アリストテレスはクイズのように書いていた?――飯間浩明×山本貴光×徳久倫康「クイズ文で伝わる! 謎解きと論理の文章教室」イベントレポート
日本語学者で国語辞典の編纂者である飯間浩明は、著書『伝わるシンプル文章術』で、文章術を学んでこなかった我々のために一つの「型」を提案している。それが本イベントのタイトルにもなっている「クイズ文」だ。
本イベントでは飯間に加え、文筆活動の傍ら大学で文章指導にも携わっている山本貴光と、強豪クイズプレイヤーであり、自身で問題の作成も行っている徳久倫康(ゲンロン)の3人が、人に伝わる文章を書く方法について語り合った。以下、イベントの一部を抜粋してお伝えする。(ゲンロン編集部)
クイズ文とは?
クイズ文と聞いたとき、どのような文章形態を思い浮かべるだろうか? おそらく大半の人は、
Q.中華人民共和国の首都はどこでしょう?(A.北京)
というような、問いに対して答えが一意に定まる文章を想像するに違いない。しかし飯間が提唱しているのはこのような文ではない。
彼が言うクイズ文とは、①問題、②結論と並べた後に、③理由を持ってくる文章のことである。たとえば『頭の体操』に載っているような発想の飛躍があるクイズには、かならずまず問題文(①)があり、答え(②)が続き、その理由(③)が説明される。このような文章構造を取ることで、説得力を持って、論理的に物事を伝えることができるのだという。飯間はこれを、「数学における証明問題の国語版」と表現している。
それと対照的なものとして、自分の感想を書き連ねる「日記文」がある。小説の文章、エッセイ、随筆などはこれに当たる。ここで、義務教育で用いられる国語の教科書に目を向けてみると、小説やエッセイが日記文的であるのはもちろん、いわゆる論説文も、実際は筆者の見解がエッセイ的に盛り込まれ、日記文的な構造になっているものが多いと飯間は指摘する。
もちろん、日記文が劣っていて、クイズ文が優れているというわけではない。両者は違った役割を持ち、どちらもそれぞれ学ぶ必要がある。私たちは、数学では証明問題を学習しているが、国語では論理的に物事を伝える訓練を受けていない。それどころか日記文を論理的な文章型と思い込んで学んでいた可能性すらある。それでは論理的な文章能力が育たないはずである。
実際にクイズ文を書いていくためには、まず問題の設定が必要となる。あらゆる問題は4種類の型に収束すると飯間はいう。すなわち、①肯定か否定かを尋ねる「Yes or No型」、②課題を解決するための手法を問う「How型」、③何を?誰が?どこで?など、不特定多数の選択肢から一つのものを選択する「Wh-型」、④行為の理由を求める「Why型」、以上の4つである。
こう言い切られると「本当にこの4つしかないのか?」と疑ってみたくなるが、英語に置き換えてみるとわかりやすい(日本語では文末の「~か?」で疑問文を作っており、疑問の種別が意識されにくいのだ)。飯間は、彼が毎日小学生新聞に連載している「日本語どんぶらこ」を例にとり、問題→結論→理由の構造が文章の中にどのように現れているかを解説していった。豊富な実例を元にしたレクチャーの模様は、アーカイブ動画で確認してほしい。
文章からクイズを見る
後半の冒頭では、徳久が「「問題文」で見るクイズ史」と題したスライドを用いて、「クイズの文章の歴史」について解説した。
日本で最初のクイズ番組である『話の泉』(1946-1964)は、視聴者からクイズを募集し、出演している著名人がそれに答えるという形式の番組だった。この番組で出題されたクイズをみてみると、少し知識があればわかりそうなものから、誰が知っているんだというマニアックなものまで、難易度はバラバラで、また、視聴者投稿型ということもあって文章の形式に統一感がない。
早押しクイズ番組が登場すると、形式が統一化されてくる。『アップダウンクイズ』(1963-1985)では、すでに、「第1回の近代オリンピックが開かれた都市はどこでしょう?」というように、今出題しても違和感がない形式が出来上がっている。
