ゲンロン×H.I.S.チェルノブイリツアー写真レポート(3)|上田洋子
初出:2015年1月8日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ #28』
チェルノブイリツアー写真レポート、最終回はユーロマイダンの跡地を中心にお届けします。日本ではあまり知られていないユーロマイダン運動は、2013年11月21日ウクライナ政府がEUとの連合協定締結準備の一時停止を宣言したことに反対して起こった大規模なデモに端を発しています。この日、ひとりの若者のfacebookを通じた呼びかけに応え、キエフ中心にある独立広場(マイダン・ネザレジノスチ)に約2000人の人々が集まりました。その後もデモは続きますが、11月30日に特別警察がデモ隊に暴力を振るったことを契機に、マイダン運動は激化していきました。デモ隊は独立広場を完全に占拠し、広場にはテント村が現れ、スクリーン付きのステージが設置されて、頻繁に演説が行われるようになります。さらに、ユーロマイダン運動はキエフからウクライナ全土に波及し、各地でソ連時代の象徴であるレーニン像が倒され、警察隊との衝突も頻繁に起こるようになっていきます。
キエフではマイダン側はバリケードを築き、舗装道路の敷石や火炎瓶を武器に戦いました。2014年1月22日、警察隊の銃撃により、マイダン側に初めての死者が出ました。そして2月18日、大統領の権限を制限する2004年憲法の復活を求めてキエフで大規模デモが起こり、警察隊はふたたび市民に発砲します。キエフ中心部での銃撃戦(マイダン側は火炎瓶などで応報)は22日まで続き、警察隊のスナイパーは高層ビルの上から市民に発砲。大勢の人が亡くなりました。結局、22日に政府が反体制派の要求を呑むかたちで合意に達しましたが、その後、極右の右派セクターがヤヌコーヴィチ大統領辞任を要求し、再び混乱が始まります。最終的にはヤヌコーヴィチ大統領がこの日にキエフを脱出。2月27日にウクライナ暫定政権が樹立しました。
キエフではマイダン側はバリケードを築き、舗装道路の敷石や火炎瓶を武器に戦いました。2014年1月22日、警察隊の銃撃により、マイダン側に初めての死者が出ました。そして2月18日、大統領の権限を制限する2004年憲法の復活を求めてキエフで大規模デモが起こり、警察隊はふたたび市民に発砲します。キエフ中心部での銃撃戦(マイダン側は火炎瓶などで応報)は22日まで続き、警察隊のスナイパーは高層ビルの上から市民に発砲。大勢の人が亡くなりました。結局、22日に政府が反体制派の要求を呑むかたちで合意に達しましたが、その後、極右の右派セクターがヤヌコーヴィチ大統領辞任を要求し、再び混乱が始まります。最終的にはヤヌコーヴィチ大統領がこの日にキエフを脱出。2月27日にウクライナ暫定政権が樹立しました。
キエフの人々の多くは、「もうマイダンの跡地はほとんど残っていない」と言っていました。けれども実際は、死者を弔う碑があちこちに建てられ、マイダンで使われたものたちが道端に展示され、また、広場にも黒焦げの跡が目立つなど、われわれ外から来た観光客の目には、革命の痕跡がはっきりと見て取れました。リアルタイムでユーロマイダン運動を見ていた人々にとっては、テント村やバリケード、長きにわたるメインストリートの通行禁止などがなくなった今、日常が戻ってきたという感覚が強いのかもしれません。ユーロマイダン運動でたくさんの死者が出たことすら知らなかったわれわれには、死と暴力の痕跡が生々しく迫ってきます。革命後、今も東ウクライナで続く戦争の意味についても考え直さざるを得ない、そんな体験でした。
ユーロマイダンの跡地と併せて、キエフの大祖国戦争博物館の写真もお届けします。
ユーロマイダンの跡地と併せて、キエフの大祖国戦争博物館の写真もお届けします。
キエフマイダンの情報は、日本では本当に知られていません。ゲンロン友の会会報『ゲンロン通信』の次号では、ユーロマイダンを特集し、現地で撮ったインタビューなどを掲載する予定です。また、ゲンロン出版部のtumblrで、ロシアの作家ウラジーミル・ソローキンによるウクライナ・ロシア情勢を描いたエッセイ「ウクライナを孕んだロシア」の翻訳を公開しています。よろしければそちらもぜひ併せてお読みください。
上田洋子
1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。早稲田大学非常勤講師。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。著書に『ロシア宇宙主義』(共訳、河出書房新社、2024)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS、2018)、『歌舞伎と革命ロシア』(編著、森話社、2017)、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(調査・監修、ゲンロン、2013)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社、2012)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010)など。