【 #ゲンロン友の声|002 】私たちは今できるかぎりの虚構に触れるべきなのだと思います。

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webゲンロン 2019年12月26日配信
 通常の質問とは異なるのですが、ゲンロンのチェルノブイリツアーについて書きます。 
現在、様々な観点から次回のツアーを開催するか検討中とのことですが、開催希望の思いを伝えさせて頂けたらと思い、書いております。(なので、質問というよりお願いですね) 

 稚拙な文章ではありますが、私個人の体験を記載します。 

 私は東浩紀さんの2019/10/30の講演を当日ニコ生で聞いたのち、期間を開けて(仕事の都合上)、12月に入ってからチェルノブイリのドラマを視聴後、改めて先の東浩紀さんの講演をvimeoで聞き直しました。(Midnight in Chernobylは未読です) 

 最初のニコ生時点ではドラマも見ていない状態だったので、個人名が登場しても、ブリュハーノフが住んでいた家の写真を見ても、どこか別の世界の話のように聞いていました。頭では大事故が起きた悲劇の街ということは分かっているのですが、本当の重要性はわかっていなかったと思います。その後チェルノブイリのドラマを見た時には2019/10/30の講演の内容は断片的な記憶になってしまっていた状態だったので、人物に目を向けるどころか、事故の悲惨さや製作陣が意図している「ウソの対価とは何だったのか?」という点にばかり目を向けてしまいました。きっとそれは「加害者の罪をつまびらかにするという、被害者視点での歴史の継承」に近かったと思います。 

 しかし、ドラマ視聴後に改めて、ロケ地の答え合わせをしたいな〜くらいの軽い気持ちで、なにげなく東さんの講演を聞き直した時、全ての話がずしーんと、私の体に重くのしかかってくる感じがしました。初回とは話の入ってき方が全く異なりました。 

 確かに、ブリュハーノフはドラマでは利己的な悪役で描かれている。しかしMidnight in Chernobylで書かれているように、原子力に魅せられて一からプリピャチという街を作り上げた話や奥さんが好きなバラを町中に植えた話を聞いたり、実際彼が作った映画館の跡やプロメテウスの像、子供思いの街の写真を見ると、非常に複雑な感情が押し寄せてくる。彼は確かに加害者であったが、少なくとも一時は功労者でもあったのではないか? 真逆の感覚が複雑に入り組んでいくことが分かってきます…。 
そして、ブリュハーノフという人物を複数視点で理解することを「きっかけ」に、チェルノブイリ原発事故の認識そのものが私の中で変わっていきました。この事故はソ連の罪の代価としてだけではなく、ソ連の挫折としても理解できるのではないかと。そして、その挫折を経験したのがたまたまソ連だったのではないか? 我々にもその可能性があったのではないか?(実際福島の原発事故は起きてしまいました。)そして、ドラマはあくまで一つの見方に過ぎないのだと思い知りました。 

 講演の中で東さんは「我々は数々の虚構を知ることでしか現実(過去)を知り得ない」という主旨のコメントをされており、本当にその通りだと思いました。もし私が東さんの講演を聞き直さなかったら、私は被害者の視点で物語を継承してしまっていた。その可能性に対する恐れを肌で感じ、その瞬間涙が溢れました。こうして、人の認識は偏っていってしまうのかと…。これは極めて危険なのではないかと…。 

 だから、私たちはチェルノブイリについて複数の視点で物語(フィクションも含め)を読むべきだし、実際の現場に立つことやシロタ氏を始めとする被災者に話を伺うこと(これもリアルに近い虚構の形態なのでしょうか?)を実施していくべきだと強く感じました。 

 そうしないと、異なる経験をした人がこの世界に存在しているという現実に目を向けようとしないし、他者を理解しようともしないし、ゆえに何も考え始めることができない。 

 そして、このツアーはチェルノブイリを知るためだけにあるのではない。私たちが敗戦や福島の経験(私は30代前半ですし、東京在住ではありますが、)を記憶し継承していく術を考える貴重な場だと思います。東さんがゲンロン10の論文で記載されていた通り、我々は地下に思いを馳せることを意識的に行っていかないと、いつか大きな誤ち(暴力の決壊)をまた犯してしまうと思います。現在のTwitterを始めとするあらゆるコミュニケーションにはその兆候が見られる状態で、言い争いは全く収拾の目処が立たないどころか、人々はどんどん互いに距離を取り合うことになってしまっています。 

 詰まるところ人は分かり合えない、それは自明のことかもしれないけど、だからこそ想像することをやめてしまっては、人類には争いしか残らず発展どころか文明は滅びてしまうと思います。 

