ドン.キホーテ論──あるいはドンペンという「不必要なペンギン」についての一考察(上)|谷頭和希
ゲンロンα 2020年7月17日配信
それらのものは美しいだろうか? この点については問うまい。ただ、我々の時代精神の産物であり、だから間違っていない、とだけ言っておこう――アドルフ・ロース
ドンペンからの問い
「ドンペン」
この名前を聞いたことがあるだろうか。それはディスカウントストア「ドン.キホーテ」(以後、ドンキ)のイメージキャラクターだ。ペンギンがモチーフになっている。
企業のイメージキャラクターといえば普通、チラシやCMに登場して広報活動をする。しかしドンペンが特徴的なのは、広報活動に加え、ドンキ店舗の装飾として店外に置かれていることだろう。
派手な看板の上にドンペンがいる。短い手を広げ、大きくつぶらな瞳で店外を見つめるペンギン。これがドンペンだ。いつもは通り過ぎてしまうこの装飾を立ち止まって見ると、趣味が悪いとさえ思えるその過剰さに驚いてしまう。
どうしてドンキはこんな装飾をするのだろう。
理由の1つとして考えられるのは「目立ちたい」ということだ。実際、ドンキの創業者である安田隆夫はその自伝で、ドンキの前身である「泥棒市場」の店名は「とにかく目立ちた」いためにこう命名したと語る[★1]。ドンキの創業年は1989年。すでに周りには多くの小売店があり、その中で普通の店構えをしていれば都市に埋没してしまう。目立てば人びとの目に止まる可能性は高まる。ドンペンのオブジェも、目立ちたいというその欲望が置かせたものだろう。
しかし小売店にとって重要なのは、目立つことそのものではなく、売り上げを効果的に増加させることだ。そう考えると、ドンペンの装飾はあまりにも過剰で、その目的に対して直接的に結びついていないように思える。ラテン語の「肥満」という言葉が語源のペンギンらしく[★2]、ドンペンはドンキにとって余分な贅肉とさえ思える。それでも不必要なドンペンは大きく飾られる。それはなぜか。
ドンペンがつぶらな瞳で、そんな単純な疑問を私たちに問うている。
装飾の問題としてドンペンを考える
この文章での問いをさらに明確にしておきたい。
ドンキは創業年の1989年から2020年6月まで、30期連続増収という異例の記録を打ち立てた。コロナウイルスの感染拡大によるインバウンド需要の減少などから2020年6月にこの記録は止まったものの、近年大幅に業績が落ち込み、経営の立て直しを図るイオングループやその他の小売店に比べると、その安定的な業績傾向は際立つだろう[★3]。2018年には「ピアゴ」や「アピタ」を展開する「ユニー」を買収、2022年にはユニーが運営する190店舗のうち、100店舗をドンキに変更する計画が進行している。空港店舗の「ソラドンキ」やパーキングエリア店舗の「ミチドンキ」など多様な店舗の出店も相次ぎ、売り上げはきわめて好調だ。
先に私たちは「売り上げ増加という目的にドンペンは結びついていない」と仮説を述べた。しかしドンキの売上データを見ていくと「不合理な装飾がある=儲けに不都合」という単純な等式は成立しない。ドンキを企業経営や経済的な観点から語る文章は多い。後述するように、ドンキ特有の「圧縮陳列」や「権限移譲」という戦略が売り上げ増加に貢献していることはしばしば語られる。しかし、それらの語りから「ドンペン」は抜け落ちてしまう。
ドンキを建築や都市論の観点から述べた文章はあまりないし、ましてドンペンからドンキについて考えた文章などない。実際、ドンペンがどのような経緯で生み出されたかに関しては、公式ホームページにもほとんど言及がないのだ[★4]。いわばドンペンは、店側が意図したことを超え出た「なにか」なのだ。
しかしドンペンは、いる。確かに、ドンキの装飾として。
だから私たちはこのドンペンについて、装飾の視点から考える必要があるのだ。
レヴィ゠ストロースが語るドンペン(1)
ドンペンを、建築における装飾として考えること。それが本稿のひとまずの目的である。
