いまこそ「史論家」が必要だ──百田尚樹、つくる会、歴史共同研究再検証(前篇)|呉座勇一+辻田真佐憲+與那覇潤

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ゲンロンα 2022年06月07日配信
 2022年1月14日、中世史家の呉座勇一さん、近現代史研究者の辻田真佐憲さん、そして評論家の與那覇潤さんをゲンロンカフェに迎えたイベント「歴史修正と実証主義──日本史学のねじれを解体する」を開催しました。
 百田尚樹氏の『日本国紀』についての議論から始まったイベントは、歴史における「事実」と「物語」、国民国家とポストモダン、学術書と新書、専門家と史論家など、さまざまなものの「あいだ」を検討していくものになりました。「いまここ」の正しさばかりを主張する論争が繰り返される現代社会で、歴史を語り直すことのさきに見えるものとは。必読の鼎談です。
 本イベントのアーカイブ動画は、シラスで7月14日まで公開中です。
URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20220114
 また、6月10日には、呉座さん、辻田さん、與那覇さんによる鼎談シリーズの第2弾「開かれた歴史実証主義にむけて──日本史学のねじれを解体する2」をゲンロンカフェで開催します。会場観覧およびシラスでの視聴は以下のURLから! 白熱の議論をどうかお見逃しのないよう。
URL=https://genron-cafe.jp/event/20220610/
(編集部)
辻田真佐憲 今日は、呉座勇一さんと與那覇潤さんをお呼びしています。「歴史修正主義と実証主義」と題して、ファクトチェック一辺倒だけではない歴史との向き合い方について話していきます。

 イベントのきっかけは、昨年11月、百田尚樹さんの『日本国紀』(幻冬舎)が文庫本になって刊行されたことでした。これがまた快調に売れているそうです。単行本が出たときには、中身にいろいろ問題があるということで、さまざまに検証されたりファクトチェックされたりしていたわけですが、文庫版はほとんど話題にもなっていません。諦めムードというのか、「出ちゃったらしかたない」という雰囲気さえ漂っているようにも感じます。

 このような状況を受けて、歴史との向き合い方をあらためて議論する必要があるのではないかと考えています。歴史はどんなふうに書き換えてしまってもいいんだという歴史修正主義はもちろん問題ですが、ファクトチェックだけしていれば大丈夫なんだという素朴な実証主義礼賛にも限界があります。今回の議論では、歴史修正主義と実証主義という両極の一方を選ぶのではなく、それらの「あいだ」にある歴史への態度を考えていきたいと思っています。

実証主義ブームへの問い


辻田 呉座さんは、まさしく「実証主義ブーム」の中心にいらっしゃった方です。2016年に出版された『応仁の乱』(中公新書)は大ベストセラーとなり、それ以降、歴史学者による新書が相次いで世に出されました。それと並行して、とくにSNSを中心に、あらゆる歴史記述にファクトチェックを行い、まちがった言説を正し、専門家には自分の専門分野のことだけを発信するように求めるというような、極端に「実証主義」的な主張も多く見られるようになりました。

 気になるのは、呉座さん自身はこういった「実証主義ブーム」の状況、言い換えれば「専門家だけが語るべきだ」といった風潮をどのように感じていらっしゃるのかということです。最近では呉座さんさえも、「専門外のことを書いている!」と批判を受けられていると聞きました。

呉座勇一 わたし自身は、「専門家以外は黙っていろ」というようなことは言ってはいません。ただ、『応仁の乱』がヒットしたことで、おっしゃるようなブームが生まれてしまったということはあるかもしれません。

 昨年11月に『頼朝と義時』(講談社現代新書)という新書を出したのですが、Amazonのカスタマーレビューで「呉座は中世後期(南北朝−室町時代)が専門のはずなのに、なんで前期(鎌倉時代)について本を書いているんだ」というようなコメントがいくつかつきました。これにはけっこうショックを受けました。そんなに細かくなっているんだ、と。

 もちろんわたしが「太平洋戦争の真実」とか「坂本龍馬暗殺の真犯人」などと言い出したら、批判されて当然だと思います。でも、20歳くらいから『吾妻鏡』(鎌倉幕府の準公式歴史書)を読んできたような中世史研究者であっても、「おまえの専門は中世後期だけで、中世前期は専門じゃないだろう」と言われてしまう状況になっていることに驚いたのです。
 たとえば、網野善彦は中世史の研究者ですが、1997年の『日本社会の歴史』(岩波新書)のなかでは、古代から江戸時代まで幅広く取り上げていますよね。それについて、「網野はにわかのくせに江戸時代のことなんて書いているんじゃないよ」などという批判は、少なくとも一般読者界からは起こりませんでした。それがいまでは、専門のとらえかたがずっと細かくなっていて、同じ中世であっても前期と後期で専門分野が違うはずだと言われてしまう。これはやはり実証主義ブームのもたらした悪影響なのかな、と思うところはあります。

 
呉座勇一

 

與那覇潤 2020年からのコロナ禍で「専門家」の呼称がマジックワードのように使われ出し、重なる風潮が他の分野でも加速してきたと見ることもできますね。専門ごとに「棲み分ける」のが学者にとっての理想だ、といった価値観が広がっている気がします。たとえば感染予防のためにどこまで社会全体の活動を止めてよいかについては、人権の観点では憲法学や政治哲学、コストについては経済学、メンタルへの負荷を考える心理学、かつての社会パニックの実例を参照する歴史学……と、本来はあらゆる領域が関係してくるはずです。それなのに、医学以外の分野から発言すると「おまえは専門家じゃないだろ、黙れ」と言われてしまう。歴史学における実証主義ブームは、そうした空気とも重なって見えます。

