あの日見た妻の顔をぼくはもう覚えていないのだが、その事態を語る言葉はまだ知らない なぜ妻は病院に行きたがるのか(2)|大脇幸志郎

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webゲンロン 2025年12月9日配信

語られない現実

 死について語った物語は無数にある。殺人、自殺、死刑、安楽死、延命、難病奇病、不条理な事故、奇跡の救命、あるいは死後の生、復活、不死。いずれも古今東西を通じて繰り返されているモチーフだ。だがそれらに比して、老衰についての物語ははるかに乏しい。理由は単純で、人が現代ほど長く生きるようになったのはごく最近だからだ[図1]。

図1 日本、フランス、アメリカ、中国、ロシア、南アフリカの平均寿命の推移。Our World in Data のデータをもとに編集部制作 URL=https://ourworldindata.org/life-expectancy

 有吉佐和子『恍惚の人』が認知症を持つ義父とその介護を担う嫁を描いてベストセラーになったのが1972年。このころ日本の平均寿命は70年あまりだった。これでもすでに、ロシアのように内政に不安がある国や、アフリカ大陸諸国のように貧しい国には達成が難しい水準だ。現在はさらに10年ほど平均寿命が伸びている。この10年には数字以上の意味がある。なぜなら70歳代と80歳代では、認知症を持つ人の割合が大きく違うからだ[図2]。

図2 日本における認知症有病率。 厚生労働省の推計をもとに編集部制作 URL= https://www.mhlw.go.jp/content/001279920.pdf

 数値は厚生労働省の「認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」で採用されているものだ。75-79歳では1割に満たなかった認知症有病率が、85-89歳女性では4割近くになる。『恍惚の人』から50年で、日本を含む高齢化先進国は、認知症が当たり前になる時代を迎えたのだ。

 ぼくは医師として主に高齢者を診察している。高齢者医療は介護と地続きであり、「患者」の家族を同時にケアすることでもある。親の認知症で介護が大変だという家族に医師ができることは多くない。ぼくはむしろ「仕方ないですよ」という意味のことをよく言う。しかし次々にサプリメントを試したり、自己流の練習をさせたり、あまりに細かい変化を逐一医師に相談して消耗してしまう家族は少なくない。  

 老衰を受け入れるのは難しいことだが、それをさらに難しくするような社会的な圧力が加わっているのではないか。この観点から「老いの物語」を探索してみたい。

老いの物語として読む『葬送のフリーレン』

 高齢化が進んだ現在、テレビ、映画、漫画、小説でも認知症とか介護の話題が増えた。だが、そこで語られる思想はおおむね『恍惚の人』の時代からあまり変わっていない。概して世の中は老衰者に冷たい。ぼくは老衰者の味方として「認知症でもいいじゃないか」と言う立場にあるが、人気になるのはたとえば「ちょっと認知機能が落ちても案外できることは残っている」といった話だ。認知症がさらに進んで何もできなくなったらアウトだと、暗黙のうちに前提されているわけだ。そんななかで新しい可能性を宿しているのが、いっけんそうとは見えない少年漫画『葬送のフリーレン』だ。

 以下、ネタバレには配慮しないので、未読の方は留意されたい。

 舞台は剣と魔法のファンタジーの世界――と、こう言えば伝わるくらい漫画やアニメでは定着しすぎるほど定着した世界設定である。もはや『ドン・キホーテ』のようなメタ視点を加えなければ退屈に見えてしまうであろう、魔王討伐のために勇者が旅をする物語を土台にしている。だが『フリーレン』はあえてその古臭い道具立てを選んだうえで、魔王を倒したあとから物語が始まるという捻りを加えている。    

 主人公フリーレンは1000年以上生きているエルフの魔法使いで、勇者の仲間として10年にわたる旅の末に魔王を倒した。それから50年あまりで勇者たちが老衰死する。フリーレンは仲間たちの死を惜しみ、死者との対話を可能にするという「魂の眠る地」を求めて、かつての魔王討伐と同じ道をもう一度旅する。その旅の中で、勇者一行の記憶をとどめる人や物を発見し、思い出をよみがえらせるとともに亡き仲間たちへの理解を深めていく。

