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    福島第一原発観光地化計画の哲学(8) 3.11に花火大会を(後篇)|清水亮+東浩紀

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    初出:2014年10月1日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.22』
     2023年2月10日、ゲンロンカフェにて、清水亮×さやわか×東浩紀「生成系AIが変える世界──「作家」はどこにいくのか」が開催されます。本イベントの開催にあたり、2014年に『ゲンロン観光地化メルマガ』で配信された、清水亮さんと東浩紀の対談記事を公開いたします。東日本大震災発生当時、テキサスにいたという清水さん。氏は発災直後の混乱のさなかに帰国し、福島にも訪れています。本記事では、清水さんのプログラマーとしての復興とのかかわりをお聞きします。

    「Fukushima」がゲーム教育の代名詞になる日



    ──福島ゲームジャムのその後の展開を教えてください。

    清水亮 毎年規模を拡大しながら続いています。最初の2011年には約100人が参加して、そのうち現地で参加したのが60人。現地には行かないのだけれど、サテライトとして遠隔で参加したのが40人。極端な話をすると、なかには福島に関心のないひともいたはずです。でも、それでかまわない。お祭りとして福島に注目を向けさせるのが目的ですから。

     
     


    ──今年は4回目ですか。

    清水 ちょうど昨日まで開催していました。30時間寝ずにゲームをつくるので、参加者は疲れて寝ているところだと思います。なので、まだぼくのところにもレポートが上がってきていませんね。

     今年はチリ、台北、台中、高雄と、国外にも4ヶ所のサテライトを置きました。国内にも東京や神奈川、石川や沖縄など8ヶ所に会場をつくり、そこでもメイン会場と連携しながらゲームをつくってもらった。何百人という規模ですね。同時に子ども向けのワークショップも開きました。
    ──ゲームジャムの魅力は、ひとことで言うとなんですか。

    清水 参加してみるとわかりますが、とにかく楽しい。マラソンみたいなもので、苦しいけれど楽しい。そのなかで、ゲームづくりのプロは、学生たちにメッセージを伝えていく。「がんばれ」ということ、そして「がんばるというのはこういうことだ」ということ。 福島ゲームジャムをやっていて嬉しかったのは、第1回のあと、「FUSE」★1というゲームジャムのイベントに呼ばれたときのことです。会場は福島の専門学校で、それ以降2ヶ月に約1回のペースで開かれています。ぼくが呼ばれたのは初回で、主催者から福島ゲームジャムに参加していたこと、そこで「これを外部のひとに頼っていては学びのスピードが遅くなる、自分たちでペースを上げてやらなければいけない」と思ったのだと教えてくれました。

     もうひとつ付け加えると、先ほど触れた但野市議も★2、震災前は地元農業の再生に力を入れていた方で、もともとゲーム産業に関わっていたわけではありませんでした。彼はその後、「南相馬ITコンソーシアム」というITベンチャーを立ち上げました。被災地には仕事から離れている主婦など、未経験者でもプログラミングに意欲のあるひとがいる。そういうひとを集めて、東京から取ってきた仕事をこなしていくという仕組みです。昨年(2013年)末に会ったときには、いまはまだ助成金が必要だけれど、少しずつ黒字が出る会社になってきたと言っていました。そしてこれも、福島ゲームジャムがなければやっていなかっただろうと言う。

     あとはどのくらい継続できるかが勝負ですね。名前に福島とついているのがポイントで、このイベントが残っていけば、10年、20年後でも、なぜ福島なのかが世界中に語り継がれていく。

     福島ゲームジャムはIGDAによって2011年のMVPアワードにも選ばれており、世界的な注目度が高いんです。昨年(2013年)の11月にスウェーデンのウプサラ大学で教える機会がありました。ここはノーベルのお膝元ということもあって、ノーベル賞の受賞者も多数輩出している名門大学ですが、じつはゲーム学科が設けられています。そこでスウェーデンのひとと話していて、「日本人なら福島ゲームジャムを知ってるか? あれはすごいイベントだぞ」と言われたんです。これは思わず笑ってしまいました。「おれが最初に金を出した」と言っても、信じてくれませんでしたね(笑)。個人やひとつの団体でできるようなイベントではないと。海外のゲーム業界人はだいたい知っている、というくらいの知名度になっているようです。

