マジックと写真の知られざる関係──大山顕×ゆうきとも×堀内大助「なぜ人は現実と虚構を混同するのか」イベントレポート
ゲンロンα 2020年7月15日配信
ある男が舞台に登場し、父親との関係を話しはじめる。彼は、父親からもらった恐竜の人形を探しているらしい。その瞬間、舞台上には恐竜の人形が突然現れる。その後も自分自身について語りながら、宇宙人やタイムマシーンを出現させ、物語とマジックが進行していく。
世界で最も有名なイリュージョニストとして知られるデヴィット・カッパーフィールドがラスベガスで行うマジックショーは、こうして我々に魔法の世界を見せてくれる。
このショーに魅了された男が、ゲンロンカフェにやってきた。写真家の大山顕である。大山は、マジックと写真は近しい関係にあると考えているという。
そんな大山を迎え、写真とマジックについてのイベントが開かれた。ゲストは、日本のクロースアップマジックの第一人者でもある、ゆうきとも。司会は、ゲンロン社員の堀内大助。実は、堀内はプロマジシャンとしての経歴を持ち、ある時期ゆうき主宰のワークショップに通ったこともあるそうだ。写真とマジックの知られざる関係をめぐって行われたイベントの様子をレポートしよう。(編集部)
写真とマジックの連続性
大山は、恐竜や宇宙人、タイムマシーンが出現するカッパーフィールドのショーを「ハリウッド映画のようだ」と述べ、視覚文化とマジックの類似性を指摘する。「見えないものを見せる」という点において、マジックと映画、あるいは写真は親和性がある。また、写真が誕生し普及した19世紀中頃は、それまで大道の見せ物や呪術的なものであったマジックがショービジネスとして近代化した時期でもあるそうだ。19世紀末の映画の黎明期には、映画の制作や興業のなかに多くのマジシャンが関わっていた。視覚文化とマジックを連続性の中で語り得ると大山は提案する。 ゆうきによれば、マジックをそのように語る人は少なく、多くの人がテクニックの問題としてのみ語るという。こうした視点から、司会の堀内が用意したスライドを元に議論は進んでいく。 スライドではまず、大山の新著『新写真論』の内容を絡めながら写真とマジックの連続性が語られていく。大山は写真の定義を「凸凹な事物の表面を記録するもの」と定義づけるが、ゆうきと堀内は「表面だけを見せる」感覚がマジックではごく当たり前のことだと述べる。裏側にあるトリックをうまく隠し、表面だけを見せて観客を驚かせることがマジックの本質だからだ。
人は言葉で騙されない
マジックがテーマだということもあり、イベントではゆうきと堀内によるマジックも披露された。ゆうきはアメリカのマーティン・ガードナーが考案したという手品を披露。ガードナーは、壇上で紹介された『自然界における右と左』をはじめ数々の著作を残したサイエンスライターで、マジシャンでもある。たった4枚のカードしか使わず、選ばれたカードの裏の色が何度も変わる見事なマジックだった。雑談も交えながらのショーだったが、ゆうきによれば、話しながらのマジックは実は難しいのだという。 ゆうきは「人は言葉にはあまり騙されない」からだと述べる。人が騙されるときに影響されるのは、騙す人の視線や身体の動き、そして何より、受け手側の「信じたい」という気持ちだ。つまり、人は「信じたいものを信じる」のだという。 また大山は、マジックが広く興味を持たれる時代には、受け手がイリュージョンを求めてしまう理由があるのではないかと述べる。近代マジックや写真が成立した19世紀は、戦争が国民国家同士による総力戦となり、大量の犠牲者を生み出していく時代だった。戦争で身近な人が多く亡くなった時代だからこそ、人々は目の前に「現実ではない何か」が現れることを信じたのではないか。それは、初期の写真が「心霊写真」という形で流行したこととも無縁ではないと大山は指摘する。 「信じたいものを信じる」という問題は、現在の「フェイクニュース」にも通じる射程の長い問題だろう。ゆうきは、「騙す」ことの正の側面と負の側面を認識する必要性を強調した。
マジックから考える
議論は弾み、本来の予定を超えて第3部まで延長されることが決定。マジックと写真を巡ってさらに深い議論が展開されることとなった。ここで議論の争点に上がったのは、「マジックが見破られる」とはどういうことか、という問題だ。堀内は以下のような例を挙げた。ほんとうは電磁石を使ってボールを浮かせていたとき、観客が「ボールを吊る糸が見えた」と言ったとする。そのとき、マジックは見破られたことになるのか? この場合、否定しようとすればマジックのタネを明かすことになってしまう。したがって「糸が見えた」という観客の言葉は、肯定することも否定することもできない。大山はゆうきに、そのような観客がいた場合、どのようにショーを成立させるのかを尋ねた。 ゆうきはこの質問に対して、「マジシャンと観客が目指すゴールを考え直すこと」を挙げた。マジシャンにとって重要なのは、マジックのタネを見破られないことではない。マジシャンとはエンターテイナーであり、あくまでもお客さんを楽しませるためにショーをしている。 だとすれば、観客に、本来は存在しない糸が見えたことになってもいいのではないか。むしろその反応をどう楽しませる方向に導くかこそが、重要だという。「タネがバレてはいけない」ということのみを正義とし、それに固執することが良いマジックだとは限らないのだ。 これは、フェイクニュースをめぐる動向に対しても同じことが言えるだろう。それぞれが信じたいことを信じて正義をかざすのではなく、全員にとっての望ましいゴールを考えること。それを、マジシャンは常日頃から舞台上での実践を通して行っている。 大山は、マジシャンの存在が興味深いのは、そのような実践を常に行い続けているからであり、様々な「虚構」が世の中を覆う現代こそ、彼らの知見から得られるものが多いのではないかと締め括った。 イベントでは他にも、「オリエンタリズムと写真とマジック」、「建築史の中のマジック劇場」、「観光客としての猫とマジシャン」、「オカルトブームとマジック」などマジックと写真についての話題が議論された。ゲンロンにとって初めてのマジックイベントは合計8時間以上にも及び、大盛り上がりの中で幕を閉じた。 マジックと社会と写真がいかに交わるのかを知りたい方は、ぜひ動画を見て欲しい。(谷頭和希) こちらの番組はVimeoにて公開中。レンタル(7日間)600円、購入(無期限)1200円でご視聴いただけます。 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200710
大山顕×ゆうきとも×堀内大助「なぜ人は現実と虚構を混同するのか──フェイクニュースとポスト真実の時代の視覚メディア論」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20200710/)