【 #ゲンロン友の声|033】時間を信じましょう

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webゲンロン 2024年8月26日配信

一貫性のない人間だ、と周囲から思われています。

たとえば「大学の自治」という問題について、私は「大学は開かれているべきだし、近隣住民が散歩できる公園のような場であるべきだ。大学図書館だって、社会に知を還元すべく誰でも利用できることが望ましい」と思う一方で、別の誰かが同じような主張をしていたら「それってあなたが使うトイレにはカメラが仕掛けられないからですよね……」とも思います。

どちらも本気なのですが、それを表明すればどっちつかずの人間だと思われ(これもまた妥当な扱いだ、とは感じます。矛盾した主張をしていることは事実なので……)、私の言葉から説得性や切実さが欠けてしまいます。

そこで相談です。対立する立場のどちらにも妥当性があると考えているとき、そのどちらかに振り切ることなく、自分の言葉を真剣に聞いてもらうためにはどうすれば良いのでしょうか?(東京都・20代・男性・非会員)

 よい質問をありがとうございます。一貫性は大事ですよね。ぼくもむかしはよく一貫性がないと批判されたものでした。

 なんといっても、ぼくはもともと哲学をやっていたはずなのに、途中で社会学者のようなことをやり出し、小説を書いたりアニメの原作に参加したりしたうえ、最後は大学をやめて会社まで作っちゃったわけです。なにをやりたいのかわからん、と思われても仕方ない。政治的な志向もリベラルなところもあれば保守なところもあるので、右からも左からも批判され続けでした。

 ところがこれが不思議なことに、この4、5年で(直感的には2019年のあいちトリエンナーレ事件以降)状況が変わって来ました。「東さんはデビューからずっと一貫している」というひとが増えて来たのです。むろんぼくが変わったわけではない。環境が変わってきた。ぼくのいっけんバラバラな状況判断のなかに、スジを見出してくれるひとが現れる時代になってきたわけです。

 こういう変化のことを、ぼくは自分の著作で「訂正」と呼んでいます。訂正とは、過去の出来事を新しく編集し、物語化しなおす行為のことです。

 読者の視線が「訂正」され、いっけんバラバラな過去の行為に一貫性が見出されるようになった。ぼくに起きたのはそういうことですが、ただそれはけっしてぼくだけの例ではなく、哲学的に考えると、一貫性というのは、そもそもそのような「訂正」を通して遡行的に見出されるものでしかないとも言うことができます。人間の行為は数式のように記述できるものではありません(記述できるという立場の哲学者もいるでしょうが、ぼくはその立場をとりません)。だから、ある行為があり、べつの行為があったとき、両者のあいだの一貫性の有無は本当は単純に決定できるものではない。むしろ、一貫性があるように見えたり、またその逆だったり、動的に規定されるものでしかないわけです。

 話がややこしくなりました。というわけで質問に戻りますと、まずは最初の例、大学の自治についての「矛盾」する意見についてです。質問者の方は、一方で「大学は開かれているべき」と考えつつ、他方で「大学は犯罪者を排除すべき」とも主張したいと考えており(ですよね?)、そこに「矛盾」を感じて悩んでいる。しかし、そもそも両者は矛盾と言えるかどうか。実際に大学を運営していたら、キャンパスを開放するか閉鎖するかのどちらかに振り切ることなんてできないわけで、そこでいろいろ妥協しつつやっていくのが現実なわけです。ぼくは、その現実にしっかり直面している質問者の方こそ、変に矛盾のないひとよりもはるかに誠実だと思います。

 そしてもうひとつの相談。「対立する立場のどちらにも妥当性があると考えているとき、そのどちらかに振り切ることなく、自分の言葉を真剣に聞いてもらうためにはどうすれば良いのでしょうか」という相談です。

 はい、それはとても難しい問題です。そして切実で重要な問題です。きっといまの時代、多くのひとが似た問題について悩んでいると思います。

 残念ながら、結論からいうと、ぼく自身はその質問にすぐに効果があるような答えを提示することができません。「対立する立場」にいる方々は、そもそも最初から話を聞く気がない。だからこそ彼らは対立している。その対立を解決するのは原理的に無理なように思われます。

 けれども、それは完全な諦めではない。なぜなら、それでも諦めずに別のことを言い続けていれば、いつか理解してくれるひとが現れるからです。環境が変わるからです。「対立する立場」の両方から矛盾だと責め立てられていた主張が、いつかくるりとひっくり返り、あなたこそが一貫していたと遡行的に言ってくれるひとが現れる時代になる。それがぼくの経験です。

 それは言い換えれば、「対立する立場」をつなぎ、新しい一貫性を生み出すためには、必ず時間が必要だということです。ひととひとをつなぐのは論理だけではない。むろん論理は重要です。けれども論理だけでできることには限界がある(だから論破ブームのようなことが起こる)。ひとのコミュニケーションは論理と時間でできている。時間を信じましょう。それがぼくの答えです。(東浩紀)

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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