辻田 細分化された専門知はもちろん大切なのですが、同時に、全体を見渡すためのざっくりとした見取り図をつくることも必要です。細かな知識をになう専門家だけでなく、全体像はこんなかんじだよね、と示すことのできる総合知をになう評論家という存在も重要だと考えています。一方では歴史修正主義が、他方では実証主義ブームが勢いを増している状況のなかで、どうすれば専門知と総合知のあるべき関係を復活させることができるのか。今日はそんなことも考えてみたいと思います。

「戦前の二次創作」


呉座 まずは百田尚樹さんの『日本国紀』についてお話しします。文庫になってまた大ヒットしていますよね。Amazonの歴史部門でずっと1位が続いています。文庫化について、著者の百田さんは、「単行本から3年をかけてまちがいはぜんぶ直した」といった主張をされています。

 でも中身を見てみると、もちろん修正しているところもあるのですが、直していない部分も多いし、さらには、修正したけれども中途半端で、かえってよくわからなくなっているような箇所さえ見つかります。

『日本国紀』は、単行本の時点でも刷ごとに中身が変わっている部分があって、なかなか追いかけるのがたいへんです。そこで、わたしの手元にある単行本版の第1版と、文庫本版の第1版とを照らし合わせてみて、どこが変わったのか/変わっていないのかを検討していきます。

 

 
呉座 たとえばこんな修正箇所が見つかります。単行本では「縄文時代は本格的な農耕は行われなかった」となっているのが、文庫版では「農耕生活の萌芽もうかがえます」になっている。あるいは単行本では「新嘗祭は建国から現在まで宮中で連綿と続けられ……」と書かれていた箇所に、文庫では注釈がついていて、室町時代から江戸時代にかけて中断されていたことが追記されていたりします。このあたりはぜんぶ、単行本のときに指摘が入り、それを受けて文庫で修正したところになります。

辻田 けっこう直しているのですね。

呉座 おそらく百田さんがいちばん気にしたのは万世一系(皇室の血統が途絶えていないこと)についての箇所です。ここは単行本のときに、保守の側から批判されたところです。百田さんは王朝交替説を採っている、万世一系を否定するのか、と。それに対して、文庫版では「万世一系を否定しているわけではない」というコラムが新設されています。「実際は応神天皇や継体天皇のときに王朝交替が起きていて、歴史的事実としては万世一系ではないのだけど、万世一系であるという理念、フィクションが信じられてきたことは重要なんだ」という趣旨の反論をしている★1。それはむしろ万世一系を否定していることになるんじゃないのかとわたしは思うのですけれども(笑)。

與那覇 なんだか、百田さんの嫌いな護憲派みたいなロジックですね。「実際はすでに自衛隊を持っていて戦力はあるんだけど、理念として、戦力を持たないというタテマエは重要なんだ」みたいな(苦笑)。

呉座 興味深いのは、百田さんが記紀神話の史実性を否定する立場を採っているのに、保守だとみなされていることです。1940年に津田事件というものがありました。これは津田左右吉という歴史学者の著書が発禁処分を受けたものですが、そこで問題とされたのがまさしく記紀神話の扱いです。津田は「神代の物語は歴史的伝説として伝わったものでなく、作り物語である」などと論じたことが問題視されました★2。『日本国紀』のなかで百田さんが書いていることは、戦前であれば出版法違反で発禁処分になっているような内容です。

 その意味では、「『日本国紀』は戦前回帰だ」という世間の批判は不正確で、むしろ「二次創作」なのだと言うべきかもしれません。戦前に回帰しているというより、「戦前っぽいもの」を作っている。

與那覇 もうひとつ気になったのは、九州王朝説という、学界では完全に異端の学説が採用されていること。批判を受けてちょっとトーンは抑えられていますけど、この学説も、どちらかというと「不敬」な主張ですよね。
呉座 そうです。単行本のときに毎日新聞のインタビューでも答えたのですが★3、九州王朝説というのは、九州王朝のほうが王家の本家であって、大和に行ったのは分家だという内容です。いまの天皇家は分家の末裔ということですから、明らかに皇室に対して不敬な学説です。こちらも、戦前や戦時中なら発禁処分を受けていたであろう内容です。

辻田 森友学園問題のときも「戦前回帰」という言葉で批判がなされていましたが、あれも実際は「戦前っぽい」雰囲気を出しているだけでした。同じようなことを戦前にやっていたら逮捕されてしまいます。『日本国紀』も戦前回帰ではない。戦前のコスプレをまといながら、なにか別なことを主張しようとしている。批判するならそちらの動きのほうだと思います。

『日本国紀』と『探偵!ナイトスクープ』


與那覇 『日本国紀』の単行本が出版された2018年は、ちょうどぼくが病気から復帰した年でした。百田さんが絶えず Twitter で「日本通史の決定版をおれが書く!」と発信するなど、事前のPRがすごかったこともあり、あるネットメディアから「きっとヤバい内容になるから、刊行後に各時代の専門家が検証してゆく企画をやりたい。與那覇さんは近現代担当でどうか」と打診されていたんです。やりますよとお答えしたのですが、ところが実際に刊行されると企画自体が流れてしまいました。

 なぜかというと、出てきた『日本国紀』が総花的に「とりあえず全部の時代に言及しましたよ」といった作りで、みんなの予想と違っていたからです。良くも悪くも百田さんなりの「すごいストーリー」が展開されているものだと思っていたのに、それがなかった。

