チェルノブイリで学ぶロシア語|上田洋子

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初出:2015年11月13日刊行『ゲンロン観光通信 #6』
 2015年7月23日から9月24日まで、ゲンロンで初級ロシア語講座を開催した。10月のチェルノブイリツアーに向けた、8日間全16回の講座である。ツアーにあわせて企画した講座とはいえ、一般の、ツアーには行かないけれどもロシア語はやってみたいというひとも対象とした。結局、16名が受講。今年のチェルノブイリツアー参加者は、そのうちのたった1名だったが、過去のツアー参加者が3名いた。旅先で見聞きしたロシア語が、彼らの頭に残っているのは嬉しい。

 わたしは2009年から大学でロシア語を教えている。少なくともわたしが教えている大学では、ここ3年程、第二外国語のロシア語学習者は増えつつある。2014年ソチ五輪などをきっかけに、ロシアがより可視化されたことや、プーチン大統領が独特のキャラクターで存在感を示していることなどが理由として考えられる。また、最近ではアニメなどの日本のサブカルチャーでも、ロシア関係のコンテンツが一定量出てきているようだ。さらに昨今の嫌韓嫌中の空気のなかで、かつてこれらの言語を選択していた層がロシア語に流れてきている。

 とはいえ、ゲンロンでロシア語講座を開催するにあたり、わたしは正直、ひとが集まるのか不安だった。かつてはカルチャーセンターなどでも人数が集まらず、講座が開講されない例を耳にすることもあった。5人くらいしか集まらないのではないか、所詮ロシア語なんてやりたいひとは見つからないのではないか?? 申込みサイトを作っているときも、そんなちょっとした恐怖感をぬぐい去ることはできなかった。

 それが、16名も集まった。語学教室にはちょうどいい人数だ。この数なら授業中に全員を当てることもできる。なにより、ロシア語に興味を持つひとがたくさんいることが純粋に嬉しかった。授業の最後まで残ったのは11名。最終回の授業では、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に登場し、チェルノブイリツアーでもお世話になっているアレクサンドル・シロタさんとSkypeで対話をした。シロタさんは廃墟となった原発衛星都市プリピャチの保存運動を行うNPOの主催者だ。
 

これは10月のツアーで彼のお宅を訪れた時の写真だ。『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』の取材の際にはキエフに住んでいたが、その後、チェルノブイリ立入禁止区域のすぐそばのディチャトキ村に引っ越した
 

こちらがSkypeによる対談。画面に映っているのはプルジェワリスキー馬という野生の馬で、チェルノブイリ立入禁止区域のなかに生息している。なぜかシロタさんの家に住み着いてしまったのだと言う(10月にお会いした際に、これはお隣が飼っている牡馬に惹かれてやってきた牝馬たちであることが判明した)。Skypeには犬も登場し、シロタさんにじゃれて飛びかかってくるので、映像がめちゃくちゃで会話にもならないシーンなどもあってたいへんに盛り上がった。Skypeの頼りない音声で、しかも屋外で、タブレットを用いた中継だったにもかかわらず、生徒たちの自己紹介も質問もシロタさんにきちんと通じて会話が成立し、授業の成果が実感された
 
 チェルノブイリツアーに行くのに、なぜロシア語を学ぶことが推奨されるのか。旅をするなら挨拶程度でも現地の言葉を知っておくとより楽しめるというのは、国外・国内を問わず、一般に言えることだ。

 ウクライナやロシアの旅の特殊性は、そこで使われている文字が、われわれが見知っているものとは異なっているということ。英語やフランス語などと同じラテン文字ではなく、キリル文字が使われている。これは863年頃、ギリシア聖教の宣教師キュリロスとメトジオスが聖書の翻訳のために考案した文字に基づくもので、ロシア、ウクライナのほか、ブルガリア、ベラルーシ、セルビア、モンテネグロなどのスラヴ諸国、そして旧共産圏のモンゴルやカザフスタンなどでも用いられている。

 もちろん知らない文字を使っている外国はたくさんある。わたしも10年ほど前、仕事でソウル郊外に行ったときは、まったく文字が読めない世界にいるというはじめての体験に衝撃を受けた。ソウルの中心部に行っていたなら、また状況は異なっただろう。モスクワやサンクトペテルブルクでも、英語の看板が整備されはじめたのはここ10年くらいではなかろうか。キエフはまだまだ整備が遅れている。さらに、キエフを少し離れると、そこにはもうソ連時代の過去とウクライナの現在、ふたつの時代の現地語、つまりロシア語とウクライナ語しか存在しない。

