ショッピングモールから考える(1)(前篇)|大山顕+東浩紀

初出:2014年6月15日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ #15』
本記事は大山顕さんと東浩紀によるゲンロンカフェの人気イベントシリーズ「ショッピングモールから考える」の第1回を記事化したものです。第1回から第3回までは電子書籍『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』としてまとめられています。同書はラゾーナ川崎からディズニーワールド、ドバイ・モールまでを自由闊達に語り合い、独自の視点から世界の都市設計を考える内容となっています。内装と外観、偽物と本物、バックヤードとユートピアが反転する不思議な空間から見えた、新しい公共性のかたちとは――ゲンロン叢書003『テーマパーク化する地球』・005『新写真論』へとつながる刺激的な対談を、ぜひお楽しみください。(編集部)

東浩紀 今日は写真家の大山顕さんをお招きして、「ショッピングモールから考える」と題して話をしていきたいと思います。写真も交えて話したほうがわかりやすいだろうということで、お互いにプレゼンテーションを用意してきました。
大山顕 よろしくお願いします。ぼくが東さんのショッピングモール論に興味を持ったのは、北田暁大さんとの対談集『東京から考える』(NHKブックス)がすごく面白かったからなんです。それ以前から、ぼくは工場や団地の写真を撮っていて、ショッピングモールにも関心を持っていました。しかし東さんは、ぼくとは違う角度からショッピングモールのよさ、面白さを分析していた。
東 そういうことであれば、ぼくのほうから先にプレゼンしたほうがよさそうですね。なぜこういうイベントを企画したのかということを含めて、お話しさせていただきたいと思います。
東 まずは、なぜショッピングモールをテーマにしようと思ったのか。一言で言うと、「新しい公共性を考えるため」です。
ではもう一歩踏み込んで、なぜ新しい公共性を考えるのかと問われれば、それは従来の「軽薄な消費者(=資本主義)」と「まじめな市民(=共同体主義)」という構図に限界を感じているからなんですね。資本主義とは切り離された「市民」なるものが現実に存在するのか。むしろ市場の軽薄さを前提に、それをどう公共性に結びつけていくのかを考えるべきではないのか。『一般意志2.0』(講談社)や『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)の議論も、同じ問題意識から出発しています。
さらに平たく言うと、商店街の「顔が見える関係」が老人や障害者にやさしいと言われますよね。でも逆にそれは、子育て世代やニートにはキツい環境なのではないのか。そういう疑問が出発点にあります。ファミレスやコンビニ、ショッピングモールのような商業施設のほうがはるかに便利だろうと。これは実体験にも基いています。
ぼくは娘が生まれた2005年ごろ、西荻窪というたいへん「意識の高い」街に住んでいました。妻と2人で暮らしているうちはとても快適だったのですが、子どもができたとたん、この街がとても厳しくなった。愛用していたおいしいお店や飲み屋は子連れだと厳しいと言われるし。狭い道に車やバスが往来していてベビーカーを引くのも危ない。そういうなかで、ショッピングモール的なものの公共性について考えるようになってきた。その結果として生まれたのが、『東京から考える』と、『思想地図β』vol.1(ゲンロン)です。大山さんとお会いしたのはこの頃ですね。『東京から考える』の刊行が2007年。大山さんと「建築夜学校」というイベントではじめてお会いしたのが2010年10月ですか。それから3ヶ月後に、『思想地図β』の創刊号でショッピングモールを特集しています。
社会思想の文脈でそのとき意識していたのは、2005年に出た三浦展さんの『下流社会』(光文社新書)と、毛利嘉孝さんの『ストリートの思想』(NHKブックス)です。三浦さんの整理では、地元の商店街がショッピングモールに蹂躙されることが下流化の象徴ということになっている。けれど、そんな簡単な図式でいいのか。
また、毛利さんはこの本で、のちに高円寺の脱原発デモにつながるような政治の流れを紹介しています。1990年代の「だめ連」[★1]、ゼロ年代の高円寺の素人の乱[★2]……といったような、ストリートを中心とした運動です。
三浦さんと毛利さんはまったく違ったタイプの書き手ですが、共通して、空調が効いたショッピングモールを批判し、猥雑な商店街あるいはストリートこそが本当の公共圏だと主張します。『ストリートの思想』では、若者たちが昼間から酒を飲んで語りあっている、そういうオープンなところが高円寺の魅力だと言う。でもそれって、本当はかなり威圧的ですよね。ひげ面の3、40代の男たちが日本酒を片手に安倍政権を批判しているのが、果たしてオープンと言えるのか(笑)。ひとくちに「開かれている」と言っても、若者に対して開かれていることと、高齢者に対して開かれていることは一致しないし、子どもがいるお母さんに開かれていることと、健常者の男性に開かれていることもまた全然違ってくる。
毛利さんの本では、セキュリティが働いておらず、ホームレスも受け入れられるような管理されていない空間こそがもっとも公共的なのだという議論ばかりがなされている。けれども、ぼくはそれこそ狭い見方だと思うんです。
ではショッピングモールにはどんな可能性があるのか。思想用語で整理すると、ポイントは3点かなと思います。「新しいコミュニティ」「新しい開放性」「新しい普遍性」です【図1】。