ここで、唐突であることを承知の上で、文化人類学者であるレヴィ゠ストロースの議論を参照してみたい。彼は文化人類学者だが、装飾について興味深い論文を書いている。最晩年の「砂時計型形象」という論文だ[★5]。
この短い論文は、文化人類学者としての研究成果を背景として、環太平洋地域全般に見られる建築装飾の型である「砂時計型形象」を巡って繰り広げられる。レヴィ゠ストロースによると、太平洋地域には、2本の線が交差してX型になり、その上部が突き出した装飾が取り入れられていることが多い。例えば、神社の千木の形状はそれにあたる。
地域によって材料や形が微妙に異なるが、上部が突き出た砂時計型の構造自体は環太平洋地域全般で見られるという。
そして改めてドンキの外観を見てみると……
なんということだろうか。このオブジェはまさに砂時計型形象ではないか。ドンペンがその短い手を広げて店の入り口に鎮座するとき、私たちはレヴィストロースが語る砂時計型形象に想いを馳せねばならない[★6]。
これはただの偶然なのだろうか[★7]。あるいは、深い部分で民俗学的な側面とドンキは通底するのか。
世界各地でこの装飾が見られる理由についてレヴィ゠ストロースは明示的に述べていない。しかし、私たちがドンキを考える上で重要なのは、この形象をめぐる中沢新一の大胆な推測だ。彼は砂時計型形象が出産を象徴しているのだと解釈する。この装飾が持っている2本の線が交差するさまは「内と外のねじれ」を表している。そしてそれは、母親の胎盤の内側から外側へと出る出産としてイメージされたのではないか。出産とは人類に普遍的な行為であり、だからこそ、この砂時計型形象は環太平洋地域の多くの建造物で見られるのではないか。
出産は生と死の世界を繋ぐ行為だ。死者の世界にいた存在を生者の世界におびき寄せ、異なる2つの世界の間に交通をもたらす行為だともいえよう。つまり、砂時計型形象が象徴する「ねじれ」とはメビウスの輪のようで、生の平面をたどっていくと気が付かないうちに死の平面にたどり着き、内側と外側が混然一体となる契機を表す。
そんな象徴性を持つオブジェの形がドンキにはある。
一体これはどういうことか?ドンペンがドンキにおいて担っている役割とはなんだろうか。
レヴィ゠ストロースが語るドンペン(2)
更にもう一つ、ドンペンの細かい形象についてレヴィ゠ストロースとの関連から言及しよう。 ドンペンがかぶるサンタ帽についてだ。
ほとんどのドンペンはなぜかサンタ帽をかぶっている。先ほど紹介したホームページによれば「[ドンペンが]アルバイトでサンタクロースをやったことがあるらしい。赤い「ナイトキャップ」は、そのときの名残りだとか…」[★8]と書かれている。不合理なドンペンらしい意味の分からなさだが、驚くべきことにレヴィ゠ストロースはサンタクロースについても論文で述べている。
彼が『悲しき熱帯』で本格的に人類学者としてデビューする前、哲学者サルトルの依頼で書かれた短い論考に「火あぶりにされたサンタクロース」という文章がある。彼の初期にあたる論文だが、その論旨は最晩年の論文である「砂時計型形象」と非常に似ている。
同論文は、カトリック教会によるサンタクロースへの異端宣言と、それによるサンタクロース人形への火刑という出来事を分析した文章だ。レヴィ゠ストロースはこの出来事を通して、「サンタクロースとはなにか」ということを人類学的な視野から考察している。その答えは単純だ。サンタクロースとは、現代にあらわれた古代的思考の名残りなのだという。
クリスマスの原型であるヨーロッパの冬祭りでは、死者の世界が一時的に生者の世界に解放されることで日常世界の疑似的な攪乱が行われていた。そのためには祭りの中で共同体のだれかが死者を象徴しなければならない。論文を見てみよう。
生者の世界の中にいて、しかも死者を体現できる者、とは一体どのような人々なのだろう。それは、なんらかの意味で社会集団に不完全にしか所属していない人々、すなわち、生者と死者の「徴」を同時におびている者、それによって世界の「二元性」を一身に身におびることになっている、「他者性」の体現者のほかにはいない。だから、外国人や奴隷や子供などがこの祭りの重要なる執行人となってきた理由がよくわかる[★9]
