韓国で現代思想は生きていた(21) 今の韓国、その心の行方|安天

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初出:2017年9月15日刊行『ゲンロン6』
『大韓民国、心の報告書 대한민국 마음 보고서』(ムンハッドンネ 문학동네)は韓国の精神科医、ハ・ジヒョン(하지현)氏が書いた、韓国社会の心理的・精神的状況を紐解いた本である。今年2月に刊行された著作であり、ほぼリアルタイムの「報告書」と言えよう。著者は、10年以上、精神科医として様々な人と診療の現場で接してきた。そうした経験と知見をもとに、今を生きる韓国人の心理的特徴や悩みを浮き彫りにしていく。実際に診察した具体的な症例を引き合いに出し、それを出発点として韓国社会で特徴的に見られるようになった心理的パターンを提示していく手法を取っており、非常に分かりやすい。他方、取り上げている事象は多岐にわたっており、事象間の関連性が見えづらい。よって、私なりの観点で、この10年間韓国社会で議論されてきた主な問題に焦点を絞り、本書の内容を再構成しつつ関連する説明を加えることで、論を進めていこうと思う。

1 「韓国はジャングルだよ」


 私は、韓国での生活歴が25年あり、日本での生活は15年以上になるが、日本に来て「韓国と違うな」と感じたものの1つに「時間感覚」がある。日本社会は、韓国社会より時間の流れがゆったりしていると感じたのである。韓国社会はとにかく変化が激しく、その変化に適応するだけで精一杯だった。日本もこの10数年で大きく変化したが、その時間変化の密度は韓国より薄く、韓国で経験した焦り(時には、刻々と変わっていく世界にシンクロしているという高揚感)を感じるほどではなかった。

 いつか、出張などで東京を訪れる韓国の旧友と会って酒を酌み交わすことがあり、雑談がてら、次のような質問を受けたことがある。

「そろそろ韓国に帰って来たらどうだ?」

 私は、笑いながら答えた。

「韓国は変化が激しすぎて、もう私は適応できないかもな」

 友人は苦笑いしながら、こう言った。

「確かにね。韓国はジャングルだよ。アマゾンはないけどな(笑)」★1

 そんなわけで、日本と韓国では、社会のストレスを構成する要素に、かなりの相違があるのではないかと、長い間漠然と思ってきた。

 本書を読んで、「やはりそうか」と思ったところもあれば、「そんなことが起きているんだ」と思ったところもある。そして、何よりも10数年前と比べて韓国は日本に相当似た社会になってきていると感じた。というのも、本書で扱っている症例や特徴的な心理的パターンの多くは、固有名詞を置き換えるだけで、日本における症例やパターンと同じになると言っても過言ではないからだ。言い換えれば、心の悩みという側面で、韓国と日本が抱えている問題は、他のどの国よりも類似しており、その分お互いを理解しやすい状況になってきている。

2 「夢」の消失


 現在、日本の若者に最も人気のある就職先は「公務員」である。リスクモンスターが2018年卒業予定の大学生を対象に行った調査結果によれば、「就職したい企業・業種ランキング」の1位は「地方公務員」、2位は「国家公務員」で、この順位は前年と変わらないものであるらしい★2。就職先として公務員が人気なのは、その業務内容に興味があるからという理由もあるだろうが、一般企業より安定しており、労働環境も比較的よいからだろう。

 韓国で最も人気のある就職先もまた「公務員」だ。本書によると、2016年に行われたソウル市の地方職9級公務員の選抜試験を、13万人が受験した。採用予定人員は1600人弱で、競争率は80倍を超える。今年も、ソウル市の9級公務員の採用予定人員が1514人であるのに対し、選抜試験の受験者は12万5000人で、約82対1の競争率になっている★3。韓国の地方職9級公務員は、いわゆる「末端」公務員であり、高校を卒業した程度の学歴・経歴の人に適した職種として設定されている。ところが、最近の受験者は大学卒業以上の者のほうがはるかに多い。

 いわゆるSKY大学★4出身者や留学組までもが9級公務員に志願する上に、大手企業を辞めて3年間試験準備をし、30代中盤で公務員になった人が、3000万ウォン〔日本円でおよそ300万円〕にも満たない年収に大きな満足度を示しているという。★5