呉座 わたしも、西尾幹二さんが1999年に出された『国民の歴史』(扶桑社)みたいなかんじの本かなあと予想していました。

辻田 『国民の歴史』は、それこそ良くも悪くも西尾さんの考えがハッキリと出ている本ですね。百田さんは小説家だから、もっと特定の主人公にポイントを絞るなどして、読みやすくておもしろいストーリーの本を書くのかなと思っていました。でも、実際は意外とそうでもなかった。

呉座 『国民の歴史』は通史ではありません。『魏志倭人伝』は史料に値しないとか、稲作文化を担ったのは弥生人ではないとか、そういうかんじのトピック集になっています。それに対して、『日本国紀』は一応通史にしようとしているのだけど、そのせいで悪い意味で教科書的になってしまっており、おもしろくない。辻田さんが指摘されたように、「日本を作った○人の男」というような列伝形式で書かれていたほうが、百田さんの持ち味が出たはずです。
與那覇 単行本のころから、『日本国紀』には教科書というか「百科事典」のような位置づけで売りたいという意図があるのかな、と感じていました。今回、文庫化にあたって、批判された箇所を直しましたとか、参考文献をたくさんつけましたとPRしているのは、やはりそういう狙いがあるからだと思います。

 百科事典を目指したのは、そのほうが売れると考えたからでしょう。普段ほとんど本を読まないひとでも、机の上に辞書は1冊くらい置いておこうか、と考えるケースは多い。そうした「卓上日本史事典」のレギュラーを目指した方が、ロングセラーとしてトータルの部数は伸びると踏んだのかなと。

辻田 『日本国紀』を読んで感じたのは「テレビっぽい」ということだったのですが、これは與那覇さんや呉座さんの指摘にも重なってくるように思います。あの本では、要所要所に百田さんの「わたしは感動した!」というコメントが入っています。テレビのVTRとコメンテーターを思わせる作りですよね。テレビ番組に似ているからこそ、多くのひとになじみがあって読みやすかったのじゃないかという気がします。

呉座 たしかに、テレビマンとしての感覚はあると思います。『日本国紀』には、歴史書としてはどうでもいいようなヨタ話がいっぱい入っている。あれは百田さんが放送作家として携わっていた『探偵!ナイトスクープ』の「爆笑小ネタ集」みたいなものだと思うんです。

 たとえば「藤原不比等は天智天皇のご落胤らくいんである」という説を紹介していて、単行本では「信憑性は高いと思う」と書いていたのを、批判が来たので、文庫版では「もちろん真実は不明です」とか訂正している。でも、信憑性が低い俗説なら、そもそも書かなければいいんですよ。ぜんぶ削除すればいいのに、一応書いて、真実は不明ですと逃げ口上を追記するという、へんなことをやっています。

與那覇 キヨスクで売っている「日本史おもしろ話」的な本って、昔からそういう作りですよね。電車の中で読める短いコラムがいっぱい載っていて、「織田信長はじつは臆病者だった?」みたいな、歴史ファンの目線で他人に教えたくなる話が書いている。『日本国紀』はそれを数珠つなぎにして、通史に仕立てた作りとも言えます。

辻田 日本の読者層の分裂をあらわしているのかもしれません。月に10冊くらい歴史書を読む層と年に1冊読むか読まないかという層がいて、一方が中公新書の『応仁の乱』を、もう一方が『日本国紀』を読んだのかなと。

與那覇 通史としてのストーリーを提示するより、百科事典やテレビ番組のような作り方を重視しているのも、通読することを想定していないからなのでしょうね。時間が空いたときや、辞書的に引きたくなった時に、章ごとに読むことが前提になっている。

呉座 なるほど。わたしは、ここは外交史、ここは文化史、といったぶつ切りな感じが読んでいてつらいと思っていたのですが、むしろそのほうが読者層に適していたと。

辻田 『日本国紀』のようにVTRとコメンテーターの感想の往復のようなペースで進めたほうが、「翌週はこれを観よう」となって、ふつうの生活者には届きやすいのかもしれません。

安倍中心史観


呉座 『日本国紀』と『国民の歴史』の違いについて言うと、もうひとつ大きいのは神話の位置付けです。平泉澄などの戦前の右派の歴史家が書いた日本通史は、みな天地開闢かいびゃくから始まり、天孫降臨して、神武天皇が現れる、みたいな『古事記』を踏まえたストーリーになっています。西尾さんも「『漢書』や『魏志倭人伝』は同時代者の反対証言を欠く。距離もあまりに遠すぎる。トゥキュディデスのような内容の豊かさもない。とうてい一級史料ではない。われわれはこれらに絶対的証言価値を置くことはできない。これらに比べれば記紀神話のほうがはるかに内容的史料価値は高い」と記していて、日本神話の方が魏志倭人伝の卑弥呼の記述より信頼できる、と主張している★4

 でも百田さんは神話からスタートするのではなく、一応は考古学の成果に基づいて縄文時代の話をして、王朝交替説をとり、「神話に書かれていることは事実そのものではないですよね」というスタンスを取っています。戦前回帰ではなく「二次創作」だというのはこういうところです。

與那覇 『国民の歴史』の西尾幹二さんと百田さんの違いはふたつあって、ひとつは西尾さんは戦前生まれであり、もうひとつは西尾さんがニーチェ研究者だということですね。西尾さんは1935年の生まれで、いわゆる少国民世代。戦時中の教育を前提に育った世代としては、後から「神武天皇は嘘でした」とか言われたときに、「いまさらそれはないだろう!」という怨念を持っても不思議ではないわけです。