死者の世界を象徴できるのは「他者性」を帯びた「外国人、奴隷、子供」たちをおいて他はない。彼らは成人社会へ参入をしていないか、あるいは一部しか参入を許されていない人びとだ。彼らが死者に扮し、生者の世界に「贈り物」を行うことで祭りは成立していた。それが、クリスマスで贈り物を渡すというサンタクロースの風習に姿を変えて引き継がれたのだ。
クリスマスの原型である冬祭りは、生者と死者という2つの隔絶した世界の間に活力を取り戻すもので、贈り物はその2つの世界の交通を媒介する。サンタクロースとはその交流の象徴なのである。
ドンペンに話を戻そう。
ドンペンはなぜサンタ帽をかぶるのか。サンタクロースとは死者の世界と生者の世界の間の交通を良好にして、他者と他者をつなげる象徴であった。そしてこれは、砂時計型形象が外側と内側という2つの世界を攪乱させ、混然一体とさせようとしたことと同じではないか。つまりドンペンとは、そのサンタ帽と短い手を広げた姿によって「内と外」や「生と死」というような異なる世界を攪乱させる力をそこに秘めているのではないか……?
2つの異なる世界に通り道を作り、そこに活力を取り戻す象徴としてのドンペン。レヴィ゠ストロースが語るドンペンは(語っていないが)、その愛らしい姿の裏に恐るべき力を秘めた存在なのではないか。
しかし、ドンペンは、ドンキという場所において本当にそのような意味を持って働いているだろうか。これまでの議論に基づいて、私たちはドンキの現実の姿を見つめねばならない。
外装からドンキを考える
それでは、ドンペンが置かれている実際の環境に注目してみよう。ドンペンはどのように飾られているのだろうか。
こうしてドンキの外装を見ると、私たちはそこにあるパターンを見出せる。それは、ドンペンが無機質なビルやマンションに取り付けられているだけだということだ。これはドンキが採用している出店戦略の影響が大きい。ドンキはその出店コストを抑えるために居抜き物件を店舗化する場合が多い。先ほど、ドンキが「ユニー」を買収したことを述べたが、ユニーが展開する「アピタ」「ピアゴ」もこうした居抜き店舗として「ドン.キホーテUNY」という名前で営業されている。そうした出店戦略の中、元あった建物やビルに、後からドンペンや、「ドン・キホーテ」と書かれた看板が貼り付けられているのだ。
「無機質な建築と取り付けられた装飾」としてのドンペン。
これを考えるのに良い先行研究がある。ロバート・ヴェンチューリの『ラスベガス』だ[★10]。
同書で彼は、ラスベガスのロードサイドに発展する様々な建築をフィールドワークし、その土地に成立する奇妙な建築群の謎を解いていく。そこで彼が近代建築に変わる新しい建築のタイプとして提出したのが「装飾された小屋」という概念である。それは、無機質な建築物に装飾が後から付加されている建築のことを示している。
ここで重要なのは、ヴェンチューリがこの建築タイプを取り立てて語る理由だ。それを知るには、彼の近代主義建築に対する批判を参照する必要がある。曰く、近代建築はもともと工業技術の進歩に合わせて建築を発展させる試みだったが、いつしかそれは工業技術の発展と歩調を合わせず、それ自体が一つの「型」として、建築物だけで自立するようになった。そうして作られた建築は外部の環境から隔絶された状態で存在し、その外部と内部を隔絶する。ヴェンチューリはこの状況に難色をしめすのだ。
そして「装飾された小屋」こそ、そうした内部/外部という問題から建築を救い出すのだとヴェンチューリは信じていた。例えばラスベガスにおいて、付加される装飾の代表例は大きなネオンの看板だ。これは自動車中心の社会において必要とされる、車からも見ることができる「スピードの速さ」に適応した装飾である。車社会であるラスベガスという土地の特徴が、その装飾に反映された状態。それこそヴェンチューリが『ラスベガス』で主張した近代建築以後の建築のあり方なのである。建築は周りの環境を取り込んで建てられるべきだ。それがヴェンチューリの主張である。