 将来への不安が大きくなると、人はリスクを回避する選択をする。ここで言う「リスク」には、当然ながら「これ面白そう」「これやってみたい」「これ絶対意味があると思う」という自分の価値観や感性に基づき、結果が不確実な活動に思い切ってコミットすることも含まれる。言い換えれば、「夢を追う」ことは「リスクを負う」ことでもある。

 私が暮らしていたころの韓国には、リスクを負って夢に挑戦する雰囲気があった。しかし、この10数年で、雰囲気は随分と変わったようである。著者は、社会の構造自体が変化したことを指摘している。過去とは異なり、「努力すればそれに相応する結果を得られる」時代ではもはやない。「一生懸命最善を尽くしても今よりよくなることはなく、もとを取るのも厳しいのが今の世の中」であり、そこでは「安全であること、そしてそれを持続することが」唯一の目標となる。日本のマンガ等も嗜む著者は、このような表現をしている──「これからは、夢や希望をもって冒険に旅立つマンガの主人公のような生き方はできない」。

 著者の目に映る韓国の若い世代は、「『夢と希望』は考えたこともなく、そのようなことを思うこと自体が贅沢であり、ただ末永く安定した人生を送り続けることだけを願い、最善の選択は公務員になることだと必死に努力する」。韓国では、上の世代の人が最近の若者について、夢や向上心がないと不満を漏らすが、そもそも個々人の置かれている状況が以前とは異なるのだ。そのような不満を漏らす人も、今の若者と同じ立場になったら向上心どころではなくなるかもしれない。

 ちなみに、日本にはすでに若い世代が夢や希望を持たないことを社会現象として分析した成果が複数ある。代表的なものとして古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』を挙げることができよう。以前、このコラムの第17回「日本の本を読み続けてきた韓国」で、韓国に日本の書籍が非常に多く翻訳されていることに触れたが、実はこの本もすでに翻訳されている。『大韓民国、心の報告書』の著者は、まさに『絶望の国の幸福な若者たち』を引き合いに出している。該当箇所を引用しよう。

『絶望の国の幸福な若者たち』を書いた日本の若い社会学者古市憲寿は、今の日本を生きる若者たちが既存の世代より幸せを感じるのは「希望がないから」と分析し、彼らをさとり世代と呼ぶ。人は今の現実に満足できないとき、よりよい未来を作り、よりよい人生を営むために努力する。ところが、希望が実現する可能性が非常に低いと感じると、現在手にしている水準でそこそこやっていくことに満足するようになる。


 日本の「さとり世代」と類似した特徴をもつ若者が韓国でも増えていて、朝鮮日報は彼らを「達観世代」★6と呼んでいる。

3 試行錯誤する機会の減少


「失敗」のツケが大きくなってしまったことも、韓国の若者がリスクを負わない安定志向へと傾いている理由の1つである。以前は、集団や組織の一員として仕事をするとき、その集団のルールや慣例に基づき判断すればよかった。しかし、大きな社会変化が続き、そうしたルールでは対応できない状況が増えるにつれて、個人に判断が委ねられるケースが増え、それとともに責任も重くなり、結果として失敗したときのリスクも大きくなった。

「失敗すれば終わりだ」という立場に置かれると、人は極端に慎重にならざるをえない。そして、誰も大きな冒険をしなくなる。これは社会全体の活動性を萎縮させる。


 失敗への許容度が低くなると、重大な判断を伴う事柄を避けることで失敗する確率を下げようとするのは、自然な成り行きである。しかし、自ら考え判断することで新しいチャレンジをしていく人が少なくなれば、必然的にその社会は停滞へと向かう。人間が生きていく上で必要な知恵の相当部分は、自ら試行錯誤を重ねる過程で獲得される。これは、試行錯誤の機会が多いほど、新しく学べる可能性も広がることを意味する。失敗への許容度が高い社会ほど、活気ある社会になる可能性が高いのだ。韓国社会は、その反対方向へ向かっていると、著者は考えているようだ。

