あなたに北海道を愛しているとは言わせない(後篇) 「世界の終り」とナチュラルピースフル・ワンダーランド|春木晶子

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初出:2020年11月20日刊行『ゲンロンβ55』
前篇はこちら
『ゲンロンβ54』に掲載した前篇につづき、〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉第4期総代の春木晶子さんによる『あなたに北海道を愛しているとは言わせない』の後篇をお届けします。本稿は批評再生塾の最終課題として提出され、最優秀賞を受賞した論考に大幅な加筆・修正を加えたものです。同塾の主任講師であり、最終選考会の選考委員も務めた佐々木敦さんに、解題をよせていただきました。春木さんはなぜ「批評」という形式を必要としたのか。本編とあわせてお読みください。(編集部)
 

解題 佐々木敦



 春木晶子さんは、私が主任講師を務めていた「批評再生塾」第4期の最優秀賞、同塾はその年で終了したので、結果として批評再生塾の最後の「総代」になった方である。

 批評再生塾では毎回、ゲスト講師による課題に応じて受講生が批評文を執筆し、その中から私が3名を選出してプレゼンを行なわせ、口頭試問を経て、ゲストの方と講評、採点し、その回の順位が発表され、点数がどんどん累計されていく。しかし最後の課題では得点上位グループでなくともチャンスがあり、春木さんはそのラストで一発逆転勝利(?)を決めたのだった。

 とはいえ登壇率は比較的高かったし、日本美術史を専門とする学芸員という本職がゆえの専門知識と、単にそれに留まらない発想力と論述の粘り強さには、講義スケジュールのごく初期から一目置いていた。しかしながら、誰が総代になるのかは毎期決まるまで私にもさっぱりわからなかったので、彼女に決まった時には(私も推したのだが)少なからず驚きもしたし、同時にさもありなん、と思ったものである。それだけ最終講評会に提出された春木さんの批評文には力があった。着眼、分析、構成、文体、1本の批評文はさまざまな要素から成り立っているが、煎じ詰めれば「何を」「どう」論じているか、がすべてである。春木論文には、もちろん完璧というにはまだまだ程遠いものだったとはいえ、批評としての鋭さと輝きがあった。最後の批評再生塾で彼女を総代として世に送り出したことは、今も私の誇りである。

 本論文は、その最終論文をかなりの時間を掛けてリライト、ブラッシュアップしたものである。改稿、加筆の作業に私はまったくかかわっていなかったので、今回、論述内容の深化と展開、そしてヴォリュームの増加によって、再生塾に提出されたものとは大きく様変わりしたテクストを一読し、大変感心した。春木さんはアカデミシャンとして研究論文も多数書かれているが、これは「批評」としか呼びようのないものである。それはつまり、客観性と主観性の狭間で理路を紡ぎ、論究する対象をとことん追い詰めながら、そのことによって「書く私」も不可逆的に変容していく、複層的な体験としての思考の軌跡を記述するということだ。この論文ではそのような「体験」が、「北海道」と「村上春樹」という双つの固有名をめぐって旋回してゆく。

 実際のところ、これは「北海道論」と「村上春樹論」の非常に独特なアマルガムになっている。出発点にあるのは、春木さん自身が北海道の出身であるという端的な事実だ。通常、批評主体の個人的なプロフィールが論述の前提(あるいは動機)としてあることを明示するのは多少とも危険な試みだと私は思っているのだが、この文章はそれなくしては書かれることさえなかっただろう。春木さんは自身の「北海道」への積年の思いによって色付けられた視線が論述をさまざまな意味でフィルタリングしていることを隠そうとはしていない。だがしかし同時に、そこからどこまで遠くに行けるか、という批評/家の「冒険」が、ここでは存分に物語られてもいる。

 生まれ育った神戸を舞台とする小説を2作著したあと、村上春樹が次なる作品の舞台としたのは北海道だった。このことの理由と意味にかんしては当然ながらすでに多くの論が存在する。だが本論文の書き手は、春樹はなぜ北海道を選んだのか、という問いを、北海道が春樹を引き寄せたのはなぜか、という問いへと変換する。その結果、恣意的な主題を通して作品―作家を論じる文芸評論とも、特定のトポスをめぐる広義の学際的研究とも異なる、或る意味ではアンバランスな、しかしそれゆえに魅惑的な批評文が誕生した。心して読まれたい。
 

1、痛みを忘れた塔



 北の広場の中央には大きな時計塔が、まるで空を突きさすような格好で屹立していた。もっとも正確には時計塔というよりは、時計塔という体裁を残したオブジェとでも表現するべきかもしれない。何故なら時計の針は一カ所に停まったきりで、それは時計塔本来の役割を完全に放棄していたからだ。★1(村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』より)


 村上春樹『羊をめぐる冒険』から、次なる物語へと羊を連れ出そう。

 もとから日本に生息していない動物であるうえ、育成のメリットがゼロになったのにかかわらず羊は、ナチュラルでピースフルな北海道のアイコンとして親しまれている。それは、安穏の皮に身を包み、可哀そうで空虚な己が身を隠蔽する北海道の、ひいては近代日本の比喩であった。奇しくもこの動物は、かつて彼の地が「蝦夷地」と呼ばれていた時分には、そこが忌まわしき方位であることを隠蔽するために持ち出された干支でもあった。『羊をめぐる冒険』が「羊」のモチーフを通して表現しているのは、加害の記憶が眠る北の果てを、自己の一部として飼い慣らす、肥大化した「中心」たる日本の自己愛の生態だ。

