デーモンコアと科学の原罪|全卓樹

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ゲンロンα 2021年8月6日配信
 本記事は全卓樹さんによる科学エッセイ集『渡り鳥たちの語る科学夜話』(朝日出版社)に収録されています。記事とあわせてぜひご覧ください。(ゲンロン編集部)
全卓樹『渡り鳥たちの語る科学夜話
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 それは鉛色の金属球であった。直径9cmほどの不気味な球体は、ベリリウムの半球殻の台座にぴったりと嵌っていた。そこから顔を出していた球体の上半面も、やはりベリリウムの半球殻の蓋でほぼ覆われている。横に立った若い男の片手が蓋にかかり、もう片方の手が持つドライバーがあいだに挟まって、二つのベリリウム半球殻が完全に閉じるのを防いでいた。 

 時は1946年5月21日、ロスアラモスの原子核研究施設の一室である。男の名前はルイス・スローティン、カナダのマニトバ大学で優等賞を総なめしてアメリカにやってきた、弱冠35歳の俊英物理学者である。部屋には他にも科学者6名と守衛1名がいて、スローティンの行う実験を見守っていた。鉛色の球体は臨界すれすれの量のプルトニウムである。これは東京に投下される予定だった第三の核弾頭そのものである。日本の降伏で用済みになって、製造元のロスアラモスに出戻ってきたのだ。 

 球の中では絶えず中性子が飛び交ってプルトニウムを分裂させ、そこからまた中性子が放出される。球のプルトニウムが仮にあとわずかに多ければ、プルトニウム分裂の連鎖反応が臨界に達して、この場に黙示録の世界が現前するであろう。 

 臨界は他の手段でも得られる。ベリリウムは中性子を反射するため、ベリリウムの蓋が近づくと、プルトニウム球から外に出て行く中性子が戻って、球内の核分裂が促進される。スローティンがドライバーを動かして、ベリリウムの蓋がより深く球体を覆うたび、シンチレーション・カウンターが激しくパチパチと光るのが見られた。
図1 スローティンによる臨界実験の再現写真 
URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tickling_the_Dragons_Tail.jpg Public Domain
 スローティンはこの臨界実験を、これまで何度も繰り返していた。その日は同僚たちを招いての、ディスプレイ実験の晴れ舞台だったのである。
 一瞬、スローティンの手からドライバーがずれ落ちた。ベリリウムの二つの半球殻が、鈍い音を立てて閉じてしまった。 

 青い閃光が見えた。全員が皮膚に焼けるような熱さを覚えた。 

 スローティンは咄嗟に渾身の力で上蓋を跳ね除けた。その間10分の2秒ほど。あと一刻の躊躇でプルトニウム全体が爆発し、実験室だけでなく、研究所の施設もろとも、いや、隣のロスアラモスの街全てまでを焼き尽くしていたことであろう。 

 ちょうど長崎の街のように。 

 元のままの姿のプルトニウム球体を確認したスローティンは、強いて落ち着き払った声で、部屋にいた全員にむかって、動かずに各自の球体との距離を測ってから去るように言って、自らも建物を出た。強い吐き気を催してうずくまった彼は、すぐに病院に運ばれた。 

 ベリリウムの蓋が閉じてプルトニウムの臨界の起きていた一瞬に、3000兆の連鎖分裂があり、青い光以外にも、目には見えぬまま、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線、あらゆる放射線が莫大な量放出された。スローティンの被曝量は21シーベルト、これは広島爆心直下の被曝量の2倍強で、かつて人間が浴びた放射線量の最高値である。それは致死量の5倍である。 

 病院でも施す手段はなかった。皮膚、臓器、体のあらゆる部位の細胞が壊死し、機能停止し、出血が止まらなかった。蓋を押さえていたスローティンの手が、2倍ほどに肥大し歪んだ写真が残されている。9日ののち、譫妄状態の中でスローティンの心肺は停止した。 