その後時代が進み、『アメリカ横断ウルトラクイズ』のヒットのあと、90年代中盤以降は視聴者が参加できるクイズ番組が減っていく。そして、それまでテレビ番組での活躍を目標にしてきたクイズの愛好家たちが、独自にクイズ文化を形成することになった。この変化によって、クイズの内容においても、いままでは「お茶の間で楽しめる」範囲の問題がメインだったのに対し、その制約が外れて難化や長文化が顕著になったという。こうなると、競技者たち自身は楽しいものの、新規で参入するのは難しくなってくる。
徳久が例示した問題をひとつ紹介しよう。
Q:ホームスタジアムは創設に携わったカジノチェーンの創業者にちなみ「スタッド・ジェフロワ・ギシャール」と名付けられており、熱のこもった雰囲気から「大きな釜」という意味の「ル・ショードロン」と呼ばれ親しまれている、 同じくローヌ・アルプ地域圏に本拠地を置くオリンピック・リヨンとのライバル関係でも知られるフランスのサッカークラブで、1960年代から70年代にかけて全盛期を迎え、プロサッカーリーグ・リーグアンで最多となる通算10回の優勝記録を持つのは何?
A:ASサンテティエンヌ
クイズ参加者のレベルが上がるにつれて、「差をつける」ために問題文の情報量が急速に増えていったことがわかる。だが、これではマニアックな情報が多すぎ、問題の核心を掴むのが難しい。
徳久は現実のクイズの問題文は、飯間のいう「クイズ文」とは逆に、結論を先延ばしする性質があると指摘した。クイズブームと言われる昨今はよりコンパクトな問題文が好まれる傾向があるが、こういった愛好家向けの長文もまだ一部で親しまれているという。一見単純に見える一問一答のクイズにも、複雑な歴史がある。
クイズ文と修辞学
イベントの後半では、山本が修辞学や文章術の古典をひもときながら、クイズ文の起源を探っていった。山本はアリストテレスの『弁論術』の中にある、「人にモノを伝えるためには、大事なことを最初に短く言うべきだ」という主張を引き合いに出し、飯間のクイズ文との類似性を指摘した。あわせて、森羅万象に対する疑問と答えからなるものとしてアリストテレスの著作とされる偽作の『問題集』も紹介した。古代から、クイズ文は西洋の修辞学の中に取り込まれていたのだ。
では日本ではどうか。山本によれば、日本で古来多く書かれてきた文章論は「いかに良い歌を詠むか」という歌論書だった。他方、読者を説得するための文章論を記したものはほとんどなく、そういったものが出てくるのは西洋の修辞学が輸入されるようになった明治以降のことだという。しかも、本来の目的からはずれて、マニュアルのように形式を教える「手紙のお手本集」のような本が多く出版された。修辞学の移植に失敗してしまったのだ。日本の学校教育で「伝わる文章の書き方」を教わらなくなってしまったのは、このような歴史ゆえかもしれない。
だからこそ私たちは、自らの力で、文章の論理性と説得性の向上に努めなくてはならない。そのヒントとなるのがクイズ文なのである。
イベントの最後に、飯間はこう付け加えた。大学で文章の書き方を教えてきた彼自身、未だに文章がうまく伝わらず、思い悩むことが多いというのだ。文章を書くことはそれだけ難しい。筆者自身も「自分の文章は思ったよりも伝わっていない」と再度気を引き締め、真摯に文章に向かい合いたいと思う。
ちなみにこのイベントレポートは、読者にうまく伝わっているだろうか? もしうまく伝えることができていたならば、筆者にとってとても嬉しいことだ。もしいまいち伝わっていなければ、ぜひイベントアーカイブ動画を見直して(このレポートを理解してくれた読者ももちろん!)、どうすればうまく伝えることができたのか、そのやりかたを自分で考えてみてほしい。(杉林大毅)
シラスでは、2021年10月5日までアーカイブを公開中。ニコニコ生放送では、再放送の機会をお待ちください。