』ではあまり注目されていない場面を論じながら、実は田中の小説が持っている構造をパロディにした構成になっている。
古市はさらに、『なんクリ』にかぎらず、日本で売れる小説はどれも若者文化を描いたものだと指摘する。速水もそれに同意し、いつの時代にも「わけのわからない世代が出てきた」という話には需要があると言う。それは小説にかぎったことではない。速水の分析では、世代論は往々にして上の世代あるいは下の世代からのマウンティングである。速水は、団塊ジュニアである自分たちはまさに団塊の世代から世代論でマウンティングを受けたと振りかえり、だからこそ世代論らしくない世代論を書きたかったのだと語った。
では、そんな速水が描く世代論とはどんなものになのか。それについては、ぜひ配信とあわせて速水の新著『1973年に生まれて』をじっさいに読んでみていただきたい。
イベント終盤の質疑応答でも、いま世代論や若者論を書くことのむずかしさや可能性があらためて話題になった。さらに、夜も更けてイベントが終わるかに見えたころ、東浩紀が乱入。古市と東で速水を囲うかたちになったところで、「速水はなぜブレイクしないのか」問題が再燃する。東は、AI時代に人間に求められるのは「肉声」ではないかといい、速水の著書には出てきていないようにもみえる「肉声」を問いただしていく。その真意については、ぜひ配信で確認していただきたい。
古市はさらに、『なんクリ』にかぎらず、日本で売れる小説はどれも若者文化を描いたものだと指摘する。速水もそれに同意し、いつの時代にも「わけのわからない世代が出てきた」という話には需要があると言う。それは小説にかぎったことではない。速水の分析では、世代論は往々にして上の世代あるいは下の世代からのマウンティングである。速水は、団塊ジュニアである自分たちはまさに団塊の世代から世代論でマウンティングを受けたと振りかえり、だからこそ世代論らしくない世代論を書きたかったのだと語った。
では、そんな速水が描く世代論とはどんなものになのか。それについては、ぜひ配信とあわせて速水の新著『1973年に生まれて』をじっさいに読んでみていただきたい。
イベント終盤の質疑応答でも、いま世代論や若者論を書くことのむずかしさや可能性があらためて話題になった。さらに、夜も更けてイベントが終わるかに見えたころ、東浩紀が乱入。古市と東で速水を囲うかたちになったところで、「速水はなぜブレイクしないのか」問題が再燃する。東は、AI時代に人間に求められるのは「肉声」ではないかといい、速水の著書には出てきていないようにもみえる「肉声」を問いただしていく。その真意については、ぜひ配信で確認していただきたい。
「憎まれ口を叩く」ことと「愛がある」ことは、本来は相反するものではない。お互いのリスペクトさえあれば、世代がちがっても、そのふたつは自然と同居することもある。SNSで匿名を傘に容赦ない誹謗中傷が繰り広げられる時代に、それとはちがうコミュニケーションのありかたをあらためて思い出させてくれる対話だった。(國安孝具)
速水健朗×古市憲寿「1973年生まれと1985年生まれの対話──あなたから、社会はどんなふうに見えていましたか?」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230719a