『観光客の哲学』中国語簡体字版四冊刊行に寄せて|東浩紀
ぼくの著作、『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』『弱いつながり』『観光客の哲学』の4冊がほぼ同時に中国語簡体字版に訳される。そこで共通の序文を寄せることになった。
4冊は中国語簡体字におけるぼくの著作のはじめての出版となる。それゆえ4冊ではじめてぼくの文章に触れる読者もいるだろう。
それぞれの原書は、『動物化するポストモダン』は2001年、『ゲーム的リアリズムの誕生』は2007年、『弱いつながり』は2014年、『観光客の哲学』は2017年に出版されており、刊行時期はかなり離れている。したがって主題もスタイルも異なっているし、想定された読者も異なっている。けれども共通するところもある。その点について簡潔に記しておきたい。
ぼくは1971年に東京で生まれた。東京大学でフランスの哲学を研究し博士号を取った。だから大学人の面もある。実際に大学で教えたこともある。
けれどもいまは大学で教えていない。かわりに2010年に小さな会社を立ち上げ、いまはそこで本を出したりトークイベントを配信したりしている。『観光客の哲学』はその会社から出版している。つまりは、いまのぼくの職業は、大学教員ではなく中小企業経営者だ。
なぜそんな人生を歩んでいるのか。それはひとことでいえば、日本ではかつて「哲学すること」に二つの道があったからである。ひとつは大学に属して研究者になる道、もうひとつは出版の世界で物書きとして生きる道だ。後者を選んだひとは、哲学者ではなく「批評家」と呼ばれていた。
むろん両者を厳密に分けることはできない。大学に属しながら本を書くことは可能だったし、逆に売れる本を書いたひとが大学に就職することもあったからだ。けれども読者の感覚としては、大学と出版、どちらに軸足を置いているかは、文体や関心の差異でなんとなくわかるものだった。そして日本ではじつは、戦後長いあいだ、出版に軸足を置いた思想家、すなわち「批評家」のほうが、大学の研究者よりも大きな影響力をもってきた。これはほかの国には存在しない特殊な環境で、その成立の経緯を説明しようとするとたいへん長い話になる。しかし、いずれにせよその環境を無視して日本の思想史を理解することはできない。中国でよく知られ、ぼくも影響を受けた日本の思想家、柄谷行人も、長いあいだ国内では「文芸評論家」と名乗っていた。柄谷が哲学者を名乗るのは、国外で読まれ始めてからだ。
日本ではかつて「哲学すること」に二つの道があった。「かつて」と過去形で記しているのは、その環境はいまは存在しないからだ。大学と出版の力関係は21世紀に入ると逆転し、いまでは日本でも哲学はすっかり大学人のものになっている。批評家という職業にはほとんど存在感がない。
けれどもぼくが若いころはまだ「批評」が輝いていた。それゆえぼくはキャリアのはじめのほうで、大学人ではなく批評家への強い憧れと、哲学は大学の外で実践されるべきだという信念を刷り込まれることになった。その憧れと信念はまわりの状況が変わっても変わらず、ぼくは結局、21世紀に入って急速に大学化し制度化し始めた人文学にうまく馴染むことができず、かつて自分が憧れた思考のスタイルを取り戻すため自分で会社を作ることになったのである。
大学との関係がすべて切れたわけではない。それは切ろうと思っても切れるものではない。ぼくの文章はどうのこうのいいながら「学問的」で、実際に日本でも学者や学生ばかりが読んでいる。ただぼくは、そのような限界を認めたうえで、それでも学問の営みをできるだけ広い読者に開こうと試み続けてきた。今回訳される4冊は、主題こそ違えど、その試みという点では共通している。
大学と出版の葛藤。学問と非学問の葛藤。その葛藤は中国の読者には理解されないかもしれない。日本でも下の世代とはあまり共有できないだろう。けれども、ぼくの著作は本当はすべてその葛藤のなかで生み出されている。
ぼくの名が中国でどのように知られているのか、正確なところを知らない。ただ、アニメやゲームの研究者として知られているとは聞いたことがある。今回『動物化するポストモダン』と『ゲーム的リアリズムの誕生』の2冊がともに翻訳されているのは、おそらくそのためだろう。いま日本のコンテンツ産業は世界的な注目を浴びているので、ぼくの仕事がまずはそのような研究の文脈で受容されるのは理解できる。
それはけっして誤りではない。しかし、著者の気持ちとしては、ぼくは決して、アニメやゲームについて新たな学問を設立したかったわけではない。むしろアニメやゲームの力を借りて、学問のほうを変えたかったのである。
もうひとつ、ここであらためて記しておきたいのは、ぼくの仕事といわゆる「政治」との関係だ。
ぼくは日本では、政治に関心が低いと非難されることがある。たしかにぼくは政治活動をしていない。署名もしないしデモにも行かない。『動物化するポストモダン』と『ゲーム的リアリズムの誕生』はオタクが主題だし、『弱いつながり』と『観光客の哲学』は観光が主題だ。政治とは関係なさそうだし、書いてある内容もじつに抽象的で、世の中を変える役には立たなさそうにみえる。