では、ドンキはどうだろう。
ここでは、ドンキの建築は「装飾された小屋」であると主張したい。ヴェンチューリが「ラスベガス」を語るように「ドン.キホーテ」を語れるのではないか、と。
事実、ドンキを見てみるとそこはドンペン(とその看板)を取り除けばどこにでもある雑居ビル(秋葉原店)や、マンション(水道橋店)に他ならない。
ヴェンチューリの議論では、ラスベガスの建築において建築物が隔てる内/外という2つの異なる世界は融和されていると述べられていた。そしてそれは同時に、私たちが先ほど見た砂時計型形象が象徴する内と外という世界の混濁だともいえるのではないか? つまり砂時計型形象であるドンペンが鎮座し、「装飾された小屋」でもあるドンキは、外部と内部を架橋する建築なのではないか?
土地性を反映するドンキの外装
ドンキが「装飾された小屋」のように周囲の環境を反映するという議論に疑問を持つ人もいるはずだ。ドンキの外観が持つ黄色と黒の派手な外装、そしてなにより私たちが語っているドンペンの装飾は、周辺の環境に馴染んでいるとはいいがたい。それに、ドンキは「チェーン店」であり、基本的にその外装は同じように作られているはずである。
しかし、それは本当だろうか?
例えば、このようなドンキを見て欲しい。
これは白金高輪にある「プラチナドンキ 白金高輪店」だ。通常のドンキに比べて明らかに外装が変化している。このドンキは高級住宅街の真ん中に位置しているためか、通常のドンキで見られるけばけばしい装飾はほとんどない。銀と白を基調とする(白金?)外観に統一され、ドンペンもまた銀に塗りつぶされている。
他にも、こんなドンキがある。
これはドンキ浅草店だ。演芸の中心地である浅草六区の真ん中に位置しているためか、その外装もかつての劇場を思わせるようなレトロ調のレンガ作り風に。「ドン.キホーテ」という看板もローマ字で表され、まるでかつての映画館を見ているようだ。そういえば、このドンキはかつて浅草で人気を誇った映画館、大勝館の跡地に建っていたことをふと思い出す[★11]。
もし、これらの一等地にいつもの黄色と黒のドンキが出店したら、住民からの反対運動が起こることは容易に想像できただろう。これら2店について反対運動があったことは記録されていないが、安田の著作には、ドンキの出店に関していくつかの店舗で強力な反対運動が起こったことがあると述懐されている[★12]。
したがってこれらの2店はむしろ、そのような反対意見を念頭に置きつつ、しかしドンキらしい外装にもこだわるという意向が作り上げたものだと見るべきだろう。つまりドンキは、折衷案としてこのような店舗外装を施すことで、なるべく白金高輪や浅草六区という地区に馴染むような店舗をそこに出現させたのだ。これらの店舗はドンキが作り上げたのと同時に、近隣住民やその街区が持つ特徴・歴史が作り上げた店舗でもある。
こうした光景は、ドンキの外観が周囲の環境や土地性を反映することの一つの表れだとはいえないか。それはまさにヴェンチューリがラスベガスで見た光景である。ヴェンチューリもまた、ドンキを語りたかったのではないか。
ドンキの内部へ
ドンキの外装はヴェンチューリが『ラスベガス』で語るような地域固有の外観を持ちうる。つまりドンキは、内/外という問題を外装の面において撹乱させているのだ。我々が提出した「砂時計型形象=ドンペン」という説は空想の域を超えて少しずつ現実的になってきている。
しかし、ここで改めて考えるべきなのは、『ラスベガス』では建築の外観ばかりが語られ、その内部についてはほとんど語られていないことだ。ラスベガスにおける「装飾された小屋」は、たしかにその外装においては地域固有の姿を持っている。しかしその内部については深く問われていない。この点において、砂時計型形象的な内/外の融和を完全な意味で遂行するには、ラスベガスの建造物たちは不完全だともいえる。