 フリーレンは長く生きている。人が死に、何も残さず忘れられていく過程を飽きるほど見ている。だから死も忘却も当然のこととして受け入れている。自身の生活も淡々としていて、勇者と出会うまでの1000年は「無気力にだらだらと生きていた」★1 。にもかかわらず、仲間たちの死にだけは涙し、かつてを懐かしむ。それも魔王との激しい戦いではなく、旅の途中のとりとめのないエピソードばかりを思い出す。

 物語は「日常生活そのものに価値がある」という主題を繰り返し変奏する。中でも印象的なのが、フリーレンが旧知の「フォル爺」に再会するエピソードだ。フォル爺は亡き妻との約束で、長年住む村を魔物の襲撃から守り続けている。だが肝心の妻の顔も声も、フリーレンが魔王を倒したという事実もすでに忘れてしまっている。フリーレンはそのことを知って「フォル爺の記憶も私が未来に連れて行ってあげる」と約束する★2。もちろんフリーレンもいつかは死ぬのだが、その言葉がフォル爺にはささやかな慰めになる。

 これが2020年に連載開始した少年漫画であって、死なないために日常を犠牲にすることが自明視されたその時代に大ヒットしたという事実には勇気付けられる。

老衰を嫌う『鬼滅の刃』

 本稿は前後編の後編にあたる。前編★3で話題にした『鬼滅の刃』は、『フリーレン』とは対照的に、高齢者には至って冷たい。

 「鬼」は不老不死だから非人間的であって倒すべきだという論理が繰り返し語られるのだが、最終盤で「老化の薬」が鬼を弱らせ、主人公たちを勝利に近づける★4。これははからずも戦う理由そのものの否定になっているかもしれない。鬼は老いるし、老いるということはおそらく、老衰死もするのだから。人と鬼の違いは、寿命が長いか短いかでしかない。そのスキャンダルを突きつけられ、読者としてぼくは「これまでの話はなんだったのか」と思ったのだが、物語は迷いなく進行する。鬼への報復を強調する伊之助にはいくらか共感できる。そもそも鬼と戦うのは鬼が人を殺すからだったはずだ。だがほかの人物は改めて動機を確認しない。敵は頭髪が真っ白になり、放っておいても死にそうなほど息も絶え絶えになるのだが、主人公の炭治郎は相変わらず「無限の命」より「人間として死ぬ」ほうがいいという点にこだわっている★5

 もちろん主人公たちは作中の出来事をすべて知っているわけではない。明示されていないが、炭治郎は老化の薬を知らなかったのかもしれない。ならば敵が本当に不老不死だと思っていても不思議はない。しかし読者に見える風景はまったく違っている。主人公たちは、ただ長命であるだけの鬼を、主に長命であることを理由として、滅ぼそうとする。では望ましい死はどのようなものか? 最強の正義の剣士は80歳を過ぎても力を落とさず、戦闘中に立ったまま「寿命が尽きて」死ぬ★6。死に際までピンピンしていてコロリと逝く「ピンピンコロリ」が正しく、衰えてなお生き延びるのは悪なのである。

 

 ぼくの診察でも、患者が「私はいつコロリと死んでもいいんですよ」と胸を張るのは日常の風景だ。ぼくは「コロリと死ねないから難しいんですよ」と答えそうになるのを毎回こらえることになる。

 社会学者の上野千鶴子も最近の著書『アンチ・アンチエイジングの思想』で確認しているとおり、ピンピンコロリ願望そのものが、老衰を忌避し、考えないでおこうとするしぐさにほかならない。

 上野はシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』に収集された、多くの著者による老衰恐怖の表現を紹介する。あからさまに高齢者を見下す表現もあるが、そうでないものもある。上野が指摘するとおり、「高齢者にもまだこんなにできることがある」とか、「高齢者にしかできないこともある」といった主張は同時に、「できない」高齢者を切り捨てることでもある。高齢者を励ます言葉は高齢者のありのままを否定しているのであり、「誰一人取り残さない」という思想とは両立しない。

 現代の我々には、老衰をありのままに肯定するという難題が突きつけられている。ボーヴォワールと上野はそれぞれの立場からこの難題に応えようとしているのだが、ぼくの現場から見ると、いずれもやや抽象的かつ楽観的に思える。介護という複雑で多様な現実に対して、おそらくいまは語られる言葉の総量が少なすぎる。