 同室した科学者で他にも数名、放射性障害を疑われる者が出ている。
 これ以降ロスアラモスでは、臨界近い核物質に、人間が直接近づくことが禁止された。実はすでに半年前、同じプルトニウム塊を用いて、類似の接触臨界事故が起きていたのである。実験を行った24歳の青年科学者ハリー・ダリアンは1月後に死亡している。ダリアンの被曝量は10シーベルトと推定されている。 

 東京で数十万人を殺す代わりに、二人の青年を自滅させたプルトニウム塊は、以降「デーモンコア」の名で知られるようになる。魔物の心臓という意味である。 

 しかし一体、スローティンは(そしてダリアンは)何のためにこのような無謀で無意味な実験を行ったのだろうか。臨界の条件を調べるためならば、いくらでも他にやりようがあったはずである。野心的な青年科学者にありがちな、好奇心の暴走であろうか。 

 それならば研究所の上層部は、なぜこれを止めなかったのだろうか。核開発のリーダーの一人であったエンリコ・フェルミが「このような実験は1年以内に死を招く」と常々語っていたにもかかわらずである。「龍の尻尾で遊んでいる」と表現した科学者もいた。 

 青年のような好奇心が、成熟した老年の科学者たちにも共有されていたことは明白である。好奇心こそは科学の進歩の原動力であるのだから。 

 しかし好奇心は、科学のもたらすあらゆる惨禍、科学による人間破壊の原動力でもある。科学者にとっての科学は、イヴにとっての林檎なのである。核爆弾の開発に科学者たちはなぜ嬉々として協力したのだろうか。それは好奇心の追求が倫理感に基づく抑止を上回ったからであろう。自然界の真理の探究のもたらす悦びは、科学者にとって何物にも代えがたい。その悦びは、科学の産物の犯罪的利用への懸念からくる自制を常に上回っている。 

 さらには別の誘惑もある。科学のもたらす権力である。デーモンコアを前にしたスローティンが手にしていたのは、気まぐれ一つで、目の前の世界を粉々に吹き飛ばし、無数の命もろとも暗闇に葬る、目眩がするほどの力であった。実験を繰り返したときの彼は、おそらくは悪魔的な力の感覚に酔っていたのであろう。知は力であり、力は悪を孕む。科学の絶対的な力は絶対的な悪となる。

If the radiance of a thousand suns 
Were to burst at once into the sky 
That would be like the splendour of the Mighty One... 
I am become Death, 
The shatterer of worlds.

もしも千の太陽の光輝が 
一度に空に放たれるならば 
それは全能者の栄耀さながらであろう… 
私は「死」となり 
諸世界の破壊者となるのだ

図2 人類初の核実験「トリニティ実験」の爆発 
URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trinity_Detonation_T%26B.jpg Public Domain

 デーモンコアに先立つ1年前、人類初の核実験を成功させたロバート・オッペンハイマーが砂漠に立ち昇ったキノコ雲を前に呟いた、古代インド叙事詩『バガヴァット・ギータ』からの引用句である。 

 純粋科学が大きな技術的革新を生んで、潤沢な資金と特権的研究環境を与えられる特別な時代がある。そのような黄金時代の科学は、社会一般からの制御の及ばない象牙の塔を築き、独特の非人間性や傲慢さを、往々にして帯びることになる。科学の倫理的退廃はそのようにして始まるのだ。 

 おそらくデーモンコアとは、科学そのものに内在する原罪の隠喩なのであろう。

全卓樹

1958年京都府生まれ。高知工科大学理論物理学教授。東京大学理学部物理学科卒業、東京大学理系大学院物理学専攻博士課程修了。専攻は量子力学、数理物理学。ジョージア大学、メリランド大学、法政大学などを経て現職。著書に『エキゾティックな量子──不可思議だけど意外に近しい量子のお話』『銀河の片隅で科学夜話──物理学者が語る、すばらしく不思議で美しいこの世界の小さな驚異』など。
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