 1970年、チェルノブイリ原発の建設開始とともに生まれた衛星都市プリピャチは、ソ連のなかでも模範的な街で、国外からの視察団もしばしば訪れていたそうだ。しかし今日、廃墟となったこの街で、英語やラテン文字を見かけることはない。冷戦時代のソ連にそんなものがあるはずはないのだ。1986年に全市民が避難をして、そのまま廃墟となったプリピャチは、逆に、ソ連時代の都市の光景をそっくり保存している。失われたソ連を見にやってくるロシア人観光客も多いと言う。さらに、ゾーン全体が、事故後時間が止まってしまい、ほとんど86年のままであるから、そこで見かける文字は当然キリル文字ばかりだ。

 廃墟の街にある標識や文字は、かつてそこがなんだったのかを教えてくれる貴重な指標だ。当時のソ連の建物には、大きな文字でネオンサインがついていたりする。
 

たとえばこの写真の「КИНОТЕАТР - ПРОМЕТЕЙ」は「キノテアトル・プロメテイ」と読む。「プロメテウス映画館」の意味だ。文字部分をよく見ると、表面にネオン管が這わせてあるのが見える。原発作業員の街の映画館はギリシア神話の火の神の名をかかげていたのだ
 

こちらはかつての秘密軍事都市、チェルノブイリ2にある教練施設内の講義室。文字が読めるなら、当時そこに米軍のミサイル情報が掲示されていたことがわかる
 

そしてこちらは原発の計器。ソ連時代の原子力産業における共通語は当然ロシア語だ。当時チェルノブイリ原発で働いていたのは、ソ連各地から集まってきた専門家たち。ウクライナ共和国はソ連邦という大きな国家のなかの一員だった
 

 キリル文字はギリシア文字やラテン文字を参考にしながら作られており、ラテン文字とまったく同じものも少なくないため、比較的覚えやすい。ロシア語講座の第1課「キリル文字を読んでみよう、キリル文字で書いてみよう!」で学ぶ、文字の読み方を紹介しよう。キリル文字が少し読めるようになれば、世界が広がるかもしれない。

 なお、本メルマガには音声ファイルがないので、発音に関しては「ロシア語・読み方」などでグーグル検索をして、一般公開されているYouTube動画などを利用してほしい。音だけでなく、発音しているひとの顔が映っている動画がおすすめだ。発音には口の形が大きく影響している。いままで発音したことのない新しい音を出すには、やったことのない口の形を試みなければならない。そのためには、じつは視覚情報も重要なのだ。

 語学はスポーツや音楽とまったく同じで、技や法則をきちんと覚え、毎日少しでも繰り返すことで上手くなる。口の形を覚え、どこからどういう音が出ているかを想像しながらひたすら繰り返す。やみくもに繰り返すのではなく、音のイメージを口の中の状態のイメージと同期させるのがポイントである。

ロシア語講座・基礎の基礎


1. ロシア語の文字

(1) ロシア語のアルファベットは、次の33文字

А Б В Г Д Е Ё Ж З И Й К Л М Н О П Р С Т У Ф Х Ц Ч Ш Щ Ъ Ы Ь Э Ю Я
а б в г д е ё ж з и й к л м н о п р с т у ф х ц ч ш щ ъ ы ь э ю я


上が大文字、下が小文字。文頭や固有名詞の語頭には大文字を使う。

(2) 上記のうちラテン文字のアルファベットと文字と音がだいたい一致するもの

А Е К М О Т

なんと、ラテン文字と一致するものは5つしかなかった!
なお、КТは小文字が大文字をそのまま小さくしたもの(к, т)で、英語とは違うので気をつけて!
さて、これだけですでに読める単語もある。

たとえば、
кот 猫(おす)
там あそこ
кто だれ

など。
読み方、わかりましたか?