 そこにニーチェ研究が重なると、「西洋文明とどう対峙して生きてゆくか」という問題意識が生まれます。ドイツ人であるニーチェ自身も呪った西洋文明と、日本人はいかにつき合うのかというのが積年のテーマなんですね。だから西尾さんの場合は日本通史を描くと、「キリスト教伝来以来、押し寄せてきた西洋文明に、日本人はどう立ち向かったか」という視点が前面に出て、割合に世界史的なストーリーが自然と生まれます。だけど、百田さんにはどちらもない。

 
與那覇潤

 
呉座 たしかに、『日本国紀』にはいわゆる「ウエスタン・インパクト(西洋の衝撃)」みたいな議論はないですね。

與那覇 逆に言うと、百田さんがなぜ「戦後嫌い」なのかがピンと来ないんですよね。西尾さんのように、「ああ、それは戦後は許せないよね」と感じさせる背景がない。

辻田 百田さんがGHQが進めたといわれる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」の問題をやたら大きく取り上げるのは、あれがないと困るからですよね★5。戦前日本はすごくよかったのに、なぜ戦後こんなに駄目になったか。その理由を説明するためのマジックワードとして「洗脳プログラム」がある。WGIPについては実証的な研究として賀茂道子さんの本も出ましたけど★6、それを踏まえてもとくに意見が変わらないのは「変えられない」ということだと思うのです。

與那覇 なるほど。「配役上」必要なので、がんばって戦後という悪役を作り上げたと。

辻田 百田さんが語りたかったのは、まずは大東亜戦争はすごくよかったということ、しかしその後の日本は駄目だったという二点なのでしょう。そして、その先に安倍晋三による復活がある。

 安倍によって復活する場面を盛り上げるためには、それ以前の時代をドーンと落とさないといけない。ここは物語的に作られていて、まず大東亜戦争でパァーッと行って、WGIPで落として、安倍晋三でまた復活、みたいな。これが百田さんの歴史観。いわば「安倍中心史観」ですよ。
與那覇 そこはぼくは百田さん以上に不思議で、安倍さんがどうしてあそこまで、ある種のひとたちにとってワン・アンド・オンリーなのかもよくわからない(苦笑)。

辻田 すぎやまこういちさんがわかりやすい表現をしました。彼は、いまの日本を「日本軍」と「反日軍」の内戦状態として捉えている★7。安倍晋三が率いる自民党という「日本軍」と民主党が率いる「反日軍」がいて、これが内戦をしていると。そこでいかに民主党という「反日軍」から日本を取り戻していくか、ということを考えている。そうすると、民主党政権から日本を取り戻してくれた安倍さん、っていう評価になるのです。

 こうした見方がいまの『Will』『Hanada』的な世界を作っていて、いわゆる軽薄な保守論壇の価値観になっているのではないか。それが『日本国紀』にも入っているのではないかという気がしますね。

呉座 安倍中心、天皇は二の次、というかんじなんでしょうね。

辻田 Twitterでは有名な「天皇は反日」という表現もあります★8

呉座 だからといって、左翼が護憲のために前の天皇を持ち上げていたのもどうかと思いますけれど。

辻田 いまの上皇は平和志向だったから左翼が推す。するとその反発として保守が「天皇は反日」と言う。ピンポンゲームみたいになっていますよね。万世一系や国体とはなにかという思考はむしろ止まっているように思います。

実証主義批判の歴史


辻田 ここからは実証主義について議論していきたいと思います。

呉座 実証主義に対する批判はじつは最近始まったものではなく、明治時代から行われています。

 明治の初めに、政府公認の正史を編纂しようという目的で修史館という部局が作られるのですが、そこが「実証主義」を標榜します。そうした姿勢を、修史館の派閥争いに敗れて追い出された漢学者の川田甕江おうこう)が批判しています。1890年の、東京学士会院での講演「外史弁誤ノ説」です。

 すこし文脈を整理すると、まず、幕末に頼山陽の『日本外史』という歴史書が尊皇攘夷の志士たちのあいだでバイブルとなりました。このファクトチェックを行ったのが川田で、彼は『日本外史弁誤』という本で『日本外史』の誤りを細かく批判した。そんな川田が、後年にみずからの実証主義的な揚げ足とりを反省して自己批判したのが、先の講演です。

 ただこれは、川田が自己批判をしているように見せかけて、修史館でライバルだった重野安繹やすつぐという人物を批判しているものなんです。重野は、『太平記』に出てくる児島高徳は架空の人物だとか、楠木正成・正行親子の「桜井の別れ」は作り話だとか、ファクトチェックをやりまくって「抹殺博士」と呼ばれたひとです。そんな重野に対して川田は「そんなことをしてだれが得するの?」と批判したわけですね。

 川田は「外史弁誤ノ説」のなかで、つぎのように実証主義を批判しています。歴史にはもともと道徳教育の側面があった。偉大な人物や忠臣孝子に学ぶという側面があるのに、「そんなひとはいなかった」とか「忠義なんてなかった」とか言ってしまったら道徳教育にならないじゃないか、と。
 それに対して、重野は実証主義の立場から応じます。「今日歴史を研究する人は、宜(よろし)く先づ(まず)実録と稗史とを比較して、其(その)異同如何(いかん)を査照すべし」と★9。つまり、ちゃんとした史料といい加減な史料は区別して、信用できる史料だけで歴史を書こう、と反論するわけですね。

 在野からも実証主義に対する批判が出てきます。その中心にいたのが山路愛山あいざんという史論家・ジャーナリストです。彼が、東大の歴史学者がやっているような実証主義はぜんぜん駄目だ、ということを言う。「過去の事は自(おのずか)ら過去にして今日の事と交渉なしとして歴史を見んとする今日の学風は余の最も嫌ふ所なり」★10。つまり、過去の事は過去であって現在とはまったく関係ないとしてしまうアカデミズム史学のありかたを批判しているわけですね。