老衰恐怖とその性差

 さて、本稿は三宅香帆が集英社新書プラスで連載中の「なぜ夫は病院に行かないのか」★7に反論する形で、病院と性役割の関係を考察している。前編では女性が歴史的・文化的に「ケアする性」の役割に追い込まれ、低賃金で医療や介護を支えているという図式を提示した。なぜ妻は病院に行きたがるのか。それは女性が病院好きであるべきだと教えられてきたからだ、というのが前編の答えだった。

 後編にあたる今回は、老衰恐怖にもまた性差があることを指摘したい。その関係を理解するには医療の役割を考えることが助けになるはずだが、まずは老衰恐怖がどのようなものかを詳しく見てみよう。

  前述の上野は、高齢者の中でも女性が特に低く扱われているという事実を指摘する。そしてそのことを上野一流の表現で「女の値打ちはオレサマをムラムラさせるところにある」と説明する★8。すなわち女性の最大の役割は男性の性欲の対象となることだとみなされていて、女性がその役割をうまくこなそうとするとき、加齢恐怖が呼び起こされるというのだ。だが、本当にそうだろうか。

 性的魅力を重視する説明には一定の説得力があると思う。この枠組みを採用すると、高齢者に優しいはずだった『フリーレン』の限界が見えてくる。登場する高齢女性の多くはフリーレンのように長命の種族であって、美少女の姿を何百年も失わない。主要人物のうち、普通の寿命を持っていて高齢女性らしい姿で登場する人物として、フリーレンの師匠のフランメ(故人)がいる。だが、フランメは老いてもなお美しい★9。顔には深いシワが刻まれているがシミはひとつもない。腰まで届く髪は真っ白だが若いころと同じスタイルに整えられている。知的活動は衰えず、腰が曲がりもせず、乳房は少しも垂れていない。フォル爺の描写とは対照的だ。フォル爺と同じ役割の女性がもうひとりいたら冗長になるかもしれないが、逆の機能を持つ女性はすでに冗長なほどいるのである。

 だが、このことは『フリーレン』が少年漫画だから、とも解釈できる。つまり中心的な読者を若い男性と想定しているための制約なのだ、と。では、高齢女性自身が読むものは違うだろうか。高齢女性はみずから進んで「若く美しくありなさい」とつねに語るものを読んでいるだろうか。

 ここに『ハルメク』という雑誌がある。紙の雑誌が不振と言われ、『週刊少年ジャンプ』の発行部数が100万部をやっと超える程度まで落ち込んだ現在にあって、『サンデー』より『マガジン』より多い48万部を発行している、人気抜群の女性シニア誌だ★10。最近の見出しを抜粋してみよう。

 ● 2025年12月号

  ○ 特集 血管年齢・脳年齢が若返る 5分でできる/新・健康レシピ

  ○ 特集 いらない物を賢くスッキリ/手放す術

  ○ 健康特集 唾液を増やして/口と体の健康を守る

  ○ (以下略)

● 2025年11月号

  ○ 特集 何から始めたらいいか ズバリ提案!/目的別 終活

  ○ 特集 がんばらずに続けて、むくみ、高血圧を改善/楽でおいしい減塩のコツ

  ○ 健康特集 1000人以上を60年以上 調査してわかった/病気になりにくい人の小さな習慣

  ○ (以下略)

● 2025年10月号

  ○ 特集 顔たるみ、老け手、縮んだ背/まとめて改善!