【図1】
コミュニティについては、郊外やネットといった「現代的なコミュニティ」と、駅前商店街に代表されるようなおじいちゃん、おばあちゃんの「顔が見えるコミュニティ」との対立が重要です。コミュニティというと前者だけが問題になるけど、それでいいのか。開放性については、監視カメラに囲まれ空調も整っている「セキュリティ」の空間と、だれも管理しておらずホームレスも入れるようなアナーキーな空間のどちらが本当に「開放的」なのか、だれにとって開放的なのかという問題。最後に普遍性というのは、グローバル化が作り出した世界中でどこでも同じようなサービスが受けられる現状を、新しい普遍性として捉えられないかという論点。思えばショッピングモールというのは、人々が政治も文化も宗教も共有しないまま、互いに調和的にふるまい、なにかを共有しているかのような気になれる空間です。
とはいえ、こういう話ばかりしていると抽象的な議論になってしまうので、今日はもっと具体的な話をしていこうと思います。まずは、ぼくが実際に見てきた印象深いショッピングモールを、写真を交えて紹介できれば。三浦さんや毛利さんは国内の空間を意識されているようですが、ぼくがショッピングモールについて考えるとまず浮かぶのは海外のモールです。ぼくは海外に行くとたいていショッピングモールを回るのですが、なかでもまず紹介したいのは、シンガポールのヴィヴォシティ[★3]、ドバイのドバイ・モール[★4]、ミネアポリスのモール・オブ・アメリカ[★5]の3つです。
まずはシンガポールのヴィヴォシティ。ぼくはここを訪れたときに、じつはモールでこそ、土地のローカルなものが現れるのはないかと思ったんですね。
大山顕 よろしくお願いします。ぼくが東さんのショッピングモール論に興味を持ったのは、北田暁大さんとの対談集『東京から考える』(NHKブックス)がすごく面白かったからなんです。それ以前から、ぼくは工場や団地の写真を撮っていて、ショッピングモールにも関心を持っていました。しかし東さんは、ぼくとは違う角度からショッピングモールのよさ、面白さを分析していた。
東 そういうことであれば、ぼくのほうから先にプレゼンしたほうがよさそうですね。なぜこういうイベントを企画したのかということを含めて、お話しさせていただきたいと思います。
新しいコミュニティ、新しい開放性、新しい普遍性
東 まずは、なぜショッピングモールをテーマにしようと思ったのか。一言で言うと、「新しい公共性を考えるため」です。
ではもう一歩踏み込んで、なぜ新しい公共性を考えるのかと問われれば、それは従来の「軽薄な消費者(=資本主義)」と「まじめな市民(=共同体主義)」という構図に限界を感じているからなんですね。資本主義とは切り離された「市民」なるものが現実に存在するのか。むしろ市場の軽薄さを前提に、それをどう公共性に結びつけていくのかを考えるべきではないのか。『一般意志2.0』(講談社)や『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)の議論も、同じ問題意識から出発しています。
さらに平たく言うと、商店街の「顔が見える関係」が老人や障害者にやさしいと言われますよね。でも逆にそれは、子育て世代やニートにはキツい環境なのではないのか。そういう疑問が出発点にあります。ファミレスやコンビニ、ショッピングモールのような商業施設のほうがはるかに便利だろうと。これは実体験にも基いています。
ぼくは娘が生まれた2005年ごろ、西荻窪というたいへん「意識の高い」街に住んでいました。妻と2人で暮らしているうちはとても快適だったのですが、子どもができたとたん、この街がとても厳しくなった。愛用していたおいしいお店や飲み屋は子連れだと厳しいと言われるし。狭い道に車やバスが往来していてベビーカーを引くのも危ない。そういうなかで、ショッピングモール的なものの公共性について考えるようになってきた。その結果として生まれたのが、『東京から考える』と、『思想地図β』vol.1(ゲンロン)です。大山さんとお会いしたのはこの頃ですね。『東京から考える』の刊行が2007年。大山さんと「建築夜学校」というイベントではじめてお会いしたのが2010年10月ですか。それから3ヶ月後に、『思想地図β』の創刊号でショッピングモールを特集しています。
社会思想の文脈でそのとき意識していたのは、2005年に出た三浦展さんの『下流社会』(光文社新書)と、毛利嘉孝さんの『ストリートの思想』(NHKブックス)です。三浦さんの整理では、地元の商店街がショッピングモールに蹂躙されることが下流化の象徴ということになっている。けれど、そんな簡単な図式でいいのか。
また、毛利さんはこの本で、のちに高円寺の脱原発デモにつながるような政治の流れを紹介しています。1990年代の「だめ連」[★1]、ゼロ年代の高円寺の素人の乱[★2]……といったような、ストリートを中心とした運動です。
三浦さんと毛利さんはまったく違ったタイプの書き手ですが、共通して、空調が効いたショッピングモールを批判し、猥雑な商店街あるいはストリートこそが本当の公共圏だと主張します。『ストリートの思想』では、若者たちが昼間から酒を飲んで語りあっている、そういうオープンなところが高円寺の魅力だと言う。でもそれって、本当はかなり威圧的ですよね。ひげ面の3、40代の男たちが日本酒を片手に安倍政権を批判しているのが、果たしてオープンと言えるのか(笑)。ひとくちに「開かれている」と言っても、若者に対して開かれていることと、高齢者に対して開かれていることは一致しないし、子どもがいるお母さんに開かれていることと、健常者の男性に開かれていることもまた全然違ってくる。
毛利さんの本では、セキュリティが働いておらず、ホームレスも受け入れられるような管理されていない空間こそがもっとも公共的なのだという議論ばかりがなされている。けれども、ぼくはそれこそ狭い見方だと思うんです。
ではショッピングモールにはどんな可能性があるのか。思想用語で整理すると、ポイントは3点かなと思います。「新しいコミュニティ」「新しい開放性」「新しい普遍性」です【図1】。