 他方、試行錯誤の機会が減少している理由がもう1つある。それは、子どもに対する親の過保護傾向だ。日本よりも速いスピードで少子高齢化が進んでいる韓国は、一人っ子家庭が多い。また、過剰な受験戦争により、世界一と言ってもいい教育熱心な雰囲気の中で子どもを育てるため、勉強以外の面では全方位的に親が子どもの面倒を逐一見てあげていることが多々ある。費用面だけ見ても、子ども1人あたり「大学卒業までの22年間で費やされる養育費が2012年基準で、平均3億1000万ウォン〔3100万円〕、1人あたりGDPの9倍」にもなるそうだ。親たちは、子ども1人を育てるのに毎年約140万円かけていることになる。その内訳の半分以上は、塾や家庭教師などの私的教育費だろう。

 親は、勉強の面で子どもに無理をさせていることを知っているので、他の面では甘やかす傾向がある。少しわがままなことも大目に見てあげるし、勉強以外の面で苦労し時間を費やすことがないような環境を整えようとする。でもそれは、少々辛い体験も含め、子どもが人生を生きていく上で必要な経験を積む機会を奪ってしまう。そして今、そのような「温室」で育てられた子どもたちが成長し、若者になりはじめた。

 著者は、特に成績が優秀な勉強のできる若者たちに、人間関係や社会関係を結ぶ能力の低下が目立つと言う。「彼らは、幼いころから〈学校 – 塾 – 家〉だけをぐるぐる回転するような人生を20年間送ってきたため、基本的な人間関係を結ぶ機会さえも持てなかった」。韓国の学校に日本の部活動のような制度がないのも原因の1つではないかと、私は思う。あまりにも学力至上主義なのだ。著者は、大手企業の人事部門の管理職の人々から、最近は名門大学の成績優秀者が新入社員として入って来るのがあまり嬉しくない、という愚痴を聞くようになったらしい。会社の中で、常識的な振る舞いがうまくできないケースが増えたのがその理由だそうだ。

4 「中産階級」という幻想


 日本には「出る杭は打たれる」ということわざがあるが、実は韓国にも「尖った石はノミに打たれる」という同じようなことわざがある。使われる場面も同じで、目立つことをすると叩かれるから目立たないように振る舞いなさい、という意味だ。軍隊に行く息子に、父親がするアドバイスは「何をするときも、ちょうど中間を目指せ」。みんなより下手でも苦労するし、上手でも苦労するから、何をするときも他のみんなに合わせるのが1番いい、ということである。

 韓国には、みんなと同じ程度であれば、一旦は安心を感じる心理が強く残っている。よって、生活の中で一次的な目標として目指すのは「中産階級」だ。しかし、本書によると、人々が頭の中で描いている中間は、現実の中間とは若干レベルが違う。韓国のネットでは、次のような条件が「中産階級の条件」としてシェアされているらしい。


①年収5000万ウォン〔500万円〕以上
②2000cc以上の中型乗用車を所有
③ローンなしで30坪のマンションを所有
④1億ウォン〔1000万円〕以上の銀行預金
⑤1年に1回以上の海外旅行


 著者は、上記条件を全部クリアできるのは、人口の10%程度ではないかと推測している。私も、①②⑤は満たせても、③と④の条件を同時に満たせる人はそれほど多くないのではないかと思う★7

 にもかかわらず、多くの人々はこのような条件を中産階級の条件として受け止め、そのレベルを実現するため努力を積み重ねていく。自分の価値観に基づいて定めた目標ではなく、みんなを基準にした目標であるため、常に周りとの比較を通して安心感を得ようとするのだ。しかし、競争社会の中で、他の人との比較で自分を評価し続けるのは、常にストレスと不安がつきまとう。若者の間で「9級公務員」が人気なのは、象徴的だ。生活水準の高さより、安定を選ぶのは、終わらない競争のレールから降りる決断、すなわち「中産階級」を追い求めないという決断でもある。

5 多様な価値観を認める社会へ


 著者は、この10年間、今まで論じたような原因によって不安と鬱の閾値が全体的に低下したと、韓国社会を診断している。経済的には豊かになったものの、不安や鬱に陥るケースが多くなり、幸せになった実感はないのだ。

 それゆえ著者は、今こそ方向転換が必要なときだと言う。彼が個々人に示す提案は、いかにも医師らしい、明快かつ具体的なものである。まず、周りと比較して自分にムチを打ちながら終わりの見えない競争を生き抜くことにすべてを捧げるのではなく、小さなことでいいので、純粋に自分が好きな趣味を一つでも持ってそれを楽しむこと。そして、少人数でいいので、利害関係のない、気軽に話し合える人間関係を築くこと。