  ○ 特集 人生の満足度は60代から高まる!/自分を幸せにする生き方

  ○ 健康特集 寿命を左右する/腎臓を自分で元気にする方法

  ○ (以下略)★11

 これら3号のうち2号の巻頭特集で「若返る」「老け」と加齢恐怖が語られている。そこで加齢は健康上の問題と結び付けられ、健康法によって恐怖が解消されるという物語を形成している。ところが予想に反して、加齢が性的魅力の減退を意味すると読み取れる箇所は少ない。

 では、加齢恐怖とは何に対する恐怖なのだろうか。老いの醜さは忌まわしすぎて話題にできないのかと思えば「顔たるみ」があっけらかんと語られる。「血管」とか「腎臓」といった目に見えないものへの関心も強い。シンプルに死ぬのが怖いのかと思えば「終活」をする覚悟もあるようだ。

 総合して、高齢女性はたしかに老衰を恐れているとは言えるだろう。だがその恐怖を「男性の愛を失う恐怖」と読み替えるのは少し待ったほうがよさそうだ。

 そう考えるのにはほかの理由もある。そもそも高齢になればなるほど、身の回りは女性ばかりになるからだ。2024年の国民生活基礎調査によると、女性は加齢とともに配偶者と死別し、75歳以上の女性1266万人のうち「配偶者あり」は533万人と半数を割っている★12。つまり、後期高齢者である女性は夫がいないことのほうが多い。友達も、生き残るのは女性に偏る。前回見たとおり、身近に接する医療・介護従事者には女性が多い。それなのに男性の視線を内面化したふるまいを続けるという説明は、当てはまる人もいるだろうが、全体を説明するには弱い。現に、被介護者の過半数が女性であるにもかかわらず、介護者に性的関心を示すのは主に男性である。

高齢女性は何が怖いのか

 女性の性的魅力の衰えを気にするのはどちらかといえば男性であるようだ。だとすれば、女性は加齢の何が怖いと思っているのだろうか。『ハルメク』の見出しは謎めいていた。そこで違う資料を当たってみよう。人の苦痛とか恐怖心は、たとえば自殺に結び付いているかもしれない。厚生労働省と警察庁の資料によれば、自殺者の過半数は50歳以上だ★13。自殺の原因・動機は、あくまで遺書などを頼りにした不確かな推定だと断らなければならないが、突出して多いのが「健康問題」だ。女性に限った集計を示す[図3]。

図3 自殺の原因・動機別件数(大分類・女性)。厚生労働省の統計をもとに編集部制作 URL= https://www.mhlw.go.jp/content/001464717.pdf

 さらに上位を占める「家庭問題」と「健康問題」を詳細項目に分解してみよう[図4]★14。「健康問題」の中には、「うつ病」「統合失調症」「その他の精神疾患」などが含まれている。つまり、ほかの原因によりうつ病の段階を経て自殺に至るとか、幻覚に促されて自殺してしまう場合がかなり多いようだ。それらを別にすると、「悪性新生物」、「その他身体疾患」「身体障害の悩み」が相当に多い。悪性新生物つまり癌が目立っているが、「その他身体疾患」はその数倍にあたる。この中には多種多様な病気や身体的苦痛が含まれている。おおまかに言えば、癌とかいろいろな病気で悩んだ末にいっそ死んだほうがマシだと思ってしまう女性が目立って多いようだ。

図4 図3の資料のうち、健康問題および家庭問題の内訳。編集部制作 URL= https://www.mhlw.go.jp/content/001464717.pdf

 定説に沿うなら、病気の苦痛には、身体的苦痛だけでなく心理的苦痛、社会的苦痛、人生観についての苦痛が含まれる。つまり、「病人や老人は差別されているので死にたくなる」といった事態も含まれる。『ハルメク』の見出しが直接に苦痛を指す言葉をあまり使わないのは、陰鬱な印象を避けるための編集上の配慮なのかもしれない。

高齢女性が恐れる病気

 女性の老衰恐怖をさらに詳しく観察しよう。病気が怖いのはわかった。では無数にある病気の中でどんな病気が恐れられているだろうか。上の統計で特別に集計された(ということはおそらく、病気の中で特に多かったのであろう)癌はもちろんだが、ほかのすべてを合計すると癌よりはるかに多いのだから、ほかの病気も考えるべきだ。

 2023年の患者調査によれば、65歳以上の人口あたり推計患者数(調査日当日に、病院、一般診療所、歯科診療所で受療した患者の推計数)にはほとんど性差がない。その内訳の傷病分類、つまり病院に行く理由の上位も、「循環器系の疾患」「筋骨格系及び結合組織の疾患」「消化器系の疾患」など男女でおおむね似たものが並ぶ[図5]。