 具体的には、4つの自己愛の発露が描き出されていた。第1に、羊を押し着せる加害者たる人に宿る「羊」とそれを取り巻く謎の組織、第2に羊を纏いながらもそれを忘却する「僕」、第3に羊をうまく着こなせない「羊男」、第4に羊を拒絶し自死する「鼠」である。村上春樹が糾弾するのは、わかりやすい悪である「羊」とその組織よりもなお、加害の自覚のない「僕」であった。「僕」が自らの皮、すなわち己の欺瞞に気がつきうなだれながらも立ち上がるところで、本書は終わる。

 自己愛に隠された加害と忘却の構造を暴き、欺瞞に満ちたセルフイメージの皮を剥ぎとり、自己の姿に直面すること。『羊をめぐる冒険』において試みられていたこれらの主題は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、さまざまに変奏されつつ追及されている。

 



 2つの別世界での物語が交互に進行しつつ、すれ違っては重なり合う、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。一方の舞台である「世界の終り」は、「壁」に囲まれた静謐な世界だ。街の人々は、自我のごとき自らの「影」を切り離され、記憶や心をなくしながらも平穏に暮らしている。彼らは、あらかじめ定められた職業や習慣に従うばかりであることに、すなわち「壁」の意思に従うばかりであることに、なんの疑問も抱かない。感性を失いながらもただただ生を送る住人たちは、『羊をめぐる冒険』の「僕」の悪夢で、「何も語らず、何も思わず、ただ僕をみつめていた何万という羊たち」そのものだ。街の人たちを操る「壁」は、『羊をめぐる冒険』でやはり世界を裏側から操っていた「羊」に重なる。

 そんな「世界の終り」に迷いこんだ「僕」は、街の決まりに従って影を切り離されるとともに、「夢読み」と呼ばれる職業を与えられる。その街には一角獣が暮らしていて、図書館にはたくさんの一角獣の頭骨が保管されている。その頭骨から「古い夢」を読み取ることが「夢読み」の仕事だ。「僕」はその仕事を手伝う「図書館の女の子」にひかれつつ、切り離された自らの「影」と密かに接触し、「世界の終り」からの脱出を図る。「僕」は「影」のもとめに応じてその世界の地図をつくるが、なかなかうまくいかない。それは、「のっぺり」とした札幌で「東西南北の感覚が消滅し」疲弊した、『羊をめぐる冒険』の「僕」を想起させる。

 完結した閉じた世界と見える「世界の終り」には、自らの影を殺しきれなかった人々、すなわち心を残す人々が暮らす「森」があり、南の「たまり」と呼ばれる巨大な水のたまりには(「影」によれば)「出口」がある。街の人々は、「森」にも「たまり」にも、決して寄り付かない。そこは隔絶された、禍々しさをたたえた場所だ。そこは、『羊をめぐる冒険』で冒険の終着点となる十二滝町の山荘と同様の役目を担う。物語の最後に、「影」はその世界から去ることを決意し、「僕」はそこに留まり「自分がやったことの責任を果たす」と決意する。あたかもそれは『羊をめぐる冒険』で、羊を宿しながら自死する〈鼠〉と、その死を悼みながらも生き続ける「僕」のようだ。

 システムによる記憶の収奪、のっぺりとした街、僻地へと追いやられた忌むべき場所。『羊をめぐる冒険』における北海道と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』における「世界の終り」は、こうした特徴を共有する。秋のはじまりから長く厳しい冬のできごとが語られる、乾いた、いろどりの乏しい「世界の終り」。その淵源にあったのは、『羊をめぐる冒険』における北海道ではなかったか。

 



 ただし、「世界の終り」にあって、『羊をめぐる冒険』の北海道には見出せいないモチーフがある。街の中心に立つ、時を刻む機能を失った時計塔だ。

 時を刻む機能を放棄することは、歴史に背を向けることを意味するだろう。それは、自身の来歴を忘れ行く末を思うことのない、自らの生に固有の歴史を持たず固有の目的を持たない街の人々の象徴だ。例えば「僕」に親切に接する「大佐」は、かつて彼を「戦いに駆りたてたもの」や、「名誉や愛国心や闘争心や憎しみ」を忘却し、壁の中の「安らぎ」に生きる。彼が、かつて自分が傷つけたり損なったりしたものに対して思いを馳せることは、ない。

「影」は言う。「世界の終り」は「不自然で間違っている」と。「不自然で間違っているなりに完結している」と。


たしかにここの人々は[……]誰も傷つけあわないし、誰も憎みあわないし、欲望も持たない。みんな充ち足りて、平和に暮している。何故だと思う? それは心というものを持たないからだよ★2