 これを通して、著者が意図するのは「多様な価値観の許容」である。日本に劣らず文化的・人種的に均質性の高い社会である韓国は、社会的に暗黙に通用する「正常」や「目標」の基準が狭すぎた。大勢の人が同じものを目指すのも、目標となる対象をその大勢が手に入れられるのなら問題はない。しかし、高度経済成長から低成長へ転換する時期に入った韓国社会は、みんなが「中産階級」という同じ夢を見ても、それを実現できるのは少数というステージへと移行しつつある。

 夢を実現できる確率はどんどん低くなっていくのにもかかわらず、このままみんなが同じ夢を見続けると、不安と鬱を感じる人は益々増えていく。これからは、みんなが同じ夢を見るのではなく、各々が異なる夢を見るようになっていく必要がある。自分が好きな分野で小さな夢を見つけ、そのような趣味等を媒介にし、気軽な人間関係を築くようになると、多様な価値観が共存する方向へ向かうことだろう。著者はこれを「正常の基準を組み立て直す」と表現する。確かに、様々な生き方を「正常」に感じるようになれば、自分は正常ではないのではないか、と不安を感じることはなくなるし、「正常」の枠内に留まるために無理をしなくてもよくなり、社会全体の不安と鬱の閾値を高めることができるはずだ。

 ただ、幸福度が高まれば万事うまく行くのかと言えば、そうではないのが難しいところである。幸福度が上がるのはよいことではあるけれども、それが行き過ぎた現状肯定につながると、やはり社会は停滞することになるだろう。著者も、他の箇所でこのような懸念も示しているが、優先順位としては「不安と鬱の閾値を高める」ほうが先行するようだ。

6 ひきこもり、ゲーム中毒


 ここまで、韓国社会の心理状況を俯瞰するようなマクロな視点に立って話をしてきたが、本書はそれ以外にも、様々な注目すべき症例を取り上げている。そのうち、「ひきこもり」と「ゲーム中毒」に関する内容を紹介したい。著者によれば、ひきこもりが「社会的な関心の対象になり、医学的にも研究価値があるほど事例が多い国は、現在、韓国と日本だけである」。その背後にある「日本と韓国の文化的、社会経済的な共通性」として、次の要素を挙げている。

①家庭内の愛着が強い:家族同士の結合度および家族の外と内の区別が強い。そのため、家族内部であらゆる問題を解決しようとする。また、子どもが家族の外の世界にうまく適応できない場合、家の中に引き戻す方法で再起を図ろうとする。
②面子を重視する:子どもの問題を外部に公開してオープンな方法で問題解決を図ろうとしない。
③子ども用の部屋:経済力があり、子どもに本人だけの部屋を与えている。


 ただ、日本と韓国ではひきこもり現象が現れた時代に20年くらい差がある。今の日本では、親世代の経済力低下で、ひきこもり状態の子どもを養えなくなったことで起きる悲劇を目にするようになったが、このままでは韓国でも将来同じような問題が起こると、著者は懸念している。

 



 また、「ゲーム中毒」は、韓国が学力至上主義的な側面がある社会であるだけに、大きな問題になっている。特に、「中毒予防管理および治療のための法律案」(通称「4大中毒法」)が国会で審議された2013年から14年にかけて、広範囲にわたって議論がなされた。4大中毒とは、麻薬・アルコール・ギャンブル・ゲームの依存症を指す言葉で、一言で言えばゲームを「麻薬・アルコール・ギャンブル」と同じ枠組みに入れ、規制を強化しようとした法案である。結果的に廃案となったので、法的効力はない。★8

 著者は、ゲームの中毒性について、誤解されている点が多いと指摘する。彼が診てきた症例によると、ゲーム中毒と呼ばれている人のほとんどは、現象だけを見ればゲームばかりしているので中毒のように見えるが、実際は「現実逃避」や「現実脱落」によってゲーム以外はやらなくなっただけだと言う。「ゲームの中毒性が高いためにそこから抜け出せないのではなく、現実がつまらなくて鬱陶しいので、そこから抜け出すための手段としてゲームを選んでいる」。よって、処方としては「子どもにゲームがどんなに危険かを認識させることでゲームをやめさせるのではなく、現実世界で楽しめるもの、没入できる対象を見つけ、現実世界も面白いところがあることを体感できるよう手助けすること」を提示する。

