2015.3.11 福島取材レポート(2) 震災が史跡を掘り起こす|徳久倫康

初出:2015年4月17日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.35』
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フレコンバッグの山
前回のレポートでは、全線開通後まもない3月10日、常磐道に入りならはパーキングエリアに至るまでの行程を記した。今回はさらに北上し、初日の目的地・南相馬市博物館を目指す。

富岡町に入る。カントリーサインは桜の花びら。富岡町の夜ノ森地区は桜の名所として名高く、とくに夜はライトアップされた桜を見に、全国から観光客が訪れた。夜ノ森は大熊町との境に位置しており、大半の部分は基本的に出入りができない「帰還困難区域」に指定されている。取材当時はまだ桜の時期ではなかったが、ちょうど先週、ソメイヨシノが見頃を迎えているという報道があった[★1]。桜並木のうち300メートルは、より制限のゆるい「居住制限区域」にあたるため、こちらから桜を眺める花見客もいる。


北上するにつれ、放射線量が徐々に上がっていくのがわかる。


このあたりから左右に、集積された黒いゴミ袋が目立つようになってくる。この黒い袋は「フレコンバッグ」と呼ばれるもので、よりうず高く積み重なっているところもある。フレコンバッグは耐用年数が3年程度のため、一部のものには亀裂が入ったり、破損したりしているという報道もある。
高放射線地帯

大熊町に入る。梨やキウイが特産らしいのだが、いままでほかの自治体にあったようなイラストはない。

福島第一原発のちょうど真西あたりを通過。放射線量も2.7μSv/hとかなり上がってきた。

大熊町を経て双葉町に入ってから間もなく、もっとも放射線量が高いエリアにさしかかった。前回も記した通り、チェルノブイリ原発の取材時、事故現場から300メートルの記念撮影スポットの線量が5.0μSv/hだった。原発の建物内でも原子炉付近を除きここまで高い線量ではなかったので、率直に言ってこの数値には驚かされる。

ただしこの放射線量は長くは続かず、ほんの2分後には線量の表示は1.0μSv/hまで下がっていた。

南相馬インターチェンジで常磐道を下りる。ちなみにもう少し北に進むと、今年2月21日に供用を開始した、南相馬鹿島サービスエリアがある。
南相馬市博物館へ

南相馬市博物館は、「東ケ丘公園」という公園のなかにある。秋は紅葉が美しいそうだ。

右手に見えるのが南相馬市博物館。1995年の開館当初は「野馬追の里歴史民俗資料館」という名称で(当時ここは原町市だった)、2006年1月に、南相馬市の発足に伴って、現在の名称に変更された。そのため内部は、野馬追関連の展示がとても充実している。
博物館学芸員の二上文彦さん、そのいとこおじにあたる二上英朗さんと再会。文彦さんには昨年ゲンロンカフェで「南相馬に日本一の塔があった」展[★2]を開く際、たいへんお世話になった。英朗さんは本メルマガの読者にはおなじみかと思うが、南相馬の郷土史家として数多くの著作を残されており、現在もエネルギッシュに活動を続けている。
館内ではまず、南相馬市を紹介する、22分ほどの映像を見せてもらった。この作品はもともと震災前に制作され、2011年4月に公開される予定だったという。南相馬市内の史跡、自然や発掘調査の様子をコンパクトにまとめたもので、震災後およそ半年経った2011年9月に、公開を開始したという。中には浜辺でキャンプをしているような映像もあるが、この浜辺はまさに津波で流されてしまったところ。地元の方の反応を訊ねてみたところ、以前の姿を映像として残していることに対する感謝の声もある一方で、途中で泣いてしまう方もいるという。

入口付近には原発事故に関する展示があり、「南相馬市の生物の放射能汚染状況」といったパネルも掲示されている。
館内ではまず、南相馬市を紹介する、22分ほどの映像を見せてもらった。この作品はもともと震災前に制作され、2011年4月に公開される予定だったという。南相馬市内の史跡、自然や発掘調査の様子をコンパクトにまとめたもので、震災後およそ半年経った2011年9月に、公開を開始したという。中には浜辺でキャンプをしているような映像もあるが、この浜辺はまさに津波で流されてしまったところ。地元の方の反応を訊ねてみたところ、以前の姿を映像として残していることに対する感謝の声もある一方で、途中で泣いてしまう方もいるという。

入口付近には原発事故に関する展示があり、「南相馬市の生物の放射能汚染状況」といったパネルも掲示されている。
野馬追、製鉄、彗星

ホール中央の野馬追ジオラマ。かなりの迫力がある。
相馬野馬追は60kmほどの広がりを持ったエリアで開かれるものであり、1回で全貌をつかむのは難しいそうだ。昨年の野馬追については、このメルマガの19号に編集部の取材レポートを掲載しているので、興味のある方はこちらも参照してほしい。
展示を拝見しながら英朗さんに聞いたところ、相双地域はまったく文化が違う多数のエリアからなり、これを明治期にあわてて統合したため、まとまりにとぼしいのだという。そのため、個別の地域を説得することは簡単で、土地を収奪しやすいという特性がある。この地域に火力、原子力問わず発電所がいくつも立ち並ぶことになった理由のひとつと言えそうだ。