心は獣によって壁の外に運び出されるんだ。[……]獣は人々の心を吸収し回収し、それを外の世界にもっていってしまう。そして冬が来るとそんな自我を体の中に貯めこんだまま死んでいくんだ。彼らを殺すのは冬の寒さでもなく食料の不足でもない。彼らを殺すのは街が押しつけた自我の重みなんだ。[……]それが完全さの代償なんだ。そんな完全さにいったいどんな意味がある? 弱い無力なものに何もかもを押しつけて保たれるような完全さにさ?[……]それが正しいことだと君は思うのかい? それが本当の世界か? それがものごとのあるべき正しい姿なのかい? いいかい、弱い不完全な立場からものを見るんだ。獣や影や森の人々の立場からね★3


 若森栄樹は、「世界の終り」を「孤立した島国である日本のメタファー」とみなす★4。一元化のもと固有性や歴史を失い、弱い無力なものの犠牲のうえに立つ身勝手なその世界は確かに、加害の歴史を忘却し安穏の皮に自らを包む日本の比喩と解することができよう。

 先に述べたように『羊をめぐる冒険』では、そうした身勝手な近代日本の矛盾と隠蔽の有り様が、羊と北海道に重ねられていた。その被害者として登場するのが、アイヌの青年であった。北海道の北東の十二滝村で、ひっそりと死を迎えたアイヌの青年。十二滝町となったその町の山奥の山荘では、近代日本のシステムの支配に戸惑う羊男が暮らし、鼠はそこで抵抗のために自死する。アイヌの青年と羊男と鼠はそれぞれ、「世界の終り」で「完全な」街の犠牲となる獣、森に追いやられた人々、そんな世界は間違っていると糾弾してそこを去る「影」に、対応する。

 獣の死を悼むことも、森の人々を気遣うこともない、痛みを忘却した街の人々。その象徴たる時計塔に応じるものは、『羊をめぐる冒険』の北海道には見出せない。しかし今日の北海道には、「世界の終り」の塔よろしく、歴史に背を向けることとなった塔がある。慰霊の機能を失い痛みを忘却した北海道百年記念塔だ。前篇で述べた通り、開拓の痛みを刻むために建てられた北海道百年記念塔は、ナチュラルでピースフルな観光イメージと引き換えに今まさに倒されようとしている。

 それが倒れようが倒れまいが、人々はもはや無関心だ。人々を支配しているのは、そうした象徴たる塔ではなく、実体のわからない物言わぬ「壁」であり「羊」、すなわち目に見えぬシステムであるからだ。

 機能を失い象徴としてのみ立ち続ける塔。『羊をめぐる冒険』の北海道には、その塔に対応するものは見出せないと述べた。しかし本書で、北海道と関わりなく登場するものに、塔に相当するものが見出せる。

「鯨のペニス」である。

2、虚ろな形の塔


 我々は鯨ではない──これは僕の性生活にとって、ひとつの重大なテーゼである。


 子供の頃、家から自転車で三十分ばかりのところに水族館があった。[……]水族館には鯨はいない。鯨はあまりにも大きすぎて、水族館をつぶしてまるまるひとつの水槽にしたところでそれを飼うことはできないのだ。そのかわりに水族館には鯨のペニスが置いてあった。まあいわば代用品だ。[……]そこには切り取られたペニス特有の何かしら説明しがたい哀しみが漂っていた。[……]

 僕が最初に女の子と性交したあとで思い出したのも、その巨大な鯨のペニスだった。それがどのような運命を辿り、どのような経緯を経て水族館のがらんとした展示室に到達したのかを考えると、僕の胸は痛んだ。しかし僕はまだ十七歳で、すべてに絶望するには明らかに若すぎた。そこで僕はそれ以来こう考えるようになった。

 我々は鯨ではない、と。★5


 山﨑眞紀子は、この「鯨のペニス」を天皇と重ねる。巨大な本体から切り離されて弱体化されたそれは、「ジークムント・フロイトやジャック・ラカンのいうファロス的機能を果たす象徴の意味合い」を持たない、本来の機能を失ったものとして作品に組み込まれている。つまり、「権威と思われていたものがいまや中枢から切り離されている状態、先の三島由紀夫自決場面と重ね合わせて考えれば、神ではなくなった象徴天皇を表している」と★6

 この「鯨のペニス」のエピソードは、「僕」が羊をめぐる冒険に巻きこまれるよりも前にやや唐突に登場し、振り返られることがない。羊をめぐる比喩の連関から浮いた印象を受ける箇所だ。だが、むしろこのエピソードこそが、羊の欺瞞の核心を突く。

「僕」が羊を思うとき、それはしばしば生殖の不安と結びついている。『羊をめぐる冒険』で「僕」が生きている羊を初めて目にするのは、十二滝町の町営の緬羊飼育場を訪れたときだ。飼育場の管理人は、羊の世話というのは、1年がただ「ぐるぐるまわっていくだけ」だと語る。「秋に交尾して、冬をやりすごして、春に子供を産んで、夏に放牧する。仔羊が大きくなって、その秋にはもう交尾する。そのくりかえしだよ」と。