與那覇 いいこと言っていますね。ぼくもコロナ禍のなかで似た文章を書きました★11

辻田 與那覇さんの文章かなと思っちゃった(笑)。

呉座 同じようなことを平泉澄も言っています。彼は『史学雑誌』に津田左右吉の『文学に現はれたる我が国民思想の研究 平民文学の時代 上』(1918年)についての書評を寄せており、津田左右吉の書物はすばらしい、それに比べて実証主義の歴史学者はまったくなっていないと主張しています。「単に無味乾燥なる履歴書の考証のみに止(とどま)るならば、 史家の眼前に現はれ来る古人はひややかなる機械的の存在に過ぎない」と★12。おまえ、履歴書を作っているだけじゃん、誰々さんが何年何月何日に生まれて何年に何になって何をやりましたと細かくやって、それでどうするの?と批判しているわけですね。
與那覇 既視感のある話題が続きますね(苦笑)。コロナ禍のちょい前に、ぼくも歴史学の新書が「Wikipediaみたいになってきた」と書いて★13、色んな人を怒らせました。

辻田 繰り返していますね。

呉座 戦後も明治と同じような論争を繰り返しています。戦後のマルクス主義歴史学は、実証主義というのは事実を解明しているだけだ、それだけでは意味がないという批判を行なっていました。

 怒られるのを承知で大雑把に言うと、マルクス主義歴史学は「共産主義革命を起こすための学問」ですよね。革命のために歴史を研究するので、「政治的なことをなにも考えず、思想もなく、ただ過去の事実をあきらかにするだけでは駄目だ」と考えます。その立場からすると、実証主義はむしろ「意識が低い」ものでした。

辻田 「新しい歴史教科書をつくる会」にも関わった歴史学者の伊藤隆さんが、1976年に小学館の「日本の歴史」シリーズの1冊として『十五年戦争』という本を書いている。それに対して、当時のマルクス主義系の歴史学者たちは「吐き出したいほどの著書」とか「不愉快きわまりない本」とか攻撃的な書評を載せていたそうです★14。まさしく実証主義者は悪口の対象だった。

與那覇 伊藤隆さんについては、回想録の『歴史と私』(中公新書)に出てくる丸山眞男とのエピソードが好きですね。丸山と話をした際に、「君は事実(ザイン)がやりたいんだろう。それはそれで君のやり方だから結構だ」との趣旨のことを言われたと。丸山自身は政治学を「政治とはこうあるべき」という規範(ゾルレン)を扱う営みとして考えていたけれども、史実の解明だけに徹する伊藤さんの姿勢も否定しなかった。色んな意味で対立していても、相手を全否定はしない。そういう丸山の態度がぼくはけっこう好きです。

呉座 また聞きの話ですが、石井進という有名な中世史学者がいます。石井先生は、当時の教え子たちに「わたしは趣味で歴史学をやっていますから」と言っていたらしい。これはじつは歴史研究を政治運動に奉仕させているマルクス主義のひとたちへのあてつけであって、つまり、「おまえはただ実証をやっているだけじゃん」と散々批判されたことへの反論だったわけです。「おれは歴史的事実を解明したくて歴史学をやってるんだ、べつに共産主義革命なんて起こしたくねえよ」みたいな。

ポストモダンと実証主義


呉座 さらに実証主義がボロクソに言われるきっかけとなったのが、いわゆる「言語論的転回」です。歴史学を例に取ると、歴史は最初から歴史としてあるのではなくて、歴史を記述することによって現れる、という考え方です。これによって、きちんと研究を深めれば客観的な歴史的事実(真実)にたどり着くことができるはずだ、という実証主義の前提が崩れてしまった。

 象徴的なのが、上野千鶴子−吉見義明論争です。この論争は、以前、與那覇さんと辻田さんと東さんのイベントでも話題になっていましたよね★15

 1998年に上野さんが『ナショナリズムとジェンダー』(青土社)という本を出したわけですが、そのもとになった論文のひとつ「記憶の政治学」は1997年6月に出ています。この論文を受けて、同年9月に「ナショナリズムと『慰安婦』問題」というシンポジウムが開催され、上野さんや吉見さんが登壇して議論が交わされた。そのなかで、上野さんは「歴史はひとつに確定できるものではない、複数あるんだ」という趣旨のことを言われました。元「慰安婦」の証言によって、男性中心の、強者による正史が相対化されるということです。

 この発言に対して、歴史学界から強い反発がありました。なぜかといえば、この時期ちょうど「新しい歴史教科書をつくる会」が活動を始めていたからです。上野さんが主張したように歴史が複数あるという話になると、つくる会の「自由主義史観」も認めなければならない。『教養としての歴史問題』でも書きましたが★16、わたしはポストモダンに抵抗のある古いタイプの学者です。ポストモダンとか言語論的転回が、つくる会に利用されてしまったのではないかとも思います。
與那覇 上野-吉見論争やつくる会の発足は、わたしや呉座さんが高校生くらいの時期の出来事ですね。それで大学に入ると、歴史を扱う授業で色んな先生から「いま、こういうことがごちゃごちゃしていてね」と耳にすることになるわけです。

 ぼくも当初はわりとまじめに歴史学を勉強していたので(笑)、上野さんってひどい人なんだなぁと思ったものでした。しかしいま振り返ると、上野さんが当時掲げた相対主義がつくる会に「悪用された」というよりも、もともとつくる会の内部に彼らなりの「ポストモダン思想」があったと考えたほうがよい気がします。