コミュニティについては、郊外やネットといった「現代的なコミュニティ」と、駅前商店街に代表されるようなおじいちゃん、おばあちゃんの「顔が見えるコミュニティ」との対立が重要です。コミュニティというと前者だけが問題になるけど、それでいいのか。開放性については、監視カメラに囲まれ空調も整っている「セキュリティ」の空間と、だれも管理しておらずホームレスも入れるようなアナーキーな空間のどちらが本当に「開放的」なのか、だれにとって開放的なのかという問題。最後に普遍性というのは、グローバル化が作り出した世界中でどこでも同じようなサービスが受けられる現状を、新しい普遍性として捉えられないかという論点。思えばショッピングモールというのは、人々が政治も文化も宗教も共有しないまま、互いに調和的にふるまい、なにかを共有しているかのような気になれる空間です。
とはいえ、こういう話ばかりしていると抽象的な議論になってしまうので、今日はもっと具体的な話をしていこうと思います。まずは、ぼくが実際に見てきた印象深いショッピングモールを、写真を交えて紹介できれば。三浦さんや毛利さんは国内の空間を意識されているようですが、ぼくがショッピングモールについて考えるとまず浮かぶのは海外のモールです。ぼくは海外に行くとたいていショッピングモールを回るのですが、なかでもまず紹介したいのは、シンガポールのヴィヴォシティ[★3]、ドバイのドバイ・モール[★4]、ミネアポリスのモール・オブ・アメリカ[★5]の3つです。
まずはシンガポールのヴィヴォシティ。ぼくはここを訪れたときに、じつはモールでこそ、土地のローカルなものが現れるのはないかと思ったんですね。
モールこそがローカル
大山 同感です。昨年夏、バンコクに海外旅行に行きました。たんなる観光旅行で、旅情的な写真もいろいろ撮ったんですが、結果的に一番面白かったのがモールだったんです。
これは速水健朗さんと対談したときに出た話なんですが、ファミリーレストランにはファミリーがいない。仕事中に休憩している営業マンとか、ダメ学生とか、打ち合わせの編集者みたいなひとばかり。ではファミリーはどこにいるのかと言えば、みんなフードコートに行く。ファミレスで小さい子が騒ぐと、「ほかのお客様の迷惑になりますので」と怒られてしまう。それに対してフードコートだと、周りもお母さんだらけだし、隣にアンパンマンのデカい遊具があったりして子供が騒いでも問題ない。ぼくには子供はいませんが、母親が長年車椅子生活を送っていて、スロープやエレベーターがないところにはまず行けないので、このありがたさはよくわかる。
それとバンコクに行って驚いたのは、屋台の食事では意外と満足できなくて、モールに行ったら地元の料理が一番充実していたことです。いるのもみんな地元のひとで、食べ物も美味しい。
東 ヴィヴォシティはまさにそういうところです。シンガポールの本土の南にセントーサ島という観光地があって、本土からセントーサへつながるセントーサ・エキスプレスの駅がそのまま巨大モールになっている【図2・3】。設計は伊東豊雄が手がけています。内装がよかったです。