 羊探しの任を負うことになったはじめから「僕」は、羊は「種つけがポイント」だと「黒服の秘書」に教えられていた。羊は幕末以前には日本におそらく1頭も存在せず、「それ以降輸入された羊は政府によって一頭一頭厳重にチェックされ」ていた。「加えるに羊は競走馬と同じで種つけがポイントだから、日本にいる羊のほとんどは何代も以前にまで簡単にさかのぼることができる。つまり徹底して管理された動物なんだ」。

 羊の生殖、それは、徹底した管理と結びついている。「僕」の不安のポイントはここにある。先の「切り取られたペニス」は、すぐさま去勢を連想させる。しかし、「僕」が恐れる去勢とは、生殖の禁止ではない。むしろ、管理された生殖の肯定だ。
「僕」は作中、子供はいらないという主張を繰り返す。「生命を生み出すのが本当に正しいことなのかどうか、それがよくわからない」からだ。「子供たちが成長し、世代が交代する。それでどうなる? もっと山が切り崩されてもっと海が埋め立てられる。もっとスピードが出る車が発明されて、もっと多くの猫が轢き殺される。それだけのことじゃないか」と言う「僕」は、「生命を生み出す」ことや「世代が交代する」ことに、正しさよりもなお虚しさを見出している。

 同様の台詞が、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でも、「世界の終り」の「影」によって発される。「世界の終り」の完全さは、街の人々の心/自我を吸収した獣たちの死によってもたらされていた。「死んだ獣の数だけ新しい子供が生まれ」、「その子供たちも成長すると掃き出された人々の自我を背負って同じように死んでいく」。「影」もまた、生命の誕生と世代交代の虚しさを憂う。

 戦いや憎しみや欲望がない「世界の終り」には、絶望や幻滅や哀しみがあればこそ生まれる、喜びも至福も愛情もない。「心のない人間はただの歩く幻にすぎない。そんなものを手に入れることにいったいどんな意味があるっていうんだ?」と、「影」は言う。獣たちに自我を押しつけて安穏と生きる「世界の終り」の住人たちは、先の羊のごとく、自らの意思とは無関係な「壁」の管理のもと、虚しく世代交代を繰り返しているのだった。

「僕」はそれに抗うために、自らが心を寄せる「図書館の女の子」と寝ることを拒む。それは「街」が「僕」の心を手に入れやすくするために望んでいることだと考えたためだ。

 



 時計の針を止めているのは、生殖の禁止ではない。徹底した生殖の管理こそが、未来への歩みを止め、来歴にまつわる加害の記憶を隠蔽する。管理された生殖に抵抗を示す「僕」たち。

 他方で『羊をめぐる冒険』の「僕」は、繰り返し性交する。


性交ということばが僕はとても好きだ。それは何か限定された形の可能性を連想させてくれる。★7


 性交から連想される「限定された形の可能性」の意味は判然としない。しかし少なくとも村上春樹は明らかに、「生殖」と「性交」を対比させている。

 漫然とした生殖の反復に言い知れぬ不安を抱く『羊をめぐる冒険』の「僕」。「僕」が繰り返す性交が、そうした管理や支配と結びつく生殖への抵抗であるという構造は、『羊をめぐる冒険』では見えにくい。しかし、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、「生殖」が管理や支配と結びつく一方、「性交」がそうした支配から逃れることと結びつく。

 先に述べたように、「世界の終り」の「僕」は、心を持たない「図書館の女の子」と寝ることを断る。心の交歓をともなわないセックスは「性交」にはなり得ず、「生殖」に陥らざるを得ないためだろう。
 この対比は、「世界の終り」と対をなす「ハードボイルド・ワンダーランド」で、より明白に描かれる。先述の通り本作は、2つの別世界での物語が交互に進行する。一方の世界である「ハードボイルド・ワンダーランド」は、戦いや憎しみや欲望に溢れた世界だ。80年代の東京を思わせるそこでは、「組織システム」と「工場ファクトリー」という表裏の関係にある2大勢力が情報戦を繰り広げていた。そこで「組織システム」の側に属し、特殊な情報操作の職能で「それなりに満足して」生きていた「私」は、「博士」の依頼で彼を訪ねたことから、自らの意思とは無関係に世界の存亡をかけた攻防の核心に巻きこまれていく。物語のハイライトは、地下世界での「博士」の救出劇だ。「私」は闇の中を「博士」が発明した音を消す特殊な技術を用いて、「博士」の孫娘の案内に従い命からがらに巡りまわる。冒険の終着点である地下世界の「塔」のうえで「私」は、自らがこの世界から去る運命、すなわち自らの意識の底にある意識の核「世界の終り」に、恒久的に入り込んでしまう運命を告げられる。この小説で「ハードボイルド・ワンダーランド」と交互に語られてきた「世界の終り」が、「私」の内部に存在する一種のパラレルワールドであること、「私」と「僕」が重なり合う存在であることがここで読者に明示される。

 



 自らの預かり知らぬところで、自我や記憶が不当に奪われようとしていることに、絶望し幻滅し哀しむ「私」。しかし運命を受け入れることでかえって「私」は、管理や支配から解放される。「計算士」という数字の処理を生業とし、代替可能な合理性のもとで生きてきた「私」は、地下世界の冒険と己の悲運の通告を経て、身の回りの事象をつぶさに彩り豊かなものとして味わうように変化する。