 著者は、全体的に柔らかく丁寧な言葉を用いて論を進めているのだが、「ゲーム中毒」という現象について理解のない状態で理不尽なゲーム反対論を唱える親世代に対しては、次のように相当きついことを言っている。

 子どもを自分の所有物・自己自我の拡張版として認識し、すべてをコントロールしながら、子どもを通して自我の満足を得ようとする両親たち。このような両親たちもゲームをしているように、私の目には映る。彼らは画面の中のキャラクターではなく、生身の人間である自分の子どもを相手に育成シミュレーションゲームをしているのだ。

7 結びに


 今回は、韓国社会の今の心理的状況について著したハ・ジヒョン氏の『大韓民国、心の報告書』を紹介した。日本の読者から見て、おそらく既視感を覚える内容が多かったのではないだろうか。特に、両国の若者が置かれている状況は構造的に類似しており、同じ悩みを抱えているケースが多いのではないかと推測される。日本ではすでに数年前から進行中の現象が多く、その前轍を韓国も踏んでいく可能性が高い。また、日本と比べて韓国のほうが深刻な現象もあるかと思われる。私が日本に来て間もないころ感じていた時間感覚の相違も、今は当時より薄れてきたのかもしれない。

 元来、韓国の人文学界隈においても精神分析や心理学は重要な位置を占めており、フロイトは、マルクスやニーチェと並ぶ大思想家として評価されてきた。20年前からは、特にジジェクの人気が高く、ほとんどの著作が韓国語に翻訳されている。もちろん、日本の書籍も多く翻訳され、例えば河合隼雄、斎藤環等の著作が複数、韓国語で出版されている。中でも、この連載シリーズですでに紹介したように岸見一郎・古賀史健の『嫌われる勇気』は、51週間連続ベストセラー1位という韓国史上空前の大ブームになった。ハ氏の『大韓民国、心の報告書』から日本に関する記述をしばしば目にするのは、ある意味当たり前なのである。

 言語や政治の壁により、お互いについて接する情報は断片化されていて分野による偏りも大きく、全体像が見えにくいのが現状であるが、実は、韓国と日本はそれぞれが思っているより似ているところが多くなりつつある。類似している問題を抱えているだけに、それらの問題に対して各々がどのような対応をし、その成果はどのようなものだったのかを共有できるようになれば、お互いのプラスになっていくはずだ。
 

★1 冗談を説明するのは野暮かもしれないが、背景を説明すると、彼はネット通販大手の「アマゾン」が韓国に進出していないこととジャングルをかけている。
★2 「第3回 就職したい企業・業種ランキング」、「リスクモンスター」、2017年3月24日。URL=https://www.riskmonster.co.jp/study/research/pdf/20170324.pdf
★3 「9級、1万名募集に、22万名受験」、『朝鮮日報』2017年6月19日付。URL=http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/06/19/2017061900264.html
★4 「SKY大学」とは、韓国の3大名門大学であるソウル大学、高麗大学、延世大学の頭文字を取って作った用語で、韓国では広く使われる日常用語である。
★5 하지현『대한민국 마음 보고서』(문학동네、2017)。筆者はこの本を電子書籍で読んだため、引用に際しページ番号を付記しないことをご了承願いたい。
★6 「稼ぎが少なくても、業務時間が少ないから幸せだという彼ら…不況が生んだ達観世代」、『朝鮮日報』2015年2月23日付。 URL=http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/02/23/2015022300056.html
★7 連載第16回でも述べたように、購買力評価を基準にすると韓国と日本は1人あたりGDPがほぼ同一、すなわち個々人の生活水準はほぼ同じである。ちなみに、シンガポール、香港、台湾は韓国と日本より高い。
★8 「中毒予防管理および治療のための法律案」は廃案になったが、それ以前から韓国ではゲームを規制する法律が運用されている。2011年から施行されている通称「シャットダウン制」(青少年保護法第2条)は、午前0時から午前6時まで、16歳未満の青少年によるオンラインゲームのプレイを禁止している。

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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