(3) 上記のうち、文字はラテン文字と同じだけれど、音で裏切るもの

В = v
Н = n
Р = r
С = s
Х = kh


すなわち、「СССР(ソヴィエト社会主義共和国連邦)」は「シーシーシーピー」ではなく「エスエスエスエル」。「р」は「r」の音を持つが、文字の名前は「エル」と読む。

kh」など、想像のつかない音の発音については、2で詳しく解説する。とはいえ先に説明してしまうと、「х」は咳払いをするときのような、のどに引っかけて発音する「ハ」の音だ。

ちなみに、関西でロシア語を学びはじめた頃のわたしは、「Hankyu」という電車の標識を、しばしば「ナンキュー」と読んでしまっていた。他の文字に関しては、たとえば「y」などはロシア語の「у」と似ているが、やはり違うので判別できるのだが、大文字の「H」はまったく同じだ。小文字は大文字がそのまま小さくなった「н」なので、間違えることはない。

なお、キリル文字とそれに相当するローマ字は、便宜上「=」でつないでいるが、「だいたい同じ」を意味していると考えてほしい。
さて、読める単語も少し増えたはず。

рот 口
сто 100
номер 番号/ホテルの部屋

などはいかが?
(4) キリル文字独特の文字のうち、ラテン文字にだいたい一対一対応で変換できるもの

Б = b
Г = g
Д = d
З = z
И = i
Й = j / y
Л = l
П = p
У = u
Ф = f


顔文字で使われるДは、ロシア語の「D」だった! 数字の「3」のように見えるものは「Z」だ。
さあ、これでКГБ とはなにかがわかるようになったはず。いまはФСБ と呼ばれているものだ。また、икра, ивасиといった日本語と同じ海産物の名前も読めるのではないだろうか。
(5) ローマ字と一対一対応がないもの。

Ё = io
Ж = zh
Ц = ts
Ч = ch
Ш = sh
Щ = shch
Ы = ui
Э = e
(かたい音→後で説明します! ご安心を!!)
Ю = iu
Я = ia

Ъ = 硬音記号(前の文字が「かたい」音であることを示す。この文字自体は音を持たない)
Ь = 軟音記号(前の文字が「やわらかい」音であることを示す。この文字自体は音を持たない)

さて、詳しい発音の説明の前に、日本語からキリル文字を覚えるための練習を。

(6) キリル文字で日本語をどう書くか

日本語との対応表は下記の通り。

аиуэо
какикукэко
сасисусэсо
татицутэто
нанинунэно
хахифухэхо
мамимумэмо
яюё
рарирурэро
ваон
гагигугэго
дзадзидзудзэдзо
дадзидзудэдо
бабибубэбо
папипупэпо
きゃ кя きゅ кю きょ кё
しゃ ся しゅ сю しょ сё
ちゃ тя ちゅ тю ちょ тё
にゃ ня にゅ ню にょ нё
ひゃ хя ひゅ хю ひょ хё
みゃ мя みゅ мю みょ мё
りゃ ря りゅ рю りょ рё
ぎゃ гя ぎゅ гю ぎょ гё
じゃ дзя じゅ дзю じょ дзё
びゃ бя びゅ бю びょ бё
ぴゃ пя ぴゅ пю ぴょ пё

まずはキリル文字で日本語を翻字できるようになるのが、ロシア語に親しむ近道だ。ぜひ、自分の名前や住んでいる街の名前などを書いてみて欲しい。

ちなみにゲンロンはГэнрон、東浩紀はХироки Адзума、五反田はГотанда

なお、わたしは自分の名前をЙоко と綴っているが、これはЙоко Оно(オノ・ヨーコ)に合わせている。彼女の名前は英語から入ったので、Yokoが翻字されてЙокоになった。
2. ロシア語の発音

ここからは、ロシア文字に興味を持ったひと向けに、少し詳しい発音と読み方の解説を。マニアックだと思ったら読み飛ばしてください。

(1) 母音と子音の区別

母音 → 日本語のアイウエオのように、それだけでひとつの音となるもの。
子音 → アイウエオの前にくっついて、違う音を作るもの。

(2) ロシア語の母音

母音を表す文字は А Е Ё И О У Ы Э Ю Я の10個。

(3) ロシア語には「かたい音」と「やわらかい音」がある!

硬母音 А Ы У Э О →かたい音
軟母音 Я И Ю Е Ё →やわらかい音

やわらかい音には、はじめにちいさな《ィ》の音がある。詳しい発音は(4)を参照。

(4) 母音の発音

А ア: 日本語のアと同じ。
Ы ウィ: ロシア語独特の音。イの口で、舌を少し後ろに引いて、舌先が下の歯の根元につかないようにして、のどの奥から音を出す。
У ウ: 日本語よりも口を尖らせ、口を突き出して発音するウの音。
Э エ: 日本語のエと同じだが、頭に《イ》がつかないように。(イエーイの《エ》ではなく、たとえば《絵》というときの音。
О オ: 日本語よりも口を尖らせ、口を突き出して発音するオの音。少しウがかっている。
Я ィヤ: Аの前に小さな《ィ》をつける。
И イ: 歯医者さんで「いー」と歯を見せるときのように、日本語の〈イ〉よりも口をしっかり横に開き、のどの奥から発音。
Ю ィユ: Уの前に小さな《ィ》をつける。
Е ィエ: Эの前に小さな《ィ》をつける。
Ё ィヨ: Оの前に小さな《ィ》をつける。
(5) 子音