 西尾幹二さんはニーチェ研究が本業だし、最初のつくる会の歴史教科書の事実上の著者といわれた坂本多加雄さん(政治思想史)は、さきほど「明治時代の実証史学批判」として名前が出た山路愛山の研究が出発点。たしか、物語の哲学で知られるポール・リクールなども坂本さんは参照していた気がします。彼らに言わせれば、戦後という特殊な時代の価値観で「物語化」された歴史だけが既存の教科書のマスター・ナラティヴになっているので、われわれは歴史の語り方を「複数化」することで、戦後民主主義を「相対化」するんだと。いわば、上野さんの右バージョンという側面があったのでは。

辻田 当時、わたしは中学生か高校生になったくらいで、どちらかというとつくる会にシンパシーを抱く側でした。その記憶だと、彼らはむしろ自分たちを実証主義だと主張していたイメージがあります。左翼のほうこそ歴史を歪めているんだと。

呉座 伊藤隆さんはまさしく実証というかんじでしたよね。

辻田 つくる会のひとたちは、自分たちのほうこそちゃんと史料を見ていて、左翼のほうはマルクス主義的な価値観にもとづいて歴史を歪めている、だから真実を語らねばと主張していた。
呉座 つくる会も一枚岩ではなかったということなのだと思います。伊藤さんみたいな実証路線のひともいれば、坂本さんや西尾さんのような「歴史は物語だ」という路線のひとたちもいた。

 上野−吉見論争に話を戻します。上野さんは「実証主義の歴史は文書中心主義だ」と批判しました。吉見さんのようにがんばって文書も証言もたくさん調べて議論してきたひとは「適当なことを言わないでくれますか」と怒ってしまうわけですが、やはり歴史学界が文書中心主義に傾いていることは否定できない。オーラルヒストリーの重要性が叫ばれるようになったのは、最近のことです。

 さきほどの川田−重野論争で川田が指摘したのも、文書中心主義の問題です。たとえば公文書だけ見ると井伊直弼は桜田門外で殺害されたのではなく、数日後に負傷が元で死んだことになってしまう。しかしそれはおかしい。だから公文書を盲信してはいけないと言うわけです。

辻田 こうして少し歴史を振り返ってみただけでも、実証主義は数多の批判にさらされてきたものであることがわかります。そんな実証主義が復活したのはつい最近です。安倍さんや歴史修正主義的な論客が出てきて、それに対抗するために、急に実証ということが肯定的に言い出されたわけです。

 
辻田真佐憲

対話のための「より良い物語」


呉座 上野千鶴子さんのような言語論的転回と重なる議論として、意外かもしれませんが、平泉澄の実証主義批判があります。1925年の有名な論文「歴史における実と真」のなかに、よく知られている一節があります。「歴史は科学よりはむしろ芸術であり、さらに究極的には信仰である」。

 ここだけ切り取って読むと神がかりのヤバいひとなのですが、きちんと前後を読むと意外とマトモです。「明治以来の学風は、往々にして実を詮索して能(よき)事了(おわ)れりとした。所謂(いわゆる)科学的研究これである。その研究法は分析である。分析は解体である。解体は死である。之(これ)に反し真を求めるは総合である。総合は生である。而(しか)してそは科学よりはむしろ芸術であり、更に究竟すれば信仰である。まことに歴史は一種異様の学問である。科学的冷静の態度、周到なる研究の必要はいふまでもない。しかしそれのみにては、歴史は只(ただ)分解せられ、死滅する」★17

 つまり平泉は、実証だけだと「分解」するだけになって歴史が死んじゃうだろ、総合がないじゃないか、と言っているわけです。

辻田 めっちゃいいことを言っていますね。ただ、総合のやり方に問題があったということでしょうかね。

呉座 その半年後には「我が歴史観」のなかでつぎのように述べています。「歴史は決してありしがままの素直なる模写ではない。否、ひとり歴史のみでなく、実は一般に認識そのものが、如実の模写ではないのである。対象は認識の主体によって種々様々に形色を変化せしめられ、而(しか)して単純化せられてゐるのである」。「主観的要素といふものは、すべての歴史把捉のうちに必然的に存在して、之(これ)を根絶することはできない」。「歴史家の現在は、どんな歴史叙述からでも切り離すことの出来ない一個の要機である」★18。こういう平泉の主張は、現代の言語論的転回の話にも通じます。
 そして西尾さんも、平泉と同じく、構成主義の系譜に位置づけられます。『国民の歴史』から引用すると、「われわれは歴史の純粋事実そのものを完璧に、客観的に把握することはできない存在である[中略]、歴史はなにか過去のものの復元とは、決して同意義ではない。歴史は現代に生きるわれわれの側の新しい構成物である」と書かれている★19

 つまりは、このふたりと上野千鶴子は、言っていることがほぼいっしょなんですね。上野さんは実証主義の歴史学者を批判して、「その当事者の現実を離れて、ある歴史的事実を『あるがまま』に、第三者の立場から判定できると考えるところに実証史家の傲慢がある」と言っています★20

與那覇 違いがでてくるのは、そのとき誰を「当事者」と見なして連帯するのかですね。西尾さんであれば日本人、すなわち「国民」という単位で連帯すべきだと言い、上野さんはそうではなく、かつての日本の犠牲者と国境を越えて連帯しなければならないと言う。