 とりわけ、この世から消えゆく最後の夜を「図書館の女の子」とともに過ごす時間は満ち足りている。2人はイタリアンレストランでたっぷりと食事をとったあとに3回性交し、豊潤な眠りにつくのだ。それは彼女との2回目のデートであった。1度目のデートのとき、組織システムによる不穏な支配を予感していた「私」は、勃起不全に陥っていたのだった。悲運を受け入れた「私」の「完璧」な勃起により、この上ない時を過ごす2人。それがかけがえのない幸福な瞬間であることは、「私」が持つ一角獣の頭骨が光を発するという事態によって示される。「世界の終り」では、その場面と対をなすように、「僕」が「世界の終り」の方の「図書館の女の子」の心を頭骨から読み取ることに成功したのだった。

 この世から消えゆく「私」は、生命を生み出すこと、すなわち自らの似姿を残すことはしなかった。しかし「私」は、心を交わした女の子の心の中からは、決して「失われない」と伝えられる。

 



 物語の最後に「私」はこの世から去る。不幸な己が身を嘆くよりもなお、その世界を祝福しながら。「あまりにも多くのものを失ってきた」「私」は、「失ったものを取り戻すことができるのだ」と思いながら、眠りにつく。「私」が失ったものとは、離婚した妻をはじめとする大切にすべきであった人々の「心」であろう。「世界の終り」の「僕」が森で生きることを決意するのは、かつて「私」が失った心の交わりを、そこで取り戻すために違いない。

 性交から連想される「限定された形の可能性」とは、このことと関わるのではないか。「僕」のいう性交は生殖とは異なり、新たな生命の「形」は生み出さない。しかし、村上春樹作品のいくつかの性交は、「心」の交わりや、それにともなう喜びや至福や愛情が生み出される様を描く。

「心」は「不完全」なものだと、「世界の終り」では語られる。確かに、心やそれに起因してあらわれる感情は、はっきりとしたわかりやすい「形」をともなわない。塔そして「鯨のペニス」は、その対極にある。それらは、まざまざとわかりやすい形を持ちながらも、内実を喪失した虚ろなものの象徴だ。そしてそれらは、『羊をめぐる冒険』の羊や『世界の終り』の街の人々、さらには象徴天皇制における天皇の姿の反映とも見える。その似姿を生み出し系譜を絶やさぬことこそが、あるときから天皇の果たすべきもっとも重要な務めとなった。すなわちそれは、管理された生殖の肯定の極まりだ。統治者たる内実を抜き取られた虚ろな身体が、当人たちの意志を置き去りにして、形ばかりの継承を続けている。

「世界の終り」の街の人々は獣の犠牲のうえに、羊やそれに重ねられる北海道はアイヌの犠牲に立つものだった。天皇の身体の形もまた、他者を供物にして手に入れられたものではなかったか。

3、身体を奪う塔


 日本神話の神々は、長らく肉体を持たなかった。それに連なる天皇も同様である。そこで見出された理想の体は、イタリア人のものだった。河田明久は言う。


 明治の初め、日本は、国家には主体を表現する身体が必要だという西洋流の常識を痛感したことがあった。いわゆる御真影がこうして生まれたことは知られるとおりだが、完成作の体躯が西洋人の肉体にもとづいていた事実はあまり知られていない。首から下のモデルを務めたのは作者であるイタリア人画家のエドアルド・キョッソーネ自身なので、身もふたもない言い方をすれば国内外で公式に認められた明治天皇の体はイタリア人だったということになる。★8


 同様の困難は、日本神話の図像化においても生じていた。そこで神々の体に用いられたのは、アイヌの身体ではなかったか。

 記紀神話の主神であるスサノオやアマテラスは、中世以前に絵画化された例が少なく、その姿が人々の目に触れる形で描かれるようになるのは近世に入ってからである。及川智早は、「江戸期より前に神々が描かれることはほとんどない」と指摘したうえで、その背景に、記紀がほとんどの神について身体的な特徴を一切述べていないという事情があると述べる。


 西洋に対峙した日本人が、彼の地の近代社会において、キリスト教信仰を背景に聖書等の物語群が図像化・絵画化されているのを目の当たりにしたとき、また、ギリシャ・ローマ神話をはじめとする豊かな神話伝説群を素養として持ち、それらが美術の主題として多く採られている西洋文明に触れたとき、日本人の根拠として新たに見いだされたものが『古事記』『日本書紀』に載録された神話や古代説話群であったといえる。ゆえに、明治以降、大正、昭和戦前期に至るまで、日本の神話・古代説話というものが、社会のいろいろな媒体(メディア)にじわじわと露出していくのである。そこでは、古代の神話や説話の文字テクストが社会に普及すると同時に、その図像化の試みも多くなされていくようになる。[……]八世紀に作成された『古事記』『日本書紀』は、中国からもたらされた漢字という「文字」のみで記された書冊であるから、挿絵のような画像は附されていない。よって、我が国古代の神話・説話の人物の図像を作成しようとする者は、後代の様々な資料を蒐集して参考にしたり、おのれの想像力を駆使したりしなければならなかったはずだ。★9


