『ゲンロンβ』終刊にあたって|東浩紀
終刊を決めた理由は複数ありますが、最大の理由は、定期的にメールボックスに配信される長い文章という形式そのものが、もはや人々のニーズに合っていないと判断したからです。
むろん熱心な読者さんはいらっしゃって、毎号寄せられる感想は大きな励みになっていました。けれども他方、この数年配信への反応は少なくなる一方で、個別販売の電子書籍版はほとんど売れなくなってもいました。編集部の力不足もありますが、note のようなサブスク中心のテキストプラットフォームが拡大するなか、なによりも人々の読書・視聴環境が変わったことが背景にあると考えています。残念ですが、終刊は避けられなかったと思います。
『ゲンロンβ』の前身は2013年創刊の「福島第一原発観光地化計画通信」です。10年にわたり発行を続けてきたことになります。そのあいだ、最終号にも原稿をお寄せいただいた小松理虔さんをはじめ、星野博美さんや大山顕さんなど、のちに単行本化され賞をいただくような連載がつぎつぎとこの場から生まれました。この秋には本田晃子さんの連載も書籍化されます。
外部に対しては『ゲンロン』本誌やカフェばかりが目立ちましたが、『ゲンロンβ』はじつは長いあいだ、ゲンロンが生み出すコンテンツの震源地でした。『ゲンロンβ』は今号で終刊となりますが、これからもそのような場をなくしてはいけないと考えています。今後とも出版事業へのご支援をよろしくお願いいたします。
ところで、いま『ゲンロンβ』の前身は2013年の創刊だと記しましたが、個人的にはその起源はもっと遡ります。読者の一部はご存じかもしれませんが、ぼくはかつて『波状言論』というメルマガを発行していました。2003年から2005年にかけてのことです。
月2回の発行で、メインコンテンツはゲストを呼んでのインタビューや対談、ほかコラムもあり、分量は多いときは8万字にのぼりました。自宅近くに編集部用の部屋を借りて、学生バイトを雇って制作に打ち込みました。当時はいまのようにネット決済やメルマガ配信サービスが普及しておらず、入金は手書きの郵便為替のことすらありました。配信も登録者ひとりひとりにBCCメールで送るかたちでした。読者も1000人ほどでけっして成功といえない、というよりもむしろ赤字だったのですが、とにかく楽しかった。その経験がのちのゲンロン創業につながります。
つまり、ゲンロンの起源にはそもそもメルマガがあった。雑誌があった。このことはいまのゲンロンを考えるうえでもとても大事なことです。
雑誌とはふしぎなものです。単行本とはまったく異なります。どれだけおもしろいコンテンツがあっても、単独では雑誌になりません。
雑誌が雑誌であるためには、多様な寄稿者による多様なコンテンツが並んでいることが不可欠です。編集者の意志はその選択と配置に示されますが、しかしそれを明示的に解説してはいけません。編集意図は、あくまでも目次の並びそれ自体によって、間接的に示されねばならないのです。ばらばらなものをばらばらなまま、それでもまとめあげる独特の美学。ベンヤミンの有名な比喩を借りれば、雑誌編集はいわば「星座」をつくるような作業だといえるかもしれません。
そしてゲンロンはこの点において、ずっと「雑誌的」な運動体を目指し続けてきたように思います。いまは動画とサブスクの時代です。文章を売るとしても記事単位です。雑誌という形態はすっかり時代遅れになってしまいました。『ゲンロンβ』は終刊し、『ゲンロン』本誌もいつまで続くかわかりません。
けれども、いまゲンロンがカフェやシラスで行っていることは、最終的なかたちこそ雑誌ではないですが、本質的には雑誌編集と変わりません。登壇者を選ぶ。イベントのテーマを決める。チャンネルを並べて、見知らぬ配信者たちをつなげる。そこで行っているのは、まさに多様な星を線でつなぎ、言論の空に新しい星座を描き出す営みです。ぼくは20年まえからずっと、そんな星座制作こそが楽しいと感じて仕事をし続けてきました。だからゲンロンは東浩紀個人のオンラインサロンにならなかったし、シラスはゲンロンだけの配信プラットフォームにならなかった。星がひとつでは、星座はつくれないからです。
『波状言論』の創刊から20年。『ゲンロンβ』の終刊はひとつの長い時代の終わりを意味しており、個人的にはたいへん寂しくもあります。けれども、ゲンロンを支える「雑誌的」な精神は、これからもカフェやシラス、あるいは新しいサービスのなかに生き続けることでしょう。
『ゲンロンβ』が終わっても、「ゲンロン」という雑誌的運動は終わりません。長いあいだのご愛読、ありがとうございました。(編集長・東浩紀)
東浩紀
1 コメント
- 青白2023/10/05 09:32
終刊は寂しいけど、現代に合わせたゲンロンらしい判断で良き。