父親が語る「子育て」──『おおかみこどもの雨と雪』から考える「アニメ」「子育て」「孤独」|細田守+東浩紀

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初出:2013年05月31日刊行『ゲンロンエトセトラ #8』

東浩紀 ゲンロンカフェにようこそ。今日はアニメ監督の細田守さんにお越しいただきました。細田さんとは先月、『おおかみこども』の広告記事のために対談を収録する機会★1がありました。そこでは作品だけではなく、子育ての話も盛り上がったんです。そこで意気投合したこともあり、今度は作品よりも子育てに焦点を当てて、同じ父親の立場の人間としてじっくりとお話ししようということで今回のイベントが実現しました。というわけで、普通のアニメイベントとは異なる話がでてくるかと思います。客席にはカップルの方も何組かいらっしゃって、心なしか普段のカフェとは雰囲気も違いますね。今日はよろしくお願いします。

細田守 よろしくお願いします。

子育ては偶然に左右される


 さっそく本題というか、子どもの話に入ろうと思います。最近実感しているのは、とにかくどんどん時間が過ぎていくということです。うちの娘がまだ小さいときに、小学生の子どもを持つひとから「小学校に入ったら成長が早いよ」と言われたんだけれど、そのときは言葉の意味がわからなかった。で、いま娘は7歳なんだけど、たしかにすごく早くなっている。

細田 うちの子にしても、4ヶ月から5ヶ月になるまでの1ヶ月だけでも「前に比べてすごく早かったな」と思ってますからね。いま、ちょうど離乳食を食べ始めたところなんですけど、子どもって予告なしに変わっていくんですよ。たとえば3ヶ月までは「泣くか寝るか」しかなかったのが、そこから急になんの「ウニャー」とか「ウワー」とかいう言葉を出しはじめて。その変化も気づかない間に起こる。離乳食も予定通りのタイミングで始めたんだけど、離乳食が始まる前からウンコがもう臭くなってきて。体のなかでそういう準備が始まるんですよね。そうやって次々に変化していくので、その変化に気持ちが追いついていくだろうか、ということはすでに思っています。

 保育園や幼稚園の子がすごく大きく見えるでしょう?

細田 そうそう。「すごく立派だな!」って思う。

 ぼくも子どもが1歳のときに3歳くらいの子を見て、「なんて立派なんだ! こんなでかい奴がこの世界にいるのか!?」くらいに感じた(笑)。「もう小学生になったら大人と同じだろ! 犯罪を犯したら罰するべきじゃないか?」と思ったくらいです(笑)。

細田 それに、明らかに年下のはずの親御さんでも、大きな子を育てていると年上に見えてきますね。すごい先達なわけじゃないですか。だから尊敬の眼差しで見てしまうんですよね。

 子どもを保育園に入れると、保母さんの若さに衝撃を受けます。「えっ、20歳!?」みたいな。ぼくは大学で教えていたので、同じ年代の女の子がいかに頼りないかよく知っている。だから「20歳の女の子が子どもの面倒を見るなんて大丈夫か?」と思うんだけど、これがけっこう大丈夫なんですよね。みんな一回、保育園の先生になったほうがいい(笑)。みんな若いのにすごくしっかりしている。

細田 うちはまだ幼稚園や保育所に入れるかどうか、微妙なところですね。住んでいる市が、待機児童があまりにも多くて、申し込んでもいつ順番が回ってくるのかわからない。東さんのところはすっと入れたんですか?

 ぼくの娘は2歳児保育から入りました。2歳児保育でも倍率は高かったんですが、うちは幸運なことに近くの保育園に急遽欠員が出たんですね。しかも、その保育園は改修前の木造園舎で、最寄り駅やバス停から遠く、当時はあまり人気がなかった。だからすんなりと入れたんです。ところが、これが結果的にはとてもよい保育園だったんですね。大きな公園に隣接していて、たしかに駅からは遠いんだけれど環境はすごくいい。データ上は園庭の面積も狭いのだけれど、公園のグラウンドが使えるので広々としていました。