     すると「Fukushima」という、残念ながら原発事故でマイナスのイメージついてしまった地名が、毎年ゲーム系のニュースレターに登場することになる。それを見てもらえれば、そこでゲームをつくっているひと、がんばっているひとがいることがわかってもらえる。いずれ「Fukushima」が、ゲームジャムやゲーム教育の代名詞になる日が来るかもしれない。

    長岡花火はなぜ8月2日に打ち上げられるのか



    ──ここまで、清水さんの震災復興とのかかわり、とくに福島ゲームジャムについて詳しくうかがってきました。このように話を伺っていると、観光地化計画にいまのような論点を盛り込むべきだったと反省させられます。とくに、ソフトウェアは汚染されないという視点は重要です。

     清水さんから見て、計画に不足していた部分というのはありますか。

    清水 いや、できるだけのことはやっていたのではないかと思います。いろいろなひとや媒体を巻き込んでいたし。ぼくも勉強になりました。

    ──ありがとうございます。とはいえ、もっと多様なアイデアは盛り込めたのかもしれません。

    清水 その点ではぼくも反省があります。じつは、昨日、一昨日と福島ゲームジャムが開催されている期間中、ぼくは地元の長岡に帰って、長岡まつりの花火大会を見てきました。なぜ研究会でこの大会の話をしなかったんだろうと思いました。

    ──詳しくうかがえますか。

    清水 ふつうお祭りというのは、週末、ひとが来やすいときにやるものです。しかし長岡まつりは、絶対に8月2日にやるんです。これはなぜかというと、この日に空襲を受けたから★3。こんなど田舎を空襲するやつの気がしれないですが、長岡は徹底的な爆撃を受けて、市街地のおよそ8割が焦土と化したと言われています。長岡は山本五十六の生まれ故郷なので、真珠湾攻撃の仕返しなんですね。長岡花火はそれを忘れないために、1946年から毎年開催されているんです。これ、ふつうの発想じゃないと思うんですよ。それによって長岡の市民は、花火が上がるのは空襲のせいだということを知っている。もちろんぼくは空襲を経験していないし、両親が住んでいたエリアは被害を受けていないのだけれど、毎年の花火によって空襲の記憶が刻まれていく。つまりダークツーリズムを実践している。

     今年の長岡まつりには、ホノルル市長が来ていました。お互いに敵軍の攻撃を受けた縁で、2012年に姉妹都市提携を結んでいるんです。来年は太平洋戦争の終結から70年にあたる節目の年なので、真珠湾で長岡花火を打ち上げることになりました。
    ──それは興味深いですね。

    清水 長岡花火は非常に大きなイベントで、人口25万人の市に100万人がやってきます。1日あたりの人数でいえば、コミックマーケットよりも多い。混雑も半端ではなく、駐車場の真ん中に停めると、駐車場から出るまでに3時間かかる。そこからインターチェンジまで行くと、さらに6時間かかる(笑)。こんなイベントはないですよ。

     もちろん、県外から来ているひとたちはみな、たんに花火を楽しみに来ているだけです。鎮魂のためだなどとは思っていないし、空襲についても知らないひとが多数でしょう。しかし、それでいい。ひとが来ればカネが儲かる。飲食店やスーパーも信じられないくらい混み合って、なかなかの経済効果を上げているようです。

     ぼくが観光地化計画で当初提案したのは、カジノの誘致などを含む、かなりアッパーなプランでした。東さんは覚えているでしょうが、これを南相馬のワークショップ★4でプレゼンしたら、地元の大学生が泣きだしてしまった。でも、「悲しいから来い」と言ってもだれも来ないのは自明です。「楽しいから」「面白いから」でなければひとは動かない。ならばぼくの役割は、花火大会を提案することだったのではないかと。

    ──なるほど。おもしろいですね。

     カジノやリゾートというと強い抵抗感を感じる被災者の方も、花火大会ならば納得するかもしれない。それどころか、それはすでにわたしたちの社会に実例がある。祭りが記憶の継承の媒体になるというのは、当たり前といえば当たり前の話です。

     書籍版の福島第一原発観光地化計画にも、万博公園を下敷きにして「お祭り広場」をつくるという提案がありました。けれどそれも、新しい同人誌の即売会の場にしようという、サブカル的にエッジの効いた提案になってしまっていた。花火大会ならばだれでも参加できます。