Wikipedia, the free encyclopedia:”VivoCity.JPG”,(Author: Terence Ong, CC BY-SA 3.0)、URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:VivoCity.JPG Public Domain

Wikipedia, the free encyclopedia:”VivoCity Main Entry.jpg”,(Author: Calvin Teo, CC BY-SA 3.0)、URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:VivoCity_Main_Entry.jpg Public Domain
ぼくが行ったのは2007年なんですが、シンガポールに行ってまずはインド人街やら中国人街やらマレー人街やらを回って、観光したりご飯を食べたりしました。観光ガイドでは「ホーカーズ」と呼ばれる屋台村で地元料理を食べるのが定番ということになっているのですが、実際に行ってみると観光客か老人しかいない。逆に最終日近くになってヴィヴォシティに行ったのですが、こここそくるべき場所だったと思いました。
この写真は屋上の子ども向けのスペース【図4】。こちらに写っているのが「フードリパブリック」というフードコートです【図5】。内装はシンガポールの昔の屋台街を再現しています。地元のシンガポール人たちは、ホーカーズではなく、まさにこういうところでご飯を食べているんですね。これは衝撃を受けました。地元のひとたちの生活を見ようと思ったら、ホーカーズではなく、ショッピングモールにくるべきだったんです。東京にきて浅草に行っても東京の生活がないのと同じです。豊洲のららぽーとを見にいったほうがいい。モールにこそ地方のリアリティがある。


大山 リアリティということに関しては、こんなに薄っぺらなものにリアリティだなんてとんでもないと言われます。しかしでは浅草は本物なのか。
東 歴史的保存地区になっている段階で、すでに本物ではなくなっていますよね。
大山 ひとつ東さんに聞いてみたいと思っていたのが、「本物」ということについてなんです。
たとえば、大阪城の天守閣。よくキッチュだと言われており、がっかりしたという声が絶えないのですが、じつは大阪城の歴史を繙くと、いまの天守閣が一番歴史が長いんです。1931年に竣工して、すでに80年以上経過している。豊臣、徳川時代にはしょっちゅう焼け落ちていて、何度もその当時のテクノロジーで再建されてきた。それが昭和に入って、その当時の一番合理的なやり方で再建されているので、コンクリートづくりになっているわけです。でもそれこそが正統なのかもしれない。ショッピングモールも、あと20年もすれば正統なものになるのではないか。ヴィヴォシティはできて何年くらいでしょう。
東 2006年オープンなので、今年で8年目ですね。
大山 なるほど。たとえば、日本最初のショッピングモールのひとつである玉川高島屋は1969年にオープンしているので、開業から40年以上が経過しています。こうなってくると、そのへんの商店街よりも古い。つまりこちらのほうが正統だ、と言えてしまう。
東 まさにぼくたちはそういう感覚を持ってますね。
統一された文法
東 次はドバイモールです。このモールのポイントを一言で言うと「アラーがいても消費はする」となるでしょうか。