細田 なるほど。データだけで見ると環境がよくないけれど……というわけですね。

 そうです。実は子育てをしているとそういうことがたくさんある。ネットでデータを見較べて、それだけで最適なところを選ぶのは難しい。たとえば、保育園の園長先生がどういうひとなのかはとても重要な情報ですが、数値化できないからネットでは調べられない。なにもかもが個別の判断で、かなり偶然に左右される。保育園の選択に限らず、子どもができてからそういう偶然の出会いに左右されることが多くなったと感じますね。

細田 そもそも子ども自身が一人ひとり違うし、親の子育てに対する態度や経済的な状況もみんな違う。そこで保育園や幼稚園が一律に同じようなサービスを提供してたら、かえって個別のニーズに応えられないですよね。だからこそ、認可保育園にもいろんなところがあるというのは合理的なんでしょうね。ニーズに合うかどうかは、実際に行ってみなければわからないわけですけれど。

子どもはアナログな世界に生きている


 ぼくたちはネット世代と言われます。細田さんも初期作品から、インターネット的な集合知を重要なモチーフとして取り上げていました。そういうことを知っているいままでの細田ファンから見ると、『おおかみこども』は「ネットがまったく登場しない」点で驚くかもしれませんね。
細田 真逆のことをやってますからね。

 ぼくもネット支持派の人間ではあるのですが、子育ての過程で、数値化されにくく、ネットでは集められない情報がたくさんあることにあらためて気づかされました。いまの保育園の情報はその一例です。

 あと、子どもを保育園に通わせて衝撃を受けたのは、子どもたちがいまでもみんな手で工作をしていることです。当たり前のことなんですが、彼らは携帯やタブレット端末を使うわけではない。でも、ぼくたちは意外とそのことを忘れている。卒園時に園児一人ひとりにわたされるメッセージにも、プリントアウトされた写真が貼り付けられていて、そこに先生から「この遠足ではこうだったね」などと手書きで書かれているんですね。これには素朴に感動しました。保護者にメールが送られてきて、「卒園ファイルは次のリンクからダウンロードしてください」などと言っても、子どもは絶対に見てくれない(笑)。モノとして渡されるからこそ、初めて彼らに届く。

細田 そうです、そうです。

 だから、そういう意味でもデジタル化できない。デジタル化すると効果が失われる部分はかなりあると思います。

細田 それは、ぼくもいますごく興味を持っていることです。うちの映画のプロデューサーのひとりに、7歳の子どもがいます。子どもは携帯を持っていないので、お父さんやお母さんとは直接話をするし、手紙を書くこともある。園や学校には徒歩で通う。ここにはぼくらが携帯やパソコンで済ませていることを、この現代においても置き換えないで暮らしているひとがいて、それが子どもなんですよね。小さい子どもたちが、そういう、かつてぼくらが手放したようなアナログの世界で暮らしているというのはすごくおもしろい。『おおかみこども』で花が携帯持っていないことに対して、「いまどきそんな女いないよ」と批判を受けたのですが、そういうひとはいくらでもいるし、別にそれでもかまわない。とくに子どもはそうで、そのなかからなにが見えてくるのかは重要なことだと思います。

子どもを持つということは、弱者とともに暮らすこと


 おっしゃる通りです。これはしばしば言っていることなんですが、子どもを持つということは、高齢者や障害者のような「弱者」といっしょに暮らすのと似た経験です。たとえばベビーカーと車椅子は稼働範囲が似ている。したがって必然的に、子どもをもつ親はバリアフリーにも敏感にならざるをえない。これは一例ですが、ぼくが「子どもを持って良かったな」と思うのは、抽象化していうと「家庭のなかに弱者が入ってくる経験ができた」からなんです。親が要介護になったり、配偶者や子どもが事故で障害者になったりするひとはたくさんいますが、子どもを持つひとはそれよりも多い。子育ては「社会的弱者と暮らす」ことのとても一般化された形態で、これはできるだけ多くのひとが体験すべきだと思う。もちろん子どもの場合、その時間は一瞬です。うちの娘みたいに7歳になってしまえば、ベビーカーは使わないし、歩く速度もあまり変わらない。でも最初の数年は社会の見方が変わる。

細田 ぼくらがそれまで見ていた世界と、ベビーカーを連れて見る世界は、全然違いますからね。高架がある駅には2階に昇るエレベーターがありますけど、普通に過ごしていたらほとんど使いませんよね。だけどベビーカーがあると、「エレベーターがないと困る」ということになる。エスカレーターでは絶対に登っちゃいけないし、階段を使うときはもう大変で、ベビーカーを閉じて小さくして、それをたすきがけして持って歩いて行かないといけない。階段を1階から2階まで登るだけでも、とても長いプロセスがある。

 それまでまったく気づかなかったのに、あ、ここには3段段差があるなとか。

細田 そうそう!