    清水 シンプルに花火をやると言ったほうが、リアリティもありますよね。ぼくは実際に、3.11には花火を上げればいいと思うんですよ。いまからでもできるし、予算もそれほどかかりません。長岡花火の名物であるフェニックス花火★5は募金で打ち上げられていて、2kmの長さがあるのですが、数千万円くらいでつくれます。見ると衝撃を受けますよ。近くにいると、爆撃されているようにしか見えない。つまり、空襲をエンターテインメントにしてしまっている。

     映像を見せましょう。

    ──(長岡花火の映像を見ながら)これはたしかに、イメージとして空襲に似ています。いまならば「不謹慎」と言われてもおかしくない。

    清水 実際に体験すると怖いですよ。ふつう、花火を見て怖いと思うことはないでしょうが、フェニックス花火にはそれがある。

    ──空襲の記憶を祭りに変えるというのは、逆転の発想ですね。不勉強で知りませんでしたが、観光地化計画の今後を考えるうえで、大きなヒントをいただいた気がします。

    清水 東京の会社がスポンサーをしているわけではなく、すべて地元で捻出しています。行くのも帰るのもたいへんですが、ぜひ一度長岡に行ってみることをおすすめします。

    社会はゆっくりと変わる



    ──3.11以降のソーシャルネットワークの役割について、経営者としてどう評価されていますか。新しいつながりが役立ったと言われる一方で、意外と役に立たなかったという意見もあります。

    清水 震災当時、ITはかなり有効に機能していたと思います。ぼく自身、Google や Skype がなければ日本と連絡が取れなかったので、役に立ったのは間違いない。ただ、あれから3年も経っているのに、技術的にはあまり進化していないですね。メールがLINEに置き換わったくらいで、テクノロジーとしては大差ない。震災後、ITを活用した災害対策や復興に貢献する技術革新が目指された割には、はかばかしい成果は得られていないのが現状だと思います。

    ──官邸前デモに象徴されたように、ソーシャルネットワークが社会を変えるという話がありました。しかしそれも、十分発展せずに終わってしまった。それについてはいかがでしょう。

    清水 世代の問題が大きいと思います。日本を牛耳っているのは、まだネットに染まっていない世代です。ぼくたちの世代も、ネットに染まっているかというとそこまでではない。いまの大学生くらいまでいくと、かなりネットが溶け込んでいる。社会が変わっていくには、あと10年や20年はかかるでしょう。彼らが大きくなるにつれて、自然といまの政治体制にも疑問を持ってくるのは間違いない。たとえばなぜ電子投票が導入されないのか。なぜ議員の行動が十分にトラッキングできないのか。そういうことについて下の世代から提案がくるのは、いまの中学生がおとなになった頃でしょう。

     そのときに、なるほどその通りだと判子を押して決裁するのがわれわれの世代です。いまわれわれは、どんな正論を言っても、少し上の世代に止められてしまう。それが変わっていくには、それなりの年月が必要です。

    ──東京で暮らしていると見えづらいですが、地方では商工会議所や青年会議所が強い地盤となって、代議士を送り出している。福島もそのような「地方」のひとつですね。そしてその構造はネットではなかなか変わらない。

    清水 本質的に、技術にできることには限界があります。人々の無意識を変えることはできるかもしれないけれど、意識を顕在的に変えることは難しい。新しい技術に触れて、それをどう使いこなせばいい社会がつくれるかというところまで頭が働くひとは、ごく少数です。地方に道具だけを持ち込んでも、なかなかうまくイメージできないと思う。技術と人間の意識は直結しない。

     震災後の3年、振り返ってあまり変わらなかったという実感がある一方、そんなに急がなくてもいいのではないかと思っています。この間、ソーシャルゲームバブルで、エネルギーがそちらに注がれていたということもある。いずれ別のブームがやってくるので、そのときにうまい方向にいけばいいですね。

     資本家や経営者というのは、そこに飯があるとわかっていたら、食べないわけにはいかない。でもたまには、ぼくとか東さんのようにちょっと変わったやつがいて、いままでだれも口にしていないようなものでも、意外と食べられるんじゃないかと試食してみる。そういうことをするひとがいないと社会は進まないので、志を持って事業に取り組みたいとは思っています。

