2015.3.11 福島取材レポート(1) 常磐道、5.3μSv/h|徳久倫康

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初出:2015年4月3日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.34』
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パーキングエリアのプレハブ小屋


 

 
 

 取材陣を乗せた東浩紀の自家用車は、3日前に開通したばかりの山手トンネルを通り、首都高中央環状線から常磐自動車道に入った。常磐自動車道は1981年に柏−谷田部間が開通して以降長らく工事が続けられていたが、2015年3月1日に常磐富岡−浪江間が開通し、34年を経て全線開通となった。常磐富岡−浪江間は2011年度中に完成する予定だったが、3.11により一部区間は警戒区域内に指定され、工期は大幅にずれ込んだ。

 いま福島について考えるには、まずは常磐道を通ってみないことには始まらないだろう。3月11日にあわせて取材のプランを練る過程で、行きのルートはすぐに決まった。今日は3月10日。取材の行程としてはまずこのまま南相馬市に向かい、南相馬市博物館を見学。それから南に下って、時間が許せば国道114号を走り、常磐道が開通した現在の、旧警戒区域を見る。夜はいわき市小名浜で、このメルマガでもおなじみの小松理虔さんと会食。唯一空室が残っていた海沿いのリゾートホテルに宿泊し、翌日は小松さんの案内のもと、いわき市内の取材に充てるというスケジュールだ。

 いわき市に入って、湯ノ岳PAに立ち寄ると、真新しい「ようこそ 常磐道へ」の表示以上に、「放射線情報 交通情報」と書かれたプレハブ小屋が目を引いた。
 

 
 

 さっそく中に入ってみると、モニタリングポストからの放射線情報がリアルタイムで表示されていた。5.3μSv/h の文字に衝撃を受ける。もちろん短時間滞在したからと言ってただちに健康被害が出るような数値ではないが、予想以上に高い。さまざまな条件が異なることを承知で比較すると、チェルノブイリ原発を取材したとき、事故現場から300メートルの記念撮影スポットの線量が5.0μSv/hだった。この値はそれよりも高い。
 

 
 
 室内にはほかにもいくつか掲示がある。「原発事故等が発生したら」というタイトルが異様だ。書かれている内容はとくに原子力災害に限ったものではなく、常識的な内容に留まっている。
 

 
 

 より注意を引いたのはこの「高速道路周辺の道路情報」である。ここに書かれている通り、常磐道は開通しても、帰還困難区域内の一般道は原則通行できない。主要道路はいくつか例外的に通行を認められているが、これも自動車に限られており、歩行者はおろか原付やバイクも通れない。
 

 
 

 このポスターに使われているのはまさしく浪江ICの写真なのだが(Google Mapの航空写真を見るとわかりやすい)、通行が禁止されているのにどこに立ち寄ればいいのか疑問である。ちなみにこのポスターは各PAに貼られていたが、ここでは別の場所で撮影した、写りのよいものを挙げておく。

車窓からの風景


 

 
 

 いわき市を超えて広野町に入る。カントリーサインはサッカー。もちろんJヴィレッジをイメージしたものだろう。
 

 
 

 ここで初めてモニタリングポストが登場する。モニタリングポストは広野−南相馬間に9つ設置されているが、この表示は最低値と最高値を示したもので、あまりにも幅が広く参考にならない。ちなみに0.2μSv/hは、東京都内とまったく変わらない数値である。
 

 
 

 福島第二原発がある楢葉町へ。楢葉町は鮭漁が名物で、新巻鮭やイクラが特産品だが、現在は全町避難が続いており、放射性物質検査目的のものを除き、漁や稚魚の放流は行われていない。
 

 
 

 除染の成果か、放射線量はかなり低い。

「熱き勇者たち」


 

 
 
 3月1日に供用が開始されたばかりのならはパーキングエリア。本来は2012年にオープンする予定だった。
 

 
 

 併設されたヘリポート。『河北新報』の記事によると、高校生のアイデアで設置されたものだという。
 

 
 

 仏教詩人・坂村真民の詩碑。浜通りの復興を願い、近隣自治体と福島県、およびNEXCO東日本が共同で建立したものだという。坂村真民は熊本県生まれの詩人で、地元の文学者というわけではない。この手の碑が敷地内にはいくつか建っている。
 

 
 

 ならはPA最大の見どころと思われる、サッカー日本代表の足型(ゴールキーパーは手型)を刻んだレリーフ。これも高校生のアイデアによるものだという。もともと供用開始と同時に展示される予定だったため、顔ぶれは2010年当時のメンバー。中心にあるのはザッケローニ元監督の足跡だ。
 

 
 

 最後にもうひとつ紹介しておきたいのがこの「熱き勇者たち」。ここに刻まれているのは、2012年8月30日に常磐道の工事を再開して以降、作業に従事した人々の名前である。「被ばく対策、被ばく時の対応など未経験で未知のなかで、東北地方の早い復興を合言葉にあらゆる困難を克服し常磐自動車道の工事を進めた勇者を称え」るものだという。

 チェルノブイリ市内にあった「消防士の碑」を思い出す。原発事故直後に消火活動にあたった人々を顕彰するため、消防士たち自身が資金を出し合って作った大規模なモニュメントだ。「熱き勇者たち」は誰が建てたか明示されていないのだが、内容を見るにおそらくNEXCO東日本によるもののようで、そのあたりの経緯も似ている。

 しかし知る限り、事故直後により近くで事故処理にあたった「勇者たち」の碑はまだどこにもない。

撮影=編集部

徳久倫康

1988年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒。2021年度まで株式会社ゲンロンに在籍。『日本2.0 思想地図βvol.3』で、戦後日本の歴史をクイズ文化の変化から考察する論考「国民クイズ2.0」を発表し、反響を呼んだ。2018年、第3回『KnockOut ~競技クイズ日本一決定戦~』で優勝。
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