 その「想像力の駆使」の様相はいまだ詳らかではない。わたしはここに1つの可能性を、すなわちアイヌの肉体がそこで用いられた可能性を提示したい。

 18世紀、おもに外交上の理由から、蝦夷地は為政者や知識人たちの関心の的となる。幕府による調査隊が派遣され報告書類がつくられる一方で、蝦夷地やそこに暮らすアイヌが、絵画の画題となりはじめる。その代表作例である《夷酋列像》(1790年、ブザンソン美術考古学博物館所蔵)は、アイヌを賛美する肖像画という建前とは裏腹に、鬼門守護の物語をはじめとする和漢の神仙の伝説や物語を内包する国家安寧のための絵であった★10。すなわちその絵は、和人が和人の物語を共有し、和人の共同体を強化するための場であった。描かれたアイヌの身体からはアイヌに固有の物語は抜き取られ、空洞化した虚な身体には和人の物語が詰め込まれた。ただひたすらに和人の物語の容れ物となること。彼ら虚な表情が、その虚しさを物語っている。アイヌの物語から切り離され、和人の秩序に組み込まれる仕方で、アイヌは身体を奪われていく。《夷酋列像》を契機にはじまったこの身体の収奪がおそらく、幕末から明治にかけて急速に増大する日本神話の神々の造形に結実していく。
 例えば、日本神話を描いた初期の作例として真っ先に浮かぶものに、小林永濯★11(1843‐1890年)による《天之瓊矛を以て滄海を探るの図》★12(ボストン美術館所蔵、1880年代)がある。イザナミとイザナギによる日本の国創り神話──2柱の神が天浮橋に立ち矛を用いて混沌とした大地をかき混ぜたところ、その矛からしたたり落ちた雫から島が誕生した──を描いたものだ。矛を持つ男神イザナギの造形は、永濯の描くアイヌ男性と共通している。

 日本神話を得意とした永濯は、アイヌを描いた絵も複数手がけていた。永濯の《アイヌ風俗図》★13は、アイヌを画題とする絵の定型表現を踏まえ、男性のアイヌは豊かな髪と髭、つながった眉に濃い体毛で描かれる。衿の合わせを左衿(左の衿を内側にする着方)で描くのも、アイヌ民族の風習というよりも、野蛮な未開の風俗を示す記号である。永濯描くイザナギがその左衿であるうえ、衣服の地色がアイヌを描く絵ではお馴染みの樹皮衣(アットゥシ)の地色に似ることも、両者の類似を強める。イザナギの身につける勾玉もまた、先の《夷酋列像》では、アイヌに帰属するものであるかのように描かれたアイテムである。

 アイヌを古代日本と結びつけようとする傾向は、19世紀初頭の蝦夷地の調査記録にも見出せる。例えば《蝦夷島奇観》(東京国立博物館所蔵)では、古代日本の「盟神探湯」(対象となる者に、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うという呪術的な裁判法)と同様の風習がアイヌのあいだにあることや、アイヌ語と「万葉時代」の言葉との共通点が報告されている。

 明治初期、アイヌを描いていたのは永濯だけではない。彼と交流のあった河鍋暁斎(1831‐1889年)や、同時代の文人画家富岡鉄斎(1837‐1924年)もまた、アイヌ民族を描いた絵を手がけている。2人は、北海道の名付け親と知られる松浦武四郎(1818‐1888年)と親交があった。永濯、暁斎、鉄斎。江戸時代に生まれた3人の画人は、20代もしくは30代で明治維新を経験し、明治に生きた。江戸幕府という体制の崩壊を目の当たりにした彼らは、日本という国のかたちを古代にもとめ、それを画面に定着させようとしていた。アイヌは彼らにとって、恰好の形だったのではないか。

 というのは、アイヌは一方では日本の古代と結びつけられ、他方では西洋と結びついてもいたからだ。18世紀末に加速する幕府による蝦夷地政策は、南下をすすめるロシアの動きに応じたものであった。ロシア人はたびたび蝦夷地を訪れては、アイヌと接触していたという。ロシア人に対する「赤蝦夷」という呼称は、それがアイヌ/蝦夷の延長にあるものとみなされていたことを指し示す。ロシア人と和人の通訳を務めるなどもしていたアイヌ/蝦夷は、和人とヨーロッパを媒介する存在であった。《夷酋列像》をはじめ、アイヌを描いた絵に、西洋画の人体表現や陰影法が用いられていたことも、和人からアイヌへのそうした眼差しと関わるものと思われる。加えて幕末から明治にかけて、欧米ではアイヌは周辺のモンゴロイド系民族に囲まれたコーカソイド系民族の一員とみなされ、高い関心を集める。19世紀末から20世紀初めにかけて、ヨーロッパから多数の学者が訪れ、アイヌに関する資料を収集し自国に持ち帰っていった。こうした欧米の眼差しも、アイヌとヨーロッパを結びつける見方を強化した。