    科学技術を信じる



    ──最後に原発について聞かせてください。このインタビューシリーズでは全員にうかがっているのですが、日本の原子力政策は今後どのような方向に向かうべきでしょうか。

    清水 難しい問題です。ただ、ぼくは原則として、科学技術を最優先に考えることにしています。それが宗教的な信条だと言っていい。だから、原子力発電は間違いではなかったと思うし、やめるべきではないと思う。核分裂は扱いづらいので、核融合炉を実現して、コントロールしやすい状態にしていくことは必要でしょう。そのための投資を止めてはならない。原子力発電をやめてしまうと、もっと野蛮な時代が来ます。いまは新潟の田舎町でもずっと電灯が点いている。引き換えに得た利益があまりにも巨大なので、これを捨てるのは相当難しい。

     ただ、東京電力のように巨大化した組織がなあなあでやっているという点は問題なので、そこは競争原理を導入するなど、社会制度として改善すべきでしょう。かつてはNTTしかなかった移動通信の世界も、いまは健全な競争が行われています。

    ──最近の原発再稼働や新設の動きについてはどう思われますか。

    清水 無責任かもしれませんが、専門家でないのでわかりません。ただ、結局原発事故で何人亡くなったかはわかっていないし、これからもずっとわからないでしょう。そうなると、再稼働に向けた動きも止められないと思います。原発が危険だという主張が正しかったのかは、結局のところ検証できない。

    ──放射能の関わる事故は本質的にそういう性質をもちますね。

    清水 気にしはじめたら、原発より危ないものは山ほどあります。みんな携帯電話のバッテリーのように、いつ爆発するかわからないものをポケットに入れて歩いている。本当に危険なものはなにか、安全なものはなにかと言い出すとキリがない。これは感情の問題なので、原発が嫌いなひとは嫌いで仕方がない。ぼくも好きというわけではないけれど、原発をやめてしまえば、もっと野蛮でたいへんなことになってしまうだろうと思う。

    ──原理原則として、原子力技術は手放すべきではないというお考えがよくわかりました。

     今日は、福島ゲームジャムや長岡花火など、清水さんがなぜ観光地化計画に参加されたのか、その背景をうかがうことができてじつに有意義な時間になりました。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

    清水 ありがとうございました。

    2014年8月4日 東京 ゲンロンカフェ

     


    ★1 IGDA東北が主催し、福島県内の各地で開催されているゲーム開発イベント。参加者は数人のチームを組み、6時間の制限時間内にゲームを完成させる。2014年8月現在で、開催数は16回を数える。URL=http://fuseexco.wordpress.com/
    ★2 南相馬市議但野謙介氏のこと。清水はこの福島ゲームジャムで但野市議と知り合った。インタビュー前編参照。URL= http://ch.nicovideo.jp/fukuichikankoproject/blomaga/ar625614
    ★3 米軍によるいわゆる「長岡空襲」がなされたのは、1945年8月1日の22時30分から、翌日の0時10分にかけてのこと。長岡まつりは毎年8月1日から3日にかけて開催される。
    ★4 2012年10月28日に南相馬市内で行われた、福島第一原発観光地化計画の研究会委員と、地元の復興事業関係者や学生によるワークショップのこと。各委員のプレゼンをもとに討議がなされた。翌日には旧警戒区域にあたる、市南部の小高区取材が行われた。詳しくは『g2』vol.12(講談社)に掲載された、東浩紀+ゲンロン編集部「福島第一原発観光地化計画、始動!」を参照。URL= http://g2.kodansha.co.jp/19626/19655.html(現在はリンク切れ)
    ★5 正式名称は「復興祈願花火フェニックス」。2005年、前年の中越大震災からの復興を祈願し打ち上げが始まった。
     

    清水亮

    新潟県長岡市生まれ。6歳の頃からプログラミングを始め、21歳より米Microsoftで上級エンジニアとした活動後、1999年にドワンゴに参画。2003年に独立し株式会社UEIを設立。2005年に独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。以後、10社の設立にかかわる。近年は深層学習を活用した人工知能の開発を専門に行い、2022年よりパーソナルAIサービスMemeplexを開始。著書として『よくわかる人工知能』(KADOKAWA)、『教養としての生成AI』(幻冬舎新書)、『検索から生成へ』(エムディエヌコーポレーション)など。

    東浩紀

    1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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