まず、ドバイモールを上から見下ろすとこんな感じになっています【図6】。周りは完全に砂漠なんです。夏はものすごく暑い。ぼくが訪れたのは9月で、気温はだいたい40度だったのですが、このくらいではまだまだらしい。5月や6月には最高気温が50度近くに達するようです。そんな気温では外にいられないので、モールに行くしかない。
この写真【図7】はだれかと言うと、彼がドバイの首長です。王様ですね。王様と言っても政治だけやっているわけではなく、建築会社や不動産会社を持っていて、その会社がモールを作っている。だからどこも彼の写真だらけ。

次の写真を見てください【図8】。9月はちょうどラマダーンの時期で、この時期にはイスラム教徒は日の出から日没まで食事を取ることができないので、フードコートもイスラム教徒向けと異教徒に分けられます。

このように、モール内に王の肖像が飾られたり、フードコートがラマダーン対応だったり、ドバイモールは日本やシンガポールのモールとはいろいろと違う。けれども、それ以外はむしろ完璧に同じ。入っているブランドは同じだし、内装のコンセプトも同じ。宗教や政治体制の違いなどまったく存在しないかのようでした。それに強い印象を受けました。
そして最後に紹介したいのが、モール・オブ・アメリカです【図9】。ここはあえて言えば「ロウアーミドルのユートピア」。このモールは、規模としてかつて世界一でした。構造的に一番の特徴は真ん中が巨大な遊園地になっていること【図10】。野球場跡地をモールにしたので、中心部がぽっかり空いて遊園地になっているんです。


遊園地があるのでたくさんのひとでごったがえしているのですが、よくよく観察してみるとあまり金持ちはいない。有色人種で子だくさんなひとが多い。貧困層ではないですが、中産階級の下のほうという感じですね。ミネアポリスの街中とは明らかに客層が違いました。
大山 ここも行きたいと思っていました。ロウアーミドルというところにも驚かされます。
東 そこはドバイとは違いましたね。このモールとはとにかくすごく広いので、ぐるぐる回っているだけでも一日つぶれるんです。面白かったのは、モールなのに買い物袋を下げているひとが意外と少なかったこと(笑)。みんなじつはなにも買っておらず、時間つぶしにきている。まさに公園ですね。
大山 ショッピングモールって家族連れできますよね。一日過ごそうとすると、午前中に買い物を済ませて、昼をフードコートで食べて、最後に夕飯を買って帰るとすると、午後することがなくなってしまう。それが、ショッピングモールが発達する原動力になったと言われています。商品をふつうに買ってもらうだけでは間が持たない。そこでシネコンが併設されるようになった。一日滞在するひとのためになにをつくるか、という観点が入っているので、いわゆる狭い意味での消費、単にものを買うということを超えてしまっているんです。
東 それに加えて重要なのは、世界中のモールが同じ文法でつくられているということ。シンガポールでもドバイでもミネアポリスでも、モールのなかだけはルールが統一されているので、フロアマップを見なくてもどこになにがあるのかが直感的にわかる。むかしは海外旅行では、その街のどこになにがあるのかを知るところから旅が始まっていた。そこにすごく時間がかかったのが、モールではまったく必要ない。不思議な空間ですね。
大山 ある北関東の大学で建築を教えている先生に、こんな話を聞きました。大学のある地域には田んぼの真んなかにモールがあって、近くにはほかに遊ぶところがない。学生たちは地元の出身が多くて、彼らに話を聞いてみると、街というものに対する感覚がぼくらと全然違うのだと。ぼくたちの感覚では、まず駅があって、ここが商店街で、このあたりにデパートがあって、このへんが風俗街になっていて、これくらいいくと住宅街がある……というふうに、用途地域の感覚があるじゃないですか。でも彼らはモールしか知らないので、せいぜい「自分の家」「田んぼ」「ショッピングモール」と、「行ってはいけない危ない地域」くらいの認識しかない。そもそも区画という概念がないので教えるのがたいへんだと言うんです。なるほど、こういう話を聞くと、いわゆる従来の街づくりの観点からショッピングモールを批判するひとが出てくるのもわかる。
都市はグラフィックに過ぎない
大山 ではこんどはぼくからプレゼンさせていただこうと思います。さきほども触れましたが、バンコクに行きました。バンコクは異国情緒豊かなところです。野良犬がたくさんいたり、絡みあった電線がダイナミックだったり、神棚のようなものがそこここにあったり……と観光を楽しみました。
しかし一番強烈だったのはショッピングモールなんです。ぼくは大学の卒業論文で、工場の構造を残して街づくりに生かす、という提案をしたことがあります。ぼくは1972年生まれで東さんとほぼ同じですが、ぼくたちの世代はリアルタイムに公害を経験していないので、あっけらかんと「工場ってかっこいいよね」と言えるようになると思っていた。
これと同じことが、たぶんショッピングモールにも起こる。ぼくが工場を撮りはじめたように、ショッピングモールを撮る若いモール写真家が出てくるはず……というわけであわてて写真を撮りはじめたのですが、ショッピングモールを撮るのって難しいんです。なぜかというと、ぼくはずっと外観を撮っていたんですね。けれど、ショッピングモールで大事なのは内装です。たとえばロードサイドの郊外店だと、目につくのはファサードと看板くらいで、そのまま駐車場に入って内部に進むので、ユーザー側は建築を意識しない。
内装を見てみると、やはり吹き抜けが印象的ですよね。バンコクのショッピングモールは、日本以上に吹き抜けがすごい【図11】。そういえば、今日のためにラゾーナの吹き抜けを撮ろうと思ったんですが、ことごとく警備員に止められました。東さんから、ホームレスが入れる空間が公共的なのかという問題提起がありましたが、バンコクはさらに警備が厳しい。モールの入口で金属探知機のゲートを潜らないといけないんです。まさに「モール共和国」への入国審査みたいな感じでした。さきほど東さんがおっしゃった「モールの中でルールが統一されている」で言うと、自分も含めていろいろな国のさまざまな人種が訪れていたんですけど、みんな振る舞いが統一されている気がしました。国の文化よりも強い「モール的作法」とでもいうべきものに。これはすごく面白いと思いました。