辻田 西尾さんにインタビューをしたときに、「西尾さんが若いころから抱いている愛国者としての歴史観も『物語』であって、それもひとつの解釈にすぎないのだという方向には行かないのですか」と尋ねたことがあります。西尾さんは「それははらわたを突き刺すような質問だ……」とおっしゃり、それ以上は訊くことができなかったのですが★21

 歴史はすべて物語だと突き詰めていくと、おそらく自分の歴史観も崩壊してしまうことになるので、西尾さんは途中で止めることを決断したのだと思います。でも、それを突き詰めることで、むしろデタラメな方向に行かないようにする可能性もあるのではないか。特定の物語を「真実」にしてしまうのはよくない。逆に、「つねに良い物語を求めていく」というかたちで、歴史を考えていったほうがよいのではないかと思うのです。
呉座 ところでここまで聞いていて思ったのは、西尾さんにはこだわりがあるけれど、百田さんにはないのではないか、ということですね。『日本国紀』の修正箇所を見ていても、なにをこだわっているのか、ポイントが見えません。

與那覇 百田さんの方が現代的というか、総合する意欲はあまりないのに、分解された個々の事象について「俺の主張は譲らんぞ!」と頑張っている印象がありますね。アニメやアイドルを推すとき、個別に「萌え」られる要素がいくつあるかが大事で、全体像を見渡した「批評」なんて要らないといった感性に近いのではないでしょうか。

呉座 その「譲らん」は、いわゆる信念とも違う。

與那覇 辻田さんのおっしゃる「より良い物語」を定義すると、個別要素の「好き嫌い」だけでぶつかり合い調停不可能になった事態を脱して、総合的であるがゆえにこそ「賛同はできないけど、でもそう主張するあなたなりのゆえんはわかるよ」といった境地を開く歴史の語り口になると思うんですよ。そうした瞬間をどうすれば増やしていけるのか。

 ぼくが好きなのは、晩年の網野善彦がつくる会を批判する書籍などで述べていた、西尾さんへの批判です★22。網野さんはもちろんプロの歴史学者でしたが、「実証的でない」とか「歴史学者は認めていない」といったロジックは取らず、むしろつくる会の運動には、網野さんが1950年代に共産主義の立場で行った「国民的歴史学運動」を思い出すところがあると指摘しました。その上で、西尾さんの『国民の歴史』には中世史が事実上、鎌倉美術史を扱う1章しかなく、むしろ「かつての私たちと比べても、ぜんぜん国民がたどってきた歩みの全体を描けていないじゃないか」と批判したんですね。
呉座 皇国史観からすると中世はダメな時代だからですね。天皇中心の歴史観をとると、天皇が政治の中心にいない中世の中で評価できる要素は文化だけになってしまう。

與那覇 網野さん自身、運動から離れた後は「封建制の下でただ搾取されていた」といったかつてのマルクス主義の歴史像を自己批判して、むしろ中世の日本の庶民がいかに生き生きと、武士たちと渡り合ったかを描くようになっていった。それに比べて『国民の歴史』を名乗りながら、一時代を丸ごと削ってしまうような物語でいいんですかと、西尾さんたちの側に問いかけたわけです。単に「お前らの物語はダメだ」と排撃するのではなく、「もっと良い物語を作れよ」と叱咤していく姿勢、そこに可能性があるのではないでしょうか。(後篇に続く)

後篇は2022年6月24日配信の『ゲンロンβ74』に掲載予定です。
 
左から與那覇潤、呉座勇一、辻田真佐憲
 
2022年1月14日 東京、ゲンロンカフェ 構成・注・撮影=編集部 図作成=呉座勇一

 

本対談は、2022年1月14日にゲンロンカフェで行われたイベント「歴史修正と実証主義──日本史学のねじれを解体する」を編集・改稿したものです。  
 6月4日−5日にかけて開催された、ゲンロン友の会第12期総会「反SNS戦争」。第1会場での最終トーク「ミリオタはどこにいくのか──SNS戦争時代の歴史と軍事知識」には、古谷経衡さん、辻田真佐憲さん、東浩紀が登壇のうえ、呉座勇一さんも「乱入」。本稿の厳粛な雰囲気とはひと味違う、賑やかなトークが繰り広げられました。
 ぜひゲンロン友の会にご入会のうえ、アーカイブ動画をご覧ください(購入は6月30日まで、視聴は7月31日まで)。
URL=https://shirasu.io/t/genron/c/tomonokaisoukaiA/p/20220604a

 