 私たちは今出来る限りの虚構に触れるべきなのだと思います。この思想は東さんが「存在論的、郵便的」から一貫して主張されている問題なのだと、改めて考えました。(最近vimeoにアップされた「東浩紀『存在論的、郵便的』を読む」を視聴し、改めて問題意識を深めています。)様々なテクストで記載されているように、分有することや地下に思いを馳せることによって私たちは繋がることができ、そして物事を考え始めることができる。 

 未だ見ない他者と繋がること、それを体験できる場がチェルノブイリツアーであり、観光地化された福島に赴くことであり、中国や韓国など日本が加害を行った隣国に赴くことなのではないかと、今回の個人的な経験で強く思うに至りました。 

 これは最初の一歩でありながら、物事を進める上での必須の条件になると私は思います。 

 ツアーの開催は困難を極めると思います。しかし、私一人で赴いてもゲンロンのツアー以上の体験ができるかと言われれば、きっと難しいでしょう。(専門家ではないですし、コネクションもなければ、ロシア語、もちろんウクライナ語もしゃべれません・・・) 

 そして、何より私は、他者を理解したいけれども、その方法が分かっていない、もしくはその術を持っていないと言えるかもしれません。それはきっと思想的な理解度の問題です。このような人は実際多いと思います。 

 1ゲンロン友の会員としてのわがままなお願いになってしまうことを承知の上でのお願いです。可能でしたら、ツアーの開催をご検討いただければと思います。 

 以上、どうぞお願い致します。(東京都・30代・女性・友の会会員)

 感想、ありがとうございます。質問とはちょっと異なるのかなと思ったのですが、嬉しい感想なのでまるまる掲載します。まずはお問い合わせの内容からお答えますと、チェルノブイリツアー、いろいろお騒がせしましたが、じつはひそかに2020年9月に実施するべくH.I.S.さんとあらためて調整中です。9月は陽も長く、暑くも寒くもなく、山火事などのリスクもないということで、実現すればおそらくはいままでで最良の開催時期です。ただ飛行機代が高くなるのだけが難点なんですが……。とにかく、そんな感じで動いておりますので、念頭に置いておいてくれれば幸いです。で、続けて感想への感想、というか返信をさせてもらいますと、質問者のかたは、ぼくの講演からドラマに行き、そしてもういちど講演に戻るという「いったりきたり」を繰り返してくれていて、それがなによりも嬉しく思います。現実と虚構を「いったりきたり」すること、それこそが現実を深く理解する手段だというのがぼくの考えで、だからぼくは、現実だけをエビデンスに基づいて分析する社会科学的な知にも、虚構にオタク的に耽溺する文学研究的な知にもあまり興味がなくて「批評」をやっているのだと思います。いつも嘆いているとおり、そんなぼくのスタンスはまったくもって理解されず孤独が深まるばかりなので、感想は嬉しかったです。質問者のかたは「我々は数々の虚構を知ることでしか現実(過去)を知り得ない」と書いています。「数々の虚構」とは、いいかえれば「数々のありえたかもしれない現実」のことです。つまり「可能世界」のことです。ときどきいっているのですが、ぼくは、歴史の理解というのは、本当は可能世界(歴史のイフ)の感覚を通してしか深まらないものだと考えています。彼/彼女は加害者である。でも被害者にもなりえた。あるいは逆に、いまは被害者だけど加害者にもなりえた。ぼくたちの歴史では彼/彼女は一方の役割しか担っていない。担えない。でも本当はさまざまな可能性のなかで「この歴史」が選ばれた、その結果として現在の加害/被害関係はあって、裏返せば、もしも時計の針を巻き戻すことができれば、そこからはさまざまな「複数の関係」が見えてくる。そんな感覚があってはじめて、ぼくたちは、目の前の現実を見るだけではけっして動かすことができない分断を乗り越えることができると、そんなふうに思うのです。ぼくが講演でいいたかったのはそういうことです。つまり、ぼくはプリピャチのスライドを見せ、ドラマの舞台を示すことで「時計の針を巻き戻し」たかったわけですね。それが質問者のかたになんとか伝わったようで、繰り返しますが、とても嬉しく思います。それは「被害者に寄り添うこと」とも「加害者を許すこと」ともちがう第3の主張なので、なかなか理解されない。ぼくの説明もまだまだ稚拙なのだと思います。でも、とにかくぼくはそう思っていて、そんなことを経験してもらうためにチェルノブイリにときどきみなさんを案内している。それはきっと、いわゆる「ダークツーリズム」ともちがう経験です(そういうタイトルで本を出してしまったけれど)。もしもツアーが実現したならば、チェルノブイリでお会いしましょう。(東浩紀)

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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