その理解は半分は正しい。ただしここで「半分は」と記しているのは、それはけっして単なる無関心の現れではないからである。日本語で検索してくれるとわかるが、ぼくはSNSや雑誌のコラムでは時事問題について語っている。政策や政治家を批判することもある。けれども特定の政党の支持者だとみなされるようなふるまいは避けているし、著作でもできるだけ、特定の政治的なグループの利益になるメッセージを打ち出さないようにしている。
なぜか。それは、政治とは結局のところひとを分断する営みだからである。そしてぼくは、哲学はそこに完全に巻き込まれてはいけないと考えるからである。
ひとは政治がなければ生きていけない。けれども政治だけでも生きていけない。政治しかない世界では、すべてのひとが友と敵とに分断されてしまう。だからぼくたちは、その分断されてしまった友と敵を結びあわせるため、必ず政治以外の営みを必要とする。そしてぼくは、その点では断固として「脱政治」的な、すなわち友と敵とをつなげる立場に立ちたいと思うのだ。
哲学は脱政治的でなければならない。哲学の言葉は、ひととひとを、政治の外で結びあわせるものではなくてはならない。それがぼくの信念だが、これもまたぼくの出自や世代と関係している。
さきほど記したように、ぼくは1971年の東京で生まれた。だから10代を1980年代の東京で過ごしている。
それは日本がもっとも豊かだった時代である。そしてまた政治についてかぎりなく考える必要がなくなっていた時代でもある。日本でも、1960年代までは政治が街に溢れていた。学生運動がありテロがありストライキがあった。けれどもそのような騒乱は1970年代には急速に鎮静化し、ただただ豊かさを追い求めていればすべてのひとに明るい未来がやってくるかのような、能天気な夢を信じることができた短い繁栄が訪れた。それが1980年代、つまり昭和末期である。当時日本の経済はまだまだ伸び続けていて、人口も増えていて、ソニーや任天堂は世界中の憧れで、アジアにライバルはなく、戦争といえばSF的なハルマゲドンしか想像できず、昭和天皇は健在で、自民党政権もあたかも永遠に続くかのように感じられていた。ぼくはそんな思考停止の空気のなかで、中学時代と高校時代を過ごした。
むろん、いまのぼくはそれが幻想だったことを知っている。現実には当時の日本には問題が山積みだった。苦しんでいるひともいた。その歪みはのち噴出してぼくたちの国を長い停滞に追い込むことになる。いまや日本の若い世代のあいだで、昭和末期が肯定的に語られることはほとんどない。
しかし、その欠陥を全面的に認めたうえで、それでもぼくのなかにはどこかあの時代への郷愁が残っている。否、より積極的に、最近は、あの時代の空気の意味についてあらためて考えるべきだとも感じ始めている。政治について考えなくてよい。それはたしかに思考停止だった。しかしその思考停止は特殊な寛容さも生み出していた。たとえばそれはまさに、当時花開き、いまも世界中を魅了しているアニメやゲームの自由さに反映されている。
現在の日本はすっかり異なった国になっている。ほかの多くの国と同じように、日本でも、メディアやネットではつねに政治的な論争が繰り広げられ、毎日のように友と敵が生み出されている。あらゆる表現の政治性が問われ、つぎからつぎへとキャンセルが行われている。それは一方で当然のことである。しかし他方でとても息苦しく偽善的なものでもある。その息苦しさは、日本だけではない、世界中で多くのひとが感じ始めている。そのなかでぼくはいま、政治に参加しないのは本当に愚かなことだったのかと、あらためて自問自答し始めている。
いずれにせよ、それはぼくの人間的な限界かもしれないし、あるいは理論的な可能性かもしれないが、いまのぼくは、自分の言葉が、特定の政治的な布置のなかに呑み込まれることをできるだけ避けたいと考えている。友と敵の分割から身を引き離し、政治とはべつの言葉で思考を展開したいと考えている。それは『弱いつながり』と『観光客の哲学』の明示的な主題になっているが、『動物化するポストモダン』と『ゲーム的リアリズムの誕生』もまた、ある意味で同じ関心で貫かれた書物だといえる。ぼくはそこで、政治の言葉とはまったくべつのツールをつかって、人々がいかにつながり、いかに世界を認識するかを言葉にしようとしていたのだからである。
政治はひとを自由にもするが、不自由にもする。このような話がもしかしたら日本国外の読者の怒りを買うかもしれないことを、ぼくは十分に承知している。世界には政治について語りたくても語れない人々、声を上げたくても上げられない人々がたくさんいる。おまえの話は、日本の特定の世代の、しかも首都で育った恵まれた層の生活感覚を垂れ流しているにすぎない。そのように非難されても当然だと思う。自分でもずいぶんと甘えたことを書いていると思う。
けれども、それでもやはり、ぼくはどうしてもその甘さを捨てることができないのである。もしかりに近い未来、みなさんの国とぼくの国とのあいだに軋轢が生じたとして、ぼくはたとえそのときでも、自分の文章はそんな政治とまったく無関係に読まれてほしいと思う。哲学は本来はそういうものだと思う。ぼくはそのような可能性を、甘い夢想とともに考える。ぼくの哲学は、いつも脱政治性とともにある。それが中国でどのように需要されるのか、それはいまは想像もできない。
最後になったが、4冊の翻訳者、とくにすべてに関わられた王飞氏に感謝したい。共通の訳者がいることで、おのずから文体や訳語の統一も計られ、読みやすいものになっているのではないかと期待している。できるだけ広い読者に届いてほしいと願っている。
2023年6月11日
東浩紀
東浩紀