あとバンコクでどうしても紹介したいのは、「ターミナル21」というショッピングモールです。これは2011年にオープンしたばかりの新しい大型店舗で、「ターミナル」という名の通り、空港のターミナルをモチーフに、各階がそれぞれのテーマとなる街を模してつくられているんです。地下はローマ、一階は東京、二階はロンドン。とくに一階がすごい【図12】。

東 ぼくがTwitterで大山さんに教えたんですよね。昨年バンコクに行ったときに見つけたのですが、ここはショックを覚えました。ものすごくキッチュなんですが、それだけじゃない。外国人が日本をイメージしたとき出てくる独特のキッチュさを、もう一度さらに外国人が自己パロディで模倣したような入り組んだ構造をしていて……。外国人が抱く間違った日本像を理解したうえで、あえてそれをシミュレートしている。
大山 ああ、こういう間違いってあるよね……と思うようなところを、ピンポイントに突いてくる。日本人のデザイナーが関わっているのかもしれませんね。
東 これ、日本人が関わっていないとしたら逆にすごいですね。すべての階がそれなりによくできているんですが、東京の階がとくにすごい。嘘が徹底していてなにひとつ正しくない。看板も悪ノリだらけ。この提灯には「嬉々として幸せ」と書かれていますが【図13】、むろんこんな提灯はない。

大山 トイレに続く廊下には松の木が生えていたり(笑)。
東 そもそもカタカナもかなり嘘。こういうのを日本にも作ってほしいなあ。
大山 すごく楽しいですね。
東 しかし、これ、どのくらいリテラシーの高い層をターゲットに設定したのでしょうね。これの面白さがわかるのは日本人だけでしょう。ふつうのタイ人は、たんに日本というのはこういうところなのか、と誤解するだけでは。
大山 でも、単なるミスではないですよねこれ。わざとだと思います。
ぼくがターミナル21で面白いと思ったのは、サンフランシスコも、ローマも、東京も、都市としての動線は同じなんですよ。それをグラフィックのエレメントだけで表現している。これは建築をやっているひとにとっては衝撃的ではないでしょうか。都市のイメージとは構造ではなくグラフィックに過ぎないと証明してしまっているんですから。
もう少し小ネタを紹介しましょう。モールのなかは擬木だらけなんですよね【図14】。外は熱帯なので植物は山ほど生えているけれど、人間にとって快適な空調を効かせた空間では擬木にならざるを得ない。モール共和国のなかはモール性気候で、そこに生えてくる植物は擬木というわけです。