子音をあらわす文字は、Б В Г Д Ж З Й К Л М Н П Р С Т Ф Х Ц Ч Ш Щ の21個。

(6) 声を出す音と息だけの音

子音のうちの12文字は、有声音(声で出す音)と無声音(息で出す音)のペアになっている。口の形や発音のしかたはまったく同じで、ただ、声を出すか息だけにするかで音が変わる。

有声音 Б В Г Д Ж З
無声音 П Ф К Т Ш С

Б ベ: 日本語のバビブベボに近く、唇と唇をはじいて声を出し、破裂音を出す。
П ペ: 日本語のパピプペポに近く、唇と唇をはじいて息を出し、破裂音を出す。
В ヴェ: 下唇の内側に上の歯を軽く当て、息と声を出す。
Ф エフ: 同上、息を出す。
Г ゲ: 日本語のガギグゲゴに近いが、よりのどの奥から声を出す。
К カ: 日本語のカキクケコに近いが、よりのどの奥から声を出す。
Д デ: 日本語のダヂヅデドに近いが、より強い音を出す。
Т テ: 日本語のタチツテトに近い。
Ж ジェ: 日本語にはない音。舌先を上に曲げて、口蓋につけ、舌先と口蓋のあいだから声を出す。
Ш シャ: 同上、息を出す。
З ゼ: 日本語にはない音。サシスセソの《ス》を発音するときのように、舌先を上の歯に近づけ、下と歯のあいだから息を出しつつ声を出す。
С エス: 日本語のサシスセソと同じ。

Й イ・クラトコエ: 母音の "и" の短い音。
Л エル: 英語の《L》と同じ。舌先を上の歯の根元につけ、舌の脇から声と息を出す。
М エム: 英語の《M》と同じ。日本語のマミムメモと同じ。
Н エヌ: 英語の《N》と同じ。日本語のナニヌネノと同じ。
Р エル: 英語の《R》に近い。舌先を震わせて口蓋を打ちながら音と声を出す。
Х ハ: のどがいがいがしたとき、痰を吐くときのようにのどの奥、声帯の奥から息を出す。
Ц ツェ: 日本語の《ツ》と同じ。
Ч チェ: 舌の真ん中を口蓋に近づけながら、日本語の《チ》の音を、《イ》を強めて発音。
Щ シシャ(シチャ): 舌の前面を口蓋の出口に近いあたりに近づけ、シシと息を出す。
(7) アクセントの重要性

アクセントのある母音は、ない母音の2倍の長さではっきりと発音する。逆に、アクセントのついていない母音は曖昧に発音する。
たとえば、下記の単語(アクセントはイタリックで示している)の読み方をカタカナ書きすると、

кошка 猫(めす)はコーシカ
собака 犬はサバーカ(アクセントのない「о」は「а」の発音になる)
литература 文学はリテラトゥーラ

となる。

その他、上にも書いたアクセントのない「о」は「а」の発音になる、また語末の有声音は無声音と交替する(Киев はキーエヴではなくキーエフと読む)など、いくつか細かい規則はある。とはいえ、基本的にはここまで知っていれば、文字を拾って音を想像できるはずだ。

看板や標識は固有名詞なので、文字を知っていて、連想が働けば簡単に読める。チェルノブイリに行く際には、このくらいの知識があると、かなりディープに楽しむことができるだろう。

「チェルノブイリで学ぶロシア語」第2弾もぜひやりたいと考えている。興味を持ったみなさんどうぞご参加を!

最後におなじみの看板を。なお、これはウクライナ語です。
 

 
 

〈解答〉

1. (2) кот コート、там ターム、кто クトー
1. (3) рот ロート、сто ストー、номер ノーメル
1. (4) КГБ KGB、икра イクラ、иваси イワシ

撮影=編集部

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。早稲田大学非常勤講師。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。著書に『ロシア宇宙主義』(共訳、河出書房新社、2024)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS、2018)、『歌舞伎と革命ロシア』(編著、森話社、2017)、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(調査・監修、ゲンロン、2013)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社、2012)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010)など。
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