図5 2023年の65歳以上の受療率(推計患者数/推計人口×10万)。項目名はいずれも略記した。「令和5年患者調査 全国編」をもとに編集部制作 URL= https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0004025961

 循環器系の疾患というのは高血圧とか心臓の病気のこと。筋骨格系の疾患で多いのは関節症、つまり歳をとると膝が痛くなるというやつだ。消化器系というと胃腸が浮かぶだろうが、この統計では歯も含んでいて、受療率を押し上げているのは主に歯の治療だ。要するに「膝が痛くて歯がボロボロ」というのが高齢者に多い健康上の悩みの代表例だ。

 ではさらに進んで、受療率に性差が比較的大きいものを選んでみよう。女性に多いのが「筋骨格系及び結合組織の疾患」で、男性に多いのは、男性にしかない前立腺の病気を除くと「腫瘍」だ。

 筋骨格系の性差はほとんどが関節症と骨粗鬆症で説明される。骨粗鬆症はホルモンとの関係で主に女性が治療対象とされる。関節症も関節の構造の差などで女性のほうがやや多い。リタイア世代で家事のために痛みを抑えたいのは女性のほうかもしれない。

 対して男性の受療率が高い腫瘍というのは主に癌のことだ。前立腺癌が乳癌と子宮頸癌と卵巣癌の合計より多いのだが、それによる差は性差の一部でしかない。胃癌、大腸癌、肝癌、膵癌、肺癌、膀胱癌はいずれも男性に多い。同様の傾向は公益財団法人がん研究振興財団の統計からも読み取れる。癌の罹患すなわち新規の診断は男558,330に女421,000、癌死亡は男227,800に女165,300と、いずれも男性のほうが1.3倍あまり多い★15

病気の性差と意識

 少し長くなったのでまとめよう。女性の老衰恐怖を理解するため、病気の統計から性差を拾い出してみた。老衰恐怖は主に病気への恐怖だからだ。そして性差の大きい病気として、女性は関節症で、男性は癌で病院に行くことが多いとわかった。病気の性差はもちろん自然がもたらしたもので意識の問題ではない。しかし参照した統計は「病院に行く」という行動についてのものだから、意識がまったく無関係というわけでもないだろう。

 だから男性から見れば、「癌で病院に行くのは当たり前だが、妻は膝が痛いぐらいで病院に行きたがる」と思えるかもしれない(そういえば本稿のタイトルは「なぜ妻は病院に行きたがるのか」だった)。だが、本当にそうだろうか。本稿の関心からすると、膝の痛みこそが差し迫って重要であり、癌には相対的に関心が薄いほうが、むしろ老衰に正面から向き合っていると言えないだろうか。なぜなら老いの苦痛とは死ぬ苦痛ではなく、死ねない苦痛だからだ。

 癌についての意識調査を見ると、より明瞭にひとつの景色が浮かんでくる。2023年の内閣府「がん対策に関する世論調査」では、性別によらず、年齢が上がるほど癌に「怖い印象を持っている」という回答が減る傾向を読み取れる[図6]。

図6 年代別の「がんに対する印象」。内閣府「がん対策に関する世論調査」の結果をもとに編集部制作 URL= https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-gantaisaku/

 加齢によって何が変わるのか。癌が怖い理由も同じ調査で質問されている[図7]。回答の分布は年齢によってあまり変わらず「がんで死に至る場合があるから」「がんそのものや治療により、痛みなどの症状が出る場合があるから」「がんの治療や療養には、家族や親しい友人などに負担をかける場合があるから」「がんの治療費が高額になる場合があるから」が上位だが、複数回答で選択する数が50代以降高齢ほど少なくなり、どの選択肢も少しずつ減る。寿命が近づくにつれて死ぬのが怖くなくなるのかと思えば、どうやら社会的・経済的にも高齢者はあまり思い悩まなくなるようだ。

図7 年代別の「がんを怖いと思う理由」。内閣府「がん対策に関する世論調査」の結果をもとに編集部制作 URL= https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-gantaisaku/

 さらに興味深いのが、癌検診に最近行っていないという人がそう答えた理由だ。「心配なときはいつでも医療機関を受診できるから」が高齢ほど増え、しかも「健康状態に自信があり、必要性を感じないから」が増えるのだ[図8]。