 先に述べたように、明治天皇の体にふさわしいものとして見出されたのはヨーロッパ人の体であった。アイヌの肉体は、天皇の肖像画にふさわしいと認められたヨーロッパ人に比される理想的なものでありながら、それが古代日本とも結びつくという、なんとも好都合なものだった。天皇がヨーロッパ人の身体に身をくるむ一方で、天皇の祖たる神々は、アイヌの身体を身にまとっていたのだ。

 かくしてアイヌの身体は、和人の都合でその内実を抜き取られ、和人に都合のよい物語を詰め込まれたうえで、収奪された。日本の古代に結びつけられ、すなわち、和人の歴史という物語に組み込まれることでますます、アイヌは固有の歴史や文化を失っていく。

 戦後、天皇の身体が虚ろなものと化すことは、こうした来歴からして必然の帰結だったのではないか。

4、風を聴く塔


「影」──自我を切り取られ、はりぼてのように生きる、「世界の終り」の街の人々。時を刻むことを放棄した時計塔のもとで完璧な輪の中をぐるぐるとまわり続ける彼らは、「不完全」である「心」を獣にお仕着せ、心を捨てられない人を「森」に押し込めていた。

 それは、一元化の論理におさまらないものや禍々しいものを蝦夷地や鬼門に押し込める、近世以来の日本の態度そのものだ。前篇で見た通り、蝦夷地を鬼門と眼差した人々は、北海道島の形──すなわち鬼門除けの北東隅を欠く安心の形を愛したに違いない。加えて近代から今日にかけては、羊の毛皮のごとき、ナチュラルでピースフルな北海道のポジティブイメージを愛し続けている。それが元来禍々しさを封じ込める形であることや、可哀そうで空虚な内実を覆う皮であることを忘却しながら。

 都合のよい形を収奪し、その皮に身を包んだ天皇は、わかりやすい形や皮をもとめて内実を忘却するこの国の反映だ。

 



 これこそが村上春樹の考える悪であった。ではその悪に抗うにはどうすればよいのか。『羊をめぐる冒険』では示されることのなかった、その悪への抵抗の方法が、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では指し示されているように思う。時を刻む機能を放棄した時計塔、生殖への不安、そして性交における「限定された形の可能性」。これらを通して聞こえてくるのは、わかりやすい完全な形よりも、わかりにくい不完全な心をこそ愛せよという、村上春樹の声だ。

 



「世界の終り」で「僕」が与えられた仕事は「夢読み」。すなわち図書館に保管される一角獣の頭骨に触れ、そこに閉じ込められた夢──それは街から運び出された人々の自我だと最後にわかる──を読むことであった。はじめのうち、そこからなに1つメッセージを読み取ることができなかった「僕」は、あることをきっかけにそこに、図書館の女の子の心を見出だすことができるようになる。

 そのきっかけは、「図書館の女の子」が「唄」の記憶を持つとわかったことにあった。「世界の終り」には、唄がなかった。女の子は「唄」を知らず、「僕」も唄を忘れていた。唄のもととなる音は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』全体を貫くテーマである。「ハードボイルド・ワンダーランド」では、「私」の支配や管理の脅威が、音が消えることと緊密に連関する。「博士」によれば、「この先必ずや世界は無音になる」。支配と管理が行き届いたかのような「世界の終り」はまさに、「この先」の世界であるように読める。

 唄を忘れた「世界の終り」で「僕」は、わけのわからないガラクタと成り果てた古びた楽器のなかから手風琴を見つけ出し、音をくりだす。はじめは「何ひとつとしてメロディーをみつけだすことができなかった」「僕」はあるとき、風を感じ、メロディーを獲得する。街を、壁を、塔を、森を抜ける風を感じ、4つの音を奏でると同時に「僕」は、その世界が、自分自身がつくりだしたものであることを理解する。
 本書の終幕で「世界の終り」の「僕」は、4つの音を奏で、メロディーを獲得する。加えて「僕」は、「風は音そのものだ」と言う。すなわち〈僕〉が獲得した4つの音は、4つの風、でもある。

 驚いたことに北海道には、まさにその名を冠した塔のごとき作品がある。砂澤ビッキ(1931‐1989年)による《四つの風》(1986年)である。高さ5.4メートル、4本の赤エゾ松の柱からなる作品だ。「風雪という名の鑿」が作品を刻み続けるというビッキの言葉に従い、倒れ、朽ち果てるまで、その姿を鑑賞者にあらわすことが約束されている4つの塔。札幌芸術の森の広大な野外彫刻美術館のなかで、4本のうち3本がすでに倒壊し、「風化」の様をあらわし続けている。まさに、風を聴く塔だ。表面の樹皮を削られ中央部の面を抉られた4柱は、剥き身を風にさらし続けている。

『風の歌を聴け』。村上春樹はその執筆活動のはじめから、わたしたちにそのメッセージを伝え続けていた。山﨑真紀子は、この村上春樹のデビュー作にも、天皇が登場することを指摘する★14。天皇が埋葬されている、巨大な古墳がそれだ。濠の水面は蛙と水草で覆われ、柵のまわりは蜘蛛の巣だらけとなり、古墳は山と化していた。黙って古墳を眺め、水面を渡る風に耳を澄ませたと、「鼠」は言う。「蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろう」。

