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    写真家から写真経験へ──飯沢耕太郎×大山顕「写真はほんとうに人間を必要としなくなるのか」イベントレポート

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    ゲンロンα 2020年7月2日配信

     6月26日(金)、大山顕『新写真論』(弊社刊)の刊行記念イベントが行われた。大山顕が今回対談するのは、写真評論の第一人者・飯沢耕太郎。学生時代から影響を受けている評論家であると同時に、工場写真に作品として反応してくれた唯一の存在なのだと大山はいう。書評で『新写真論』の視点を高く評価した飯沢だが、スマートフォンは持っておらず、SNSもまったくやっていない。  大山がInstagramの集合的な面白さを説くのに対して、飯沢はそこでどんな新しい写真表現が生まれるのかを問う。平行線にもみえる応答のなかで写真史が掘り起こされ、2人の対照的な写真論が見えてきた。(ゲンロン編集部)  ※本イベントのアーカイブ動画は、Vimeoにて先行公開中(購入のみ)です。本記事の内容に関心を持たれた方は、こちらのリンクからトークの全容をお楽しみください。

    写真がアートになったとき


     そもそも写真評論とはなにか?  飯沢はイベント配信の冒頭でつぎのように語った。写真のメッセージは、写真家のそれぞれ独自の言葉で書かれている。だから、写真家の作品を広く伝えるためには翻訳する人間が必要だ。飯沢はそうした役割の必要を感じ、80年代から写真評論に取り組みはじめた。大学院在学中に、早くも二つの連載が決まっていたという。飯沢は戦前の日本写真史を研究していた。
     
     大山がデビュー当時の飯沢を取り巻く環境について尋ねると、飯沢は80年代は「アートとしての写真」が成立した時期だったと振り返った。70年代末に、石原悦郎の率いるツァイト・フォト・サロンやPGI(フォト・ギャラリー・インターナショナル)といった写真専門の商業ギャラリーが誕生し、「アートとしての写真」のプリント販売が行われるようになった。10年後の1989年にはダゲールによるダゲレオタイプ(銀板写真)の発明から150周年を迎えて展覧会が開催され、前後して、川崎市民ミュージアム、横浜美術館、東京都写真美術館といった、写真をアート作品として所蔵する美術館の開館が続くことになった。社会的・文化的なシステムとして、「アートとしての写真」が日本に成立するのは80年代からだといえる。  スマートフォンの誕生をiPhoneが発売された2007年だとすると、「アートとしての写真」が成立してからスマホ写真の誕生までは30年ほどしか経っていない。大山は、「アートとしての写真」をそれ以前から連綿と続いてきたものと考えてしまうのは、土門拳や木村伊兵衛といった特異な写真家を軸にして写真史を語るからではないかと述べた。他方で飯沢は、80年代以前は、土門や木村は例外であり、写真はあくまでもフォト・ジャーナリズムやコマーシャルとして扱われていたのだと説明する。スマートフォンやSNSが引き起こした写真の変化は、どうやらフォト・ジャーナリズムからアートへの変化と並ぶ大きな変化にあたるようだ。

    関東大震災から2020へ


     大山は、自分が写真を撮り始めた理由に、都市を「スキャン」したいという欲望があったと語った。大山は、飯沢の『都市の視線:日本の写真 1920-30年代』を何度も読み返しているという。このなかで、近代都市の特性として取り出された「速度・密度・多層性」は、1920年代から30年代の写真についての特徴であるかかわらず、現代の写真やSNSのあり方にもあてはまると語った。
     
     また大山は、同書が取り上げていた関東大震災後の状況に注目。当時、多くのアマチュア写真家たちが、都市が瓦礫からふたたび急速に立ち上がっていく光景に反応し、素晴らしい写真を残している。大山は、この歴史を踏まえたうえで、3.11以後に現代の写真家がなにをしてきたかについて考えるべきだと語った。

    明治と令和の「写真経験」


     イベントの後半では、議論はSNS時代の写真論へ進んでいった。飯沢は、写真表現に自分が求めてきたのは、見たことのない表現や新たなものの見方だという。だからInstagramは面白いと思えない。  とはいえ、写真にセンス・オブ・ワンダーばかりを求める姿勢や作家論的な評論のあり方については、自分でも疑いがあると打ち明け、「写真経験」という考え方を紹介した(緒川直人・後藤真編『写真経験の社会史』)。これは作品や撮影者だけではなく、写真を受容する側、さらには写真家を育てるメディアや展覧会、学校といった文化的構造を重視する考え方だという。  大山はそれを承けて、たとえばInstagramではおしゃべりをするように写真が使われているが、まさにこのプラットフォーム自体が面白いのだと指摘する。これはまさに現代の「写真経験」だといえる。プロフェッショナルの写真作品は、いまや「写真経験」のメインストリームではなくなった。大山はふたたび『都市の視線』を引き、戦前にもアマチュアが日本の写真表現を牽引した時代があったことを強調した。  飯沢はそれに対して、現代のInstagramとちがって、当時はアマチュアのほうがラディカルだったと指摘する。「写真経験」だけで写真史を書くことはむずかしい。写真が日本に定着する明治初期までは「写真経験」で歴史を書けるかもしれない。しかしそれは、そのとき「写真家」がいなかったからだ。その後の写真史はどうしても写真家の歴史になってしまう。写真家の写真経験は、一般人のそれより深さと奥行きを備えていると飯沢はいう。
     
     飯沢と大山の対照的な写真論。お互いに理解を示しながらも譲らないイベントの状況は、現代の写真を取り巻くアンビバレントな状況を表しているようにも思えた。  ほかにもイベントでは、『新写真論』で論じられた「写真の大きさ」や「顔認識」といった論点が、飯沢の歴史的なパースペクティブのなかで捉え直されていった。『アサヒカメラ』の休刊や富士忍野グランプリフォトコンテストでの第30回グランプリ受賞作の合成問題など、時事的なトピックについても語られている。配信動画をみて、ぜひ来たる写真論について考えてほしい。(國安孝具)
    飯沢耕太郎×大山顕「写真はほんとうに人間を必要としなくなるのか――SNS時代における写真のゆくえ」【『新写真論』刊行記念】 (番組URL= https://genron-cafe.jp/event/20200626/
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