*引用にあたって、旧字体のものは新字体にあらためた。
★1 百田尚樹『新版 日本国紀〈上〉』、幻冬舎文庫、2021年、100-102頁。
★2 津田左右吉『神代史の新しい研究』、二松堂書店、1913年、6頁。
★3 以下の記事に始まる全3回のインタビュー記事。「呉座勇一さん『日本国紀」を語り尽くす(上)『保守論壇の劣化の象徴』」、「毎日新聞」、2019年7月13日。URL=https://mainichi.jp/articles/20190713/k00/00m/040/009000c
★4 西尾幹二『国民の歴史』、扶桑社、1999年、120頁。
★5 終戦後、GHQなどにより、日本人に戦争責任(ウォー・ギルト)の意識や侵略戦争史観を持たせるような「洗脳プログラム」が実行されていたとする主張。文芸批評家の江藤淳が『閉ざされた言語空間』(文藝春秋、1989年)において、みずから発見したアメリカの公文書を紹介するというかたちでこれを初めて主張した。
★6 賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム――GHQ情報教育政策の実像』、法政大学出版局、2018年。
★7 「ドラクエ作曲者『私財投じて安倍首相を応援する』理由」、「現代ビジネス」、2013年2月15日。URL=https://gendai.ismedia.jp/articles/-/34887
★8 2017年9月20日、高麗人の王族を祀る埼玉県日高市の高麗神社に平成天皇・皇后が参拝したことをめぐり、Twitter上に見られるようになった表現。一部の保守派が平成天皇を「反日左翼」だと表現したことを受けて、左派がそれを揶揄するかたちで「天皇は反日左翼」というフレーズが広がった。
★9 重野安繹「川田博士外史弁誤ノ説ヲ聞テ」、史学会編『史学会論叢』第1輯、富山房、1904年、69頁。初出は、『史学会雑誌』第6号、1890年。
★10 山路愛山「戦国策とマキャベリを読む」、『愛山文集』、民友社、1917年、332頁。初出は、『国民之友』第361号、1897年。
★11 與那覇潤「コロナ以後の世界に向けて『役に立たない歴史』を封鎖しよう コロナで滅びゆく歴史(2)」、「現代ビジネス」、2020年5月20日。URL=https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72694
★12 平泉澄「彙報 ◯新刊紹介 文学に現はれたり我が国民思想の研究 平民文学の時代 津田左右吉著」、『史学雑誌』第30編1号、1919年、139頁。
★13 與那覇潤「なつかしい『理想の教科書』 私の好きな中公新書3冊」、「Web中公新書」、2020年3月6日。URL= https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/113609.html
★14 辻田真佐憲「『僕は左翼の人たちに聞きたいんだよ』保守の歴史家・伊藤隆88歳が“令和の日本” に苛立つ理由 伊藤隆さんインタビュー#1」、「文春オンライン」、2021年4月17日。URL=https://bunshun.jp/articles/-/44645
★15 辻田真佐憲×與那覇潤×東浩紀「物語と実証の対立を超えて——『超空気支配社会』『歴史なき時代に』W刊行記念」、2021年7月5日。URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20210705(現在は公開終了)
★16 前川一郎編著、倉橋耕平、呉座勇一、辻田真佐憲著『教養としての歴史問題』、東洋経済新報社、2020年。
★17 平泉澄「歴史における実と真」、『我が歴史観』、至文堂、1926年、397頁。初出は、『史学雑誌』第36 編5号、1925年。
★18 平泉澄「我が歴史観」、同書、18-21頁。
★19 西尾幹二、前掲書、119頁。
★20 上野千鶴子「『記憶』の政治学」、『ナショナリズムとジェンダー 新版』、岩波現代文庫、2012年、160-161頁。初出は、『インパクション』第103号、1997年。
★21 辻田真佐憲「平成の大ベストセラー『国民の歴史』の西尾幹二が語る「保守と愛国物語への違和感」 “最後の思想家” 西尾幹二83歳インタビュー #1」、「文春オンライン」、2019年1月26日。URL=https://bunshun.jp/articles/-/10473
★22 網野善彦「新しい歴史認識のために」、宮台真司ほか『リアル国家論』、教育史料出版会、2000年。小熊英二、網野善彦「人類転換期における歴史学と日本」、『網野善彦対談集「日本」をめぐって』、講談社、2002年。
 

呉座勇一

1980年、東京生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学大学院人文社会系研究科研究員、東京大学大学院総合文化研究科学術研究員、国際日本文化研究センター助教などを経て、現在、信州大学特任助教。大学共同利用機関法人人間文化研究機構に対し国際日本文化研究センター准教授の地位確認を求めて訴訟提起中。日本中世史専攻。著書に『日本中世の領主一揆』(思文閣出版、2014年)、『一揆の原理』(筑摩書房、2015年)、『応仁の乱』(中央公論新社、2016年)など。共著に前川一郎編著『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社、2020年)など。現在、網野善彦に関する論文を執筆中。

與那覇潤

1979年生。東京大学大学院総合文化研究科で博士号取得後、2007~17年まで地方公立大学准教授。当時の専門は日本近現代史で、講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。離職後は『知性は死なない』(文春文庫)、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環と共著、新潮社。第19回小林秀雄賞)など、自身の病気の体験も踏まえた言論活動を在野で行っている。新型コロナウイルス禍での学界の不見識に抗議して、2021年の『平成史』(文藝春秋)を最後に「歴史学者」の呼称を放棄した。近刊に『過

辻田真佐憲

1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。単著に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』『文部省の研究』(文春新書)、『天皇のお言葉』『大本営発表』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)、『新プロパガンダ論』(ゲンロン)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)、『文藝春秋が見た戦争と日本人』(文藝春秋)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。

1 コメント

  • H2H2022/06/25 18:58

    「歴史の真実」や「真相報道」などやたらとファクトを前面に出す主張を数年前からよく目にするが、これは技術信仰の隆盛と関わる様に思う。 歴史実証主義は「何年何月に誰がどの様なことをした」という事実を突き詰めていく極めて技術的な探究に見える。 しかし、実際に人の心を掴んで魅了する歴史観は、百田尚樹さんや上野千鶴子さんのような「歴史を物語る」視点なのだろう。 すぎやまこういちさんの様な日本軍(安倍晋三さん率いる自民党) vs. 反日軍(民主党)という極端でわかりやすい、百田尚樹さんにも通ずるテレビ的・トピック的歴史観は「大きな物語」を形造るには十分な素地となる。 ここで理系的歴史観が文系的歴史観に敗北したと短絡するつもりはない。そうではなく、情報過多な現代において人のよって立つ物語とは斯くも想像力に満ちているという事だ。 百田尚樹さんの思想的ポジションと主張内容のチグハグさは、技術的ファクト意識した物語的皇国史観の妥協点なのだろう。

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