アラブの春10年、喧噪のカイロより(2) 現代エジプトの「主役」──スエズ運河再開とミイラのパレード|真野森作

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ゲンロンα 2021年11月9日配信
第1回
第3回
 
 じりじり照りつける太陽の下、私たちエジプト内外の記者数十人は浮桟橋の上で「その人」の到着を待ち続けた。今年3月30日、スエズ運河の拠点都市イスマイリアでのことである。ここは運河のちょうど真ん中あたりに位置する。既に初夏の陽気だ。3時間あまりが過ぎて、長い車列がやって来た。黒のベンツ・マイバッハから悠然と降り立った黒サングラスとダークスーツ姿の男性こそエジプトのアブデルファタハ・シシ大統領(66)だ。黒の革靴はピカピカに磨き上げられている。記者団の前へずいっと進み出た中肉中背のその姿は、どこか日本の演歌歌手のよう。丸顔は愛想が良さそうでいて、しっかり威圧感がある。そして大統領はマイクを握った──。

 
スエズ運河の浮桟橋の上で記者会見するエジプトのシシ大統領=イスマイリアで2021年3月30日撮影

 

 時間を巻き戻して、ことの経緯を説明しよう。スエズ運河といえば欧州とアジアの海運を最短距離で結ぶ大動脈だ。世界の物流の約1割が通過する。エジプトが誇る国際水路である。このスエズ運河で3月23日早朝、日本企業「正栄汽船」が所有し、台湾企業が運航する超大型コンテナ船「エバーギブン」が座礁してしまった。砂嵐による視界不良の中での強風が原因と報じられた。エジプトでは1年を通して雨はほとんど降らず、毎日のように快晴が続く。当地なりの四季の中で地元の人に嫌われているのがどうやら春だ。「ハムシーン」と呼ばれるこの砂嵐が訪れるからである。
 中東ではしばしば思いもよらない事件、事故が発生する。本件はその一例と言えるだろう。座礁したエバーギブンはコンテナ2万個を搭載できる世界最大級の船だ。今回はその巨大さが裏目に出た。事故を受けて、現場では座礁船を動かすために大型タグボート10隻近くが投入され、また、浚渫しゅんせつ船などで船の周りの砂や泥をかき出した。しかし、船も重ければ積み荷も重い。「まるで浜に乗り上げた巨大クジラのようだ」。救出を依頼されたオランダの専門会社の経営者は作業の難しさをメディアにこう語った。

 
地中海へ向けてスエズ運河を北上する巨大コンテナ船「エバーギブン」。賠償金支払い交渉のため約3カ月留め置かれていた=イスマイリアで2021年7月7日撮影

 

 幸いにして船は動いた。事故から六日後のことだ。満潮に合わせて船を動かし、ついに運河の詰まりは無くなった。立ち往生していた400隻以上の船も順番に通過していき、数日後には渋滞は解消した。イスマイリアでの場面は、船が脱出した翌日である。正常化した運河の様子を取材できると聞き、早朝にカイロから現地へ向かった。そこへ突然、シシ大統領がやって来ることになった。エジプトのような国では大統領は「絶対」に近い存在だ。取材スケジュールは全て変更され、御大の登場を待つしかない。運河は海とつながり、内陸なのに潮の香りがする。時折、ビルのような巨大コンテナ船が大音量の汽笛を鳴らしつつ真横を航行していく。

 マイクを握ったシシ大統領は1時間にわたって桟橋で立ったまま記者会見した。印象に残ったのはこんな内容だ。「事故から六日目、船が再浮上したという知らせを受けた。我々の手によって解決されたと聞いて非常にうれしかった。スエズ運河は今後も世界貿易を担う能力を持ち続けると強調したい」。大統領の言いぶりは「我々エジプト人が自分たちの力で解決した」とアピールするものだった。

 



 エジプトでは続けて、華々しいイベントが挙行された。4月3日夜に実施されたミイラのお引っ越しである。ラムセス2世など古代エジプトの著名なファラオと女王のミイラ計22体が、カイロ中心部の考古学博物館から少し南のエジプト文明博物館へ移送された。博物館再編計画の一環で、前例のないミイラの大量移動となった。ここでも主役は「あの人」だった。

 ミイラの引っ越しといって地味な運搬作業では意味がない。世界の注目を集め、コロナで落ち込んだエジプト観光の起爆剤としたい。国威発揚の目的もあったはずだ。そのようなわけで、ミイラ一体に1台ずつ古代王朝風の装飾を施した特別輸送車が用意された。荘厳な音楽と古代風の衣装を着た人々のダンス、サーチライトを組み合わせた一大パレードとなった。

 この日、考古学博物館近くのタハリール広場の改装も披露された。数カ月にわたって中央部が布やベニヤ板の囲いで隠されていたのだ。タハリールはちょうど10年前、「アラブの春」の際にデモの中心地となった広場だ。その記憶を塗り消すようにつるりときれいに整備された。円形広場の中央には古代エジプトの石の柱オベリスクが建てられ、周りには羊の頭を持つ小型スフィンクス像が置かれた。全て本物だ。

 
中央に古代エジプトのオベリスクが設置された改修後のタハリール広場=カイロで2021年10月1日撮影

 

 さて、考古学博物館を次々と出発したミイラの特別輸送車はスピードを上げて走り去っていく。沿道のホテル屋上でカメラを構えていた私たち報道陣は撮影に必死になった。なぜ、威厳を示すようにゆっくり走らないのだろう? その答えはゴール地点で待つあの人の存在にあった(と私は理解している)。権力者は人を待たせる一方、待つことは好まないものだ。車列はナイル川沿いの道を南下し、ほどなく5キロ南東の文明博物館へと滑り込んでいく。ここからがクライマックスだ。文明博物館の中から玄関へと堂々歩いて進むシシ大統領の様子が生中継された。古代の統治者たちの遺骸を現代の統治者が出迎えたのである。(第3回につづく)
 
特別輸送車に載せられ「引っ越し」する古代エジプトのファラオたちのミイラ。壮麗なパレードが演出された=カイロで2021年4月3日撮影
 
撮影=真野森作
 

真野森作

1979年、東京都生まれ。毎日新聞外信部・副部長。一橋大学法学部卒業。2001年、毎日新聞入社。北海道報道部、東京社会部、外信部、ロシア語学留学を経て、13-17年にモスクワ特派員。大阪経済部記者などを経て、20年4月-23年3月にカイロ特派員。単著に『ルポ プーチンの戦争──「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか』(筑摩選書、18年)、『ポスト・プーチン論序説 「チェチェン化」するロシア』(東洋書店新社、21年)、『ルポ プーチンの破滅戦争──ロシアによるウクライナ侵略の記録』(ちくま新書、23年)がある。
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