 3段の段差なんて、普段歩いているときは全然気にならない。でもベビーカーを押しているとその3段が本当に牙を向いてくる。ベビーカーだけだったらまだいいんですけど、買い物をしているとベビーカーにいろいろ荷物がくっついてるんですよね。

細田 ベビーカーを閉じるために荷物を全部降ろさなきゃいけない。

 ふたりいればなんとかなるんだけど、ひとりの場合は、荷物を下ろして、抱きかかえて、荷物を運んで、もう一回乗せて、シートベルトを締めて、また荷物を……もういやだ! みたいな(笑)。

細田 (爆笑)。

 冗談ではなく、そうなるんですよね。そしてここで大事なのは、これって実は、子育てだけの問題ではなく、社会で様々な障害を抱えている方が日々経験していることだということ。それが見えるのと見えないのとでは社会の見えかたが全然違うので、そういう意味でも子育てはいい経験なのではないか。

細田 「大変なプロセスを経ないと階段ひとつ登れないんだな」と思う一方で、道を歩いているひとが手助けしてくれる場面にもたくさん出くわしますよね。それまでは、自分ひとりでなんでもできるから、自分を手助けしてくれるひとなんていないわけですよ。そうすると、「ベビーカーを持ち上げるのに手を貸してくれる」とか、「ドアを開けてくれる」とか、そういうことを瞬間的にできるひとたちの存在がすごくありがたく思えてくる。

世界は子どもを産むひとのために


 いまの世の中、子育ての難しさをアピールする情報だらけです。「待機児童が多い」とか「子どもを産んで育てるのに3000万円かかる」とか。確かにそうだと思うんですよ。正直、いま20代、30代のひとで、子どもを作って経済的な利得があるかといえば、それはないんだと思う。けれど、これはなかなか難しい話で、というのも、そういう経済的な合理性を突き詰めていくと、結局は「この世の中に高齢者はいないほうがいい」「障害者はいないほうがいい」みたいな話に近づいていく。それでいいのかと。

 逆に、ぼくが子どもを作って思ったのは、むしろ「この世界は子どもを産むひとのために作られている」ということだったんですよね。昔はそう思ってなかったんです。社会は大人のためにあると思っていた。そう思っていたからこそ、「もっと深夜営業の店増やせ」みたいに思っていた。でも子どもを作ってからは、そうじゃないんだと気がついた。そして冷静に考え直してみたら、そりゃそうに決まっているなと。次世代を育てないと人類は滅びる。だから社会は基本的に子どもを育てるためにこそある。子どもを作るか否かを経済的合理性で判断するような話は、その基礎の基礎が見えなくなってこそ現れてくる論理なんですね。

 これはけっこう具体的な話で、そうすると、急になんのために町中に公園があるのかわかるようになった。ぼく、それまでああいう小さな公園がなんのためにあるのかわかってなかったんですよ。

細田 (笑)。

細田守

1967年、富山県出身。1991年に東映動画(現・東映アニメーション)へ入社し、アニメーターを経て演出(監督)になる。1999年に『劇場版デジモンアドベンチャー』で映画監督としてデビューを果たす。その後、フリーとなり、『時をかける少女』(06)、『サマーウォーズ』(09) を監督し、国内外で注目を集める。11年、自身のアニメーション映画制作会社「スタジオ地図」を設立し、『おおかみこどもの雨と雪』(12) 、『バケモノの子』(15)でともに監督・脚本・原作を手がけた。最新作『未来のミライ』(監督・脚本・原作)は第71回カンヌ国際映画祭・監督週間に選出され、第91回アメリカアカデミー賞の長編アニメ映画賞や第76回ゴールデングローブ賞のアニメーション映画賞にノミネートされ、第46回アニー賞では最優秀インディペンデント・アニメーション映画賞を受賞した。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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