図8 年代別の「がん検診を受信していない理由」。内閣府「がん対策に関する世論調査」の結果をもとに編集部制作 URL= https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-gantaisaku/

 この調査が厚生労働省ではなく内閣府政府広報室から報告されていることに注意してほしい。調査目的は「がん対策に関する国民の意識を把握し、今後の施策の参考とする」とある。癌で苦しむ人を助けるとか予防するためではない(それが目的ならアンケートを取る意味はない)。言ってしまえば、「政府広報」として便利に使える検診事業のウケ具合を調査しているのである。

 だから設問はやや偏っている。たとえば「がん検診には健康上の利益がないと思うから」という選択肢がない。だがそれに答えた高齢者たちは「自分が必要だと思ったときに診察してもらえれば十分だ」という態度で、痛快に誘導を跳ね返したわけだ。

 明らかに、ここで言われる「健康状態に自信」があるとは、「自分にはなんの病気もないと思う」という意味ではない。75-79歳でこれを選んだ回答者は31.3%にのぼるが、たとえ検診未受診者に絞ったとしても、なんの病名もつかない後期高齢者がそんなに多いはずがない。むしろ高齢者は「高血圧は病気ではない」「病気はあって当たり前だから不安がる必要はない」「未診断の癌で死んでもかまわない」といった感覚にシフトするのだろう。ぼくの診察では「飲んでいる薬はない」と言われて調べると降圧剤が出てきて、「ああ、血圧の薬でしょ?」などと言われることがたまにある。血圧の薬は薬のうちに入らないのである。

 そしてその「自信」こそが、老衰を受け入れるということだ。彼女らは(もちろん彼らもいるのだが)、文学史上いまだ発展途上の領域である老衰の物語を、このように自分たちの力で編み出してきたのではないだろうか。

受け入れ=ヤケクソ

 最後に、100歳を過ぎてなおベストセラー作家であり続けている佐藤愛子の最近の言葉を読んでみよう。

 

やっぱり年を取った男っていうのは、きちんと端然としていてほしいですね。

かといって、女のほうはどうでしょうね。あんまり上品な、キリッとした老女っていうのは見かけませんね。端然としている人はやりすぎという感じがあるし。

もうヤケクソですね、いまの心境を問われれば。みんなヤケクソで年を取っていくんじゃないですか。ヤケクソになったら楽だからですよ。

ヤケクソって何かって。文字通り、焼けた糞。なるようになれって意味合いの。

やっぱり、戦争で空襲なんていう体験があったわけですよね。何も悪いことをしていないのに、頭から焼夷弾が落ちてきて逃げ惑うわけでしょう。それはもう、ヤケクソ以外に対処する方法はないんですよ。そういう時代を生きてきたわけですよ、われわれは。何かあるとすぐに「頑張れ」っていう時期がありましたけど、ヤケクソは「頑張る」っていうのではないんですよね。頑張るっていうのは、言い換えると「耐える」っていうことなんです。戦争の時代はそうですよ。★16

 

 これはインタビュー原稿でもあり、論理の弛緩を指摘するのはたやすい。佐藤の孫が「認知機能の衰えから、原稿を書くという作業は難しくなっていった」と証言しているが★17、言われるまでもなく、100歳でこれだけ話せれば大したものである。そしてそのゆるさこそが「端然と」していなくてよいというメッセージに説得力を与え、高齢の読者を勇気付けるのだ。

 繰り返すが、ぼくは老衰者の味方であろうと思っている。どんなに苦痛に満ちた尊厳のない生だろうと、生きるに価しないとは思わない。だが死に至るまでにあまり長い時間を病院が囲い込むのも、いいことだとは思えない。本稿はいわゆる延命治療とか尊厳死について議論しようとはしていない。それらはもっと簡単な問題が解決されてから考えるべきことだと思う。だからたとえば「認知症で意志表示ができない人を第三者の判断で施設に入れてよいか」といった問題を先に考えるべきなのだが、それらでさえ難しすぎて、解決などない。それでいいのだ。

 

◼︎

 