 埋葬されているであろう人間の、何倍にも膨れ上がった、ぶ厚い皮の古墳。風と草木と虫たちは、その皮をゆっくりと風化させてゆく。皮を脱ぎ捨て、剥き身を風にさらすこと。そうして風と1つになること。それこそが、「影」のいう「弱い不完全な立場からものを見る」ことであり、悪に抗うことであろう。それは、村上春樹の一貫した制作態度だといってよい。

 性交もその一環だ。


 脱ぎ捨てられた彼女の服は彼女自身より彼女らしく見えた。あるいは私の服だって私自身より私らしく見えるのかもしれない。★15


 らしさやレッテル、皮や形を失ってもなお、残るものがある。剥き身の交歓を果たすとき、それに勝る喜びがあるだろうか。

 厚い「皮」に覆われながら壊れゆく「百年記念塔」。剥き身を風にさらしながらも、尊厳を保ち続ける《四つの風》。2つの塔の在り方とその顛末は、「世界の終り」の街の人々、北海道の人々、そして今日のこの国の大半の人々の生と、「森」に生きる人々の生との違いを、指し示している。

 あなたに北海道を愛しているとは言わせない。あなたには、皮を剥がれた羊を、塔を、剥き身のあなた自身をこそ、愛していると言わせたい。

★1 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(上)、新潮社、1985年、75‐76頁。
★2 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(下)、新潮社、1985年、259頁。
★3 同書、263頁。
★4 若森は本作を「一角獣のように本当は「欠陥商品」なのに偶然生きのびている、未来のない日本でも生きていくこと、愛することは可能だし、そうしなければならないというメッセージをもつ小説」と解釈する。若森栄樹、拓殖光彦「〈対談〉進化するテクスト 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をテクストに」『國文學 解釈と教材の研究』第40巻4号 村上春樹―予知する文學、學燈社、1995年、12頁、26頁。
★5 村上春樹『羊をめぐる冒険』(上)、講談社文庫、2004年、47‐49頁。
★6 山﨑眞紀子「〈戦争の記憶〉アイヌ青年の死・村上春樹『羊をめぐる冒険』論――村上春樹と北海道II」『札幌大学総合論叢』35号、札幌大学、2013年、266頁。
★7 村上春樹『羊をめぐる冒険』(下)、講談社文庫、2004年、32頁。
★8 河田明久「日本人の肉体と「正しい身体」」『現代思想』30巻9号、青土社、2002年、169頁。
★9 及川智早『日本神話はいかに描かれてきたか――近代国家が求めたイメージ 』、新潮社、2018年、2‐3頁。
★10 このことは次の拙稿で詳しく述べたので、興味のある方はご参照いただきたい。春木晶子「《夷酋列像》と日月屏風―多重化する肖像とその意義―」『美術史』、美術史学会、2019年、445-464頁。春木晶子「北のセーフイメージ(2)多重化するアイヌの肖像」『ゲンロンβ』第50号、株式会社ゲンロン、2020年。春木晶子「北のセーフイメージ(3)物語支配論」『ゲンロンβ』第52号、株式会社ゲンロン、2020年。
★11 小林永濯については、松浦あき子「小林永濯の人と作品」『MUSEUM 東京国立博物館美術誌』534号、1995年を参照した。永濯は狩野派に学んでのち浮世絵や挿絵を手がけるとともに、高橋由一ら油絵画家と交流し洋画を学ぶなど、多様な活動が知られる画家である。今日でこそ知名度は高くないものの、明治9年には「浮世絵では東京一の大先生」と評され、明治18年の第1回鑑画会大会ではフェノロサに絶賛され一等賞を与えられるなど、華々しい活躍が伝えられる。最近では、平成27年に東京藝術大学で開催された「ボストン美術館×東京藝術大学ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」で、その独特の画風が注目を集めた。
★12 ボストン美術館ウェブサイト URL= https://collections.mfa.org/objects/26669/izanami-and-izanagi-creating-the-japanese-islands?ctx=19ae8005-0963-4e3d-a4aa-50c7cd92bfb9&idx=7
★13 ボストン美術館ウェブサイト URL= https://collections.mfa.org/objects/331985/scene-of-ainu-life-from-an-unidentified-series?ctx=a443c977-bd5e-48b4-8b6e-8c139ec8fa4b&idx=12
★14 山﨑眞紀子「〈戦争の記憶〉アイヌ青年の死・村上春樹『羊をめぐる冒険』論――村上春樹と北海道II――」『札幌大学総合論叢』35号、札幌大学、2013年、255頁。
★15 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(下)、新潮社、1985年、351頁。

春木晶子

1986年生まれ。江戸東京博物館学芸員。専門は日本美術史。 2010年から17年まで北海道博物館で勤務ののち、2017年より現職。 担当展覧会に「夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界―」展(北海道博物館、国立歴史民俗博物館、国立民族学博物館、2015-2016)。共著に『北海道史事典』「アイヌを描いた絵」(2016)。主な論文に「《夷酋列像》と日月屏風」『美術史』186号(2019)、「曾我蕭白筆《群仙図屏風》の上巳・七夕」『美術史』187号(2020)ほか。株式会社ゲンロン批評再生塾第四期最優秀賞。
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