だからここで私たちは、ドンキの外装からドンキ内部へと進んでいかなければならない。ドンペンの存在を考えるためには、ドンキという建築がいかなる意味で内/外という2つの世界を架橋しているのかを考える必要があるからだ。そしてその内部へと進んだとき、ドンキはラスベガスの建造物とは一線を画することになる。なんとドンキと周囲の環境との一致は、その外装だけではなく内部にまで及んでいたのだ。
中篇はこちら
★1 安田隆夫『安売り王一代』、文芸春秋社、2015年を参照。以後、本論考内の安田の記述は、本書と安田隆夫・月泉博『ドン.キホーテ闘魂経営』(徳間書店、2005年)を参照した。
★2 ペンギンの記述に関しては、上田一生『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』(岩波書店、2006年)を参考にした。
★3 「ドンキに異常事態、売上減止まらず…急成長遂げた社長が突然退任、創業者・安田氏と確執」
★4 ドンペンについては、公式ホームページの中に特設サイトがあり、地域ごとのドンペンについてまとめられているが、その由来についてはドンキ二俣川店のホームページに書かれているものが一番詳しい
★5 Claude Lévi-Strauss 2001 "Hourglass Configuration(transted by Robbyn Seller)," in P.Maranda(ed.) The Double Twist:From Ethnography to Morphodynamics,University of Toronto Press.を参照。また、「砂時計型形象」はまだ日本語に訳出されていないが、本稿では日本語の参考文献として出口顯『レヴィ゠ストロース まなざしの構造主義』(川出書房新社、2012年)第1章を参考にした。
★6 ドン.キホーテ公式ホームページ「ドンペン図鑑」を見ると、ごとうちドンペンのほとんどが同じ形象をしていることがわかる。
★7 砂時計型形象は環太平洋地域で見られるが、ドンキがその会社名を2019年2月に「パンパシフィックインターナショナルホールディングス(PPIH)」に変更したのも、なにかの偶然だろうか(ちなみに、本文章の元になった論考が最初に書かれたのは2018年4月のことであり、社名変更よりも1年ほど前である。図らずも、社名変更の予知をしていたかのようで驚きを禁じ得ない)
★8 ドン.キホーテ二俣川店ホームページ「ドンペンプロフィール」
★9 クロード・レヴィ゠ストロース『火あぶりにされたサンタクロース』、中沢新一訳、KADOKAWA、2017年、54-55ページ。
★10 ロバート・ヴェンチューリほか『ラスベガス』、石井和紘、伊藤公文訳、鹿島出版会、1978年。
★11 ドンキ浅草店の前身である「大勝館」は以下のサイトより見ることができる(URL= https://www.nfaj.go.jp/onlineservice/digital-gallery/dg20130628_003/)。こう見ると、ドンキ浅草店のファサードと大勝館のファサードは驚くほど類似しているが、それもなにかの符号だろうか?
★12 安田『安売り王一代』(文春新書、2015年)、108-114ページを参照。この部分では触れられていないが、具体的な店舗名としてMEGAドン.キホーテ港山下総本店、ドンキ東八三鷹店などが挙げられる。
谷頭和希
1997年生まれ。早稲田大学教育学術院国語教育専攻に在籍。国語教育学を勉強しつつ、チェーン店やテーマパーク、街の噂について書いてます。デイリーポータルZにて連載中。批評観光誌『LOCUST』編集部所属。ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾3期に参加し、『ドン.キホーテ論』にて宇川直宏賞を受賞。