東 なるほど。
大山 ここは、鉄道の駅とショッピングモールを結ぶペデストリアンデッキです【図15】。これのなにが面白いのかと言うと、バンコクの街中というのは街路整備ができていなくて、歩行者が歩けないんです。しかし、モールへのアプローチが作られることで結果的に私企業が歩行者空間を整備している。

東 重要な指摘ですね。日本でも道路は健常者の大人にとっては歩きやすいのだけれど、ベビーカーを持っているとてきめんに歩きにくい。子どもを育てているときに気づきました。ショッピングモールは、排除的と言われるけれど、じつはそういう社会的弱者にやさしい空間を実現している。
大山 日本の場合は、ショッピングモールの多くは工場の跡地に建てられます。これがなぜモールになるのかというと、土地を持っている企業はなるべく効率的に売却したい。細分化するとムダが出てくるので、そのまま買ってくれるところがいい。そうなると、ショッピングモールか大型マンションになる。その結果、行政が規則通りに区画道路を作るよりも、モールの内部に「理想的」な街路ができあがったりする。
東 そもそも、危険な自動車をすべて駐車場に止めて、歩行者だけの遊歩空間を作るモールは、コンパクトシティの理念をもっとも正確に実現している。逆に言えば、コンパクトシティというのは、じつは市街地全体をモールにするという発想なんですよね。
大山 ショッピングモールと商店街が対立的に捉えられるようになったのはとても不幸な図式だと思います。ラゾーナのような駅前型のモールが果たす役割を考えると、従来の図式的な対立は当てはまらない。
東 その点は、ぼくも大山さんも見解が一致しているところだと思います。
ショッピングモーライゼーション
大山 速水さんがよく言う「ショッピングモーライゼーション」という概念[★6]がありますよね。すべてがモールになっていく。まさにそれを体現しているのがここです【図16】。ぱっと見ではモールに見えますが、じつはBACC(Bangkok Art and Culture Centre)という名前の美術館です。これ、モールの吹き抜けにそっくりじゃないですか。つまりアートの空間と消費の空間が、構造的には区別できなくなっている。

東 それに関連して言うと、ぼくはSFの『スター・トレック』シリーズが好きなんですが、1990年代のシリーズ(ディープ・スペース・ナイン)[★7]になると、宇宙ステーションのなかがモールになってしまうんですね。宇宙ステーションも外装に意味がないので、内装だけが重要で気候も空調で完全に管理される。モール性気候です。
大山 それは面白い。
東 つまり外部がない空間ということですね。これはゲンロン友の会の会報に書いたことがあるんだけど、2012年にカリブ海クルーズに行ったんです。
クルーズというと日本では高価というイメージですが、アメリカではそうでもないんですね。クルーズは、キューバ情勢が安定した1980年代以降、カリブ海で一気に大衆化しました。ぼくが参加したのもそういう大衆化したクルーズで、ロイヤル・カリビアン・インターナショナルという最大手の海運会社が手がけるものです。せっかくだからということで「アリュール・オブ・ザ・シーズ」という世界最大の客船に乗りました【図17】[★8]。乗員客員合わせて7000人が乗船することができて、内部には巨大なショッピングモールもある。