これは市内の金沢製鉄遺跡群から切り出されてきた、製鉄炉の実物。遺跡群は原町火力発電所を建設する際に発見されたもので、調査の結果、古代日本でもっとも大規模な製鉄遺跡群であることが判明した。製鉄炉は123基にも及ぶ。

これは郷土の天文家・羽根田利夫氏に関する展示。羽根田氏はアマチュア天文家として数十年にわたって観測を続け、1978年に新たな彗星を発見する。ほぼ同時期に南アフリカの天文家もこの彗星を発見したため、二人の名前を合わせて「羽根田・カンポス彗星」と命名された。このとき、発見のきっかけとなったのは、曇り空を指して鳴いた飼い犬のコロ(写真左下を参照)。英朗さんは、いま南相馬に必要なのはコロの銅像だ! と語ってくださった[★3]。

これは郷土の天文家・羽根田利夫氏に関する展示。羽根田氏はアマチュア天文家として数十年にわたって観測を続け、1978年に新たな彗星を発見する。ほぼ同時期に南アフリカの天文家もこの彗星を発見したため、二人の名前を合わせて「羽根田・カンポス彗星」と命名された。このとき、発見のきっかけとなったのは、曇り空を指して鳴いた飼い犬のコロ(写真左下を参照)。英朗さんは、いま南相馬に必要なのはコロの銅像だ! と語ってくださった[★3]。
復興が発掘する歴史




ほかにも印象深い展示はたくさんあるのだが、最後にもうひとつだけ、このメルマガにとって重要な展示を紹介しておきたい。これは、復興関連の宅地造成などに伴って発見された、新たな遺跡や史料についての展示群である。これを見ると、この数年でかなり多くの発見があり、まだ活発に調査が続いていることがわかる。
また、日本三大磨崖仏(岩壁に直接掘られた仏像)のひとつに数えられる大悲山石仏については、震災で覆屋が倒壊してしまったことで、はじめて発掘調査が行われた。これによって土器が出土され、石仏の制作年代が裏づけられるなど画期的な発見もあったそうだ。皮肉といえば皮肉だが、震災がもたらした条件が、かえってプラスの効果を生むこともあるのだ。


たっぷりと展示をご案内いただき、事務所でしばらく話をうかがった帰り際、英朗さんからおみやげをいただいた。「凍天(しみてん)」という耳慣れない菓子だが、これは南相馬のソウルフードなのだという。中に草もちが入った揚げまんじゅうのような食べもので、一口食べるごとに油がしみ出してくる。じつに変わった味わいなのだが、この取り合わせは意外とマッチしており、ぱくぱくと食べてしまった。常識にとらわれない発想といい、ちょっとヘルシーとは言いにくい油の量とボリュームといい、じつに英朗さんらしいおみやげだと思う。福島県内や仙台など、いくつかの店舗でのみ販売されているので、見かけた方はぜひいちど、味わってみてほしい。
また、日本三大磨崖仏(岩壁に直接掘られた仏像)のひとつに数えられる大悲山石仏については、震災で覆屋が倒壊してしまったことで、はじめて発掘調査が行われた。これによって土器が出土され、石仏の制作年代が裏づけられるなど画期的な発見もあったそうだ。皮肉といえば皮肉だが、震災がもたらした条件が、かえってプラスの効果を生むこともあるのだ。


たっぷりと展示をご案内いただき、事務所でしばらく話をうかがった帰り際、英朗さんからおみやげをいただいた。「凍天(しみてん)」という耳慣れない菓子だが、これは南相馬のソウルフードなのだという。中に草もちが入った揚げまんじゅうのような食べもので、一口食べるごとに油がしみ出してくる。じつに変わった味わいなのだが、この取り合わせは意外とマッチしており、ぱくぱくと食べてしまった。常識にとらわれない発想といい、ちょっとヘルシーとは言いにくい油の量とボリュームといい、じつに英朗さんらしいおみやげだと思う。福島県内や仙台など、いくつかの店舗でのみ販売されているので、見かけた方はぜひいちど、味わってみてほしい。
撮影=編集部
★1 YOMIURI ONLINE「復興待つ桜が見頃…福島・富岡町の夜の森地区」 URL=http://www.yomiuri.co.jp/otona/travel/tnews/tohoku/20150407-OYT8T50003.html(編集部注:現在はリンクが切れている)
★2 ゲンロン企画部 URL=http://genron-exhibitions.tumblr.com/post/88490497626
★3 この発言の裏に隠された真意については、東浩紀によるエッセイ「震災は無数のコロを生み出した」(『一冊の本』2015年4月号掲載)を読んでみてほしい。(編集部注:現在は東浩紀『ゆるく考える』に所収されている。)


徳久倫康
1988年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒。2021年度まで株式会社ゲンロンに在籍。『日本2.0 思想地図βvol.3』で、戦後日本の歴史をクイズ文化の変化から考察する論考「国民クイズ2.0」を発表し、反響を呼んだ。2018年、第3回『KnockOut ~競技クイズ日本一決定戦~』で優勝。