 本稿は三宅香帆の問いを反転させた「なぜ妻は病院に行きたがるのか」という問いから出発して、性役割が女性を病院に導くという観察を得たのち、特に病院と関わりの深い高齢女性に目を向けた。そして高齢者が加齢とともに老衰を受け入れる傾向を見出した。

 ここで当初の問いにもう一度答えることができる。高齢の妻が、恐ろしい癌ではなくたかが関節症のために病院に行きたがるのは、それが老衰に向き合うための彼女のやりかただからだ。三宅は連載第4回★18で「麻痺と治癒」という枠組みを導入し、「苦痛をごまかすことなく根本的に解決する」という意味の比喩として「病院」という言葉を使っている。痛みをアルコールやカフェインで「麻痺」させるのではなく、ちゃんと病院で「治癒」させましょう、というわけだ。

 三宅がこの比喩によって指摘しようとした日本社会の宿痾は身近に実感できる。たしかに社会の問題をいつまでも麻痺させることはできない。それはいつか表面化するし、先延ばししただけ悪化してもいるだろう。だがそれを指摘するために病院の比喩は役立っていない。三宅の想像と現実の病院はあまりにかけ離れているからだ。

 病院はむしろ、治癒が夢にも望めない老衰による苦痛を、死ぬまで麻痺させて逃げ切ろうとする。「すべての医療は緩和ケアである」と言ってもいい。社会は逃げ切れないが、個人は逃げ切れる。この違いを見逃しているのが三宅の大きな誤りだ。病院に行きたがる妻はその違いを理解している。彼女たちは癌を治癒するためではなく、関節痛を麻痺させ、老いとうまくやっていくためにこそ病院に行くのだから。

 本稿が語り残したことは多い。高齢者が老衰を受け入れたとして、その態度を支える負担はどうするのか。病院が現実に高齢者の苦痛をどのように緩和し、別の面ではどのように悪化させているのか。ジェンダーを、また老衰を考えた多くの創作物が本稿の枠組みからどう評価できるのか。だが、そういったさまざまな課題を今後の機会に送ったことで、ひとまず本稿は終えることにする。(了)


★1 山田鐘人・アベツカサ『葬送のフリーレン』1巻、小学館、2020年、100ページ。
★2 『葬送のフリーレン』4巻、小学館、2021年、112ページ。
★3 大脇幸志郎「なぜ妻はなぜ妻は病院に行きたがるのか(1)」 、Webゲンロン。URL= https://webgenron.com/articles/article20250821_01 
★4 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』22巻、集英社、2020年、128ページ。
★5 『鬼滅の刃』23巻、集英社、2021年、136ページ。
★6 『鬼滅の刃』20巻、集英社、2020年、105ページ。
★7 三宅香帆「なぜ夫は病院に行かないのか――会社と漫画の現代史」、集英社新書プラス。URL= https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/cc/nazekyo_nazehata_2 
★8 上野千鶴子『アンチ・アンチエイジングの思想』、みすず書房、2025年、146ページ。
★9 『葬送のフリーレン』3巻、小学館、2020年、82-85ページ。
★10 いずれも日本雑誌協会の調査による、2025年4月1日~6月30日に発売された1号あたりの平均印刷部数。URL= https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index
★11 URL= https://magazine.halmek.co.jp/magazine/202510/ 
★12 URL= https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00450061&tstat=000001230225&cycle=7&tclass1=000001230226&tclass2val=0&metadata=1&data=1 
★13 URL= https://www.mhlw.go.jp/content/001464717.pdf
★14 詳細項目のうち該当数の多いもののみ取り上げ、「その他」はすべて省いた。項目名は一部略記している。 
★15 URL= https://www.fpcr.or.jp/pdf/pamphlet/cancer_statistics_2025.pdf 
★16 佐藤愛子『老いはヤケクソ』、リベラル社、2025年、41-42ページ。
★17 同書、2ページ。 
★18 「なぜ夫は病院に行かないのか第4回 アルコールからカフェインへの過渡期―『SLAMDUNK』と山一證券」。URL= https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/nazekyo_nazehata_2/32020

 

大脇幸志郎

1983年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。出版社勤務、医療情報サイト運営の経験ののち医師。著書に『「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信』、訳書にペトル・シュクラバーネク『健康禍――人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』(いずれも生活の医療社)。
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