Wikipedia, the free encyclopedia:” Allure of the seas night.jpg”,(Author: JuTa, CC BY-SA 3.0)、URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Allure_of_the_seas_night.jpg Public Domain
行って驚いたのは、こういった大衆的なクルーズには社会的な弱者がすごく多く参加していることです。高齢者も多いし、知的障害者も多い、肥満で動けなくなったようなひともたくさんいる。彼らは、さまざまな制約で、一般の娯楽を楽しむことができない。けれども、一度船に乗ってしまえば、そのなかにすべてがあって街ごと旅先に移動していく。
大山 リタイアしたひとたちが海の旅に出るという伝統もありますよね。
東 クールズ船はまさに動くショッピングモールです。
ちょっと面白かったのは、船のなかを歩いていると、制服を着たスタッフがぼくたちの写真をばんばん撮るんですね。部屋番号も聞かれないので、どうするつもりなのかと思っていると、じつは全部顔認証されている。だから、フォトブースに行ってルームキーを挿すと、「あなたの顔が写っている写真が何十枚ある」と表示されるんです。全部CD-ROMに入れると2万円で、10枚選んでブックにすることもできる。
日本ではスタッフが1枚撮った写真を2000円で売ったりしているけれど、このサービスでは勝手にどんどん撮影して、ファイルにしちゃうんですね。それでいちいち、「この写真を買いますか? 削除しますか? 本当に削除しますか?」と聞かれる。そう聞かれると、たしかに削除するのも抵抗があるので、ついつい買ってしまう。じつに洗練されたシステムでしたね(笑)。
大山 いつの間にか撮られていると。量は大切ですよね。
東 ほかもカリブ海クルーズはパラダイムシフトの連続でした。ぼくが乗った船はジャマイカやメキシコにも立ち寄ったんですが、なんと入国にパスポートが要らないんです。ルームキーだけ持っていけばいい。
大山 それはすごい。海運会社が国の制度を変えてしまっているんですか。
東 詳しいことはわからないんですが、ふつうの飛行機での入国とはまったく違う。お客さんたちもみんな慣れたもので、Tシャツや海パンで手ぶらで平気で船を降りる。降りたら目の前はビーチ。でも多くの乗客は、そこがどこの国家に属している土地かもわかっていないかもしれない。まさに外部がないんです。その徹底は本当にすごいと思いました。
2014年1月30日 東京、ゲンロンカフェ
構成・注=編集部
★1 1992年に神長恒一(かみなが・こういち)とぺぺ長谷川を中心に結成された団体。2人の出身である早稲田大学周辺を中心に、機関誌の発行やレイブパーティーの開催などの活動を行った。神長恒一とぺぺ長谷川による共著に『だめ連の働かないで生きるには?!』(筑摩書房)がある。
★2 2005年に開店した東京都市杉並区高円寺のリサイクルショップ。店主の松本哉(まつもと・はじめ)を中心に、放置自転車の撤去反対、反原発などを訴え、路上ライブやデモ活動を行っている。
★3 セントーサ島を臨むベイサイドに位置する、2006年オープンのショッピングモール。基本設計は伊東豊雄、施工は五洋建設が担当した。地下を含む計4フロアに約350のテナントが並び、年間5000万人以上の集客を誇る。
★4 2008年にオープンした、世界最大級のショッピングモール。約1200店舗が出店。世界最大の水槽を備えた水族館「ドバイ・アクエリアム」、屋内スキー場「スキー・ドバイ」など多くの娯楽施設を備え、年間8000万人以上が訪れる。
★5 1992年、ミネソタ州東部・ミネアポリス近郊のブルーミントンにオープンした、全米最大級のショッピングモール。メイシーズなど大手デパートを中心に、500以上の店舗が並ぶ。屋内に遊園地「ニコロデオン・ユニバース」や地下水族館「アンダーウォーターアドベンチャーズアクアリウム」が併設され、年間来場者数は4000万人を数える。
★6 ライターの速水健朗が提唱した概念で、都市とショッピングモールの区別がつかなくなりつつある社会状況を指す。2011年の『思想地図β vol.1』(ゲンロン)および、翌年に刊行された著書『都市と消費とショッピングモール』(角川oneテーマ21)において分析・展開された。
★7 1993年から1999年にかけて放送された、『スター・トレック』テレビシリーズの第3作。24世紀を舞台に、同名の宇宙ステーション内で繰り広げられる異星人間のコミュニケーションを軸に物語が展開する。
★8 ロイヤル・カリビアン・インターナショナルが運航するクルーズ客船「オアシス・オブ・ザ・シーズ」の2船目として2010年に就航した、世界最大級のクルーズ客船。乗客5400人を収容し、乗組員数も2300人を超える。船内に遊園地やプール、円形劇場などのアミューズメント施設を備えている。
もしかしたら写真は人間を必要としなくなるのではないか



大山顕
1972年生まれ。写真家/ライター。工業地域を遊び場として育つ・千葉大学工学部卒後、松下電器株式会社(現 Panasonic)に入社。シンクタンク部門に10年間勤めた後、写真家として独立。執筆、イベント主催など多様な活動を行っている。主な著書に『工場萌え』(石井哲との共著、東京書籍)『団地の見究』(東京書籍)、『ショッピングモールから考える』(東浩紀との共著、幻冬舎新書)、『立体交差』(本の雑誌社)など。2020年に『新写真論 スマホと顔』(ゲンロン叢書